小説
2002. 1/22




さくらの花はまだ遠く…


 太正壱拾弐年参月某日

「タァッ」
「次。」
 大きなかけ声と木刀のぶつかる音が聞こえてくる。
 ここは、仙台のとある道場。稽古の真っ最中と行った感がある。
しばらく聞こえていた声と音も夕暮れ近くなる頃、
「それまで。今日はこれまで。」
 師範代とおぼしき若い女性の声とともにぴたりと止まった。
「礼。」
『ありがとうございましたっ。』
「真宮寺、おまえはすこし残ってくれ。」
「はい。」

 真宮寺と呼ばれた先程の女性は、としのころは十六、七。まだ少女と言われる年であろう。
道着はほかの者と同じくし、長く美しい黒髪を、紅の短い帯で結っている。
 名を「真宮寺さくら」という。
「おまえと稽古を付けるのも久しぶりだな。手加減は無用だぞ。」
「はい、ではいきます。」

 ・・・・・
「ふう、また一段と腕を上げたな、さくら。それともわしが老いたのかな。
はっはっは。」
「そんな、私なんかまだまだ先生の足元にも及びません。」
「そう謙遜しなくてもよい。これほどの腕を持ちながら一度も試合に出してやれなかったのが悔やまれるな。
時々おまえが男児であればと思うよ。」
「気になさってるのですか。
同期の男の子たちが試合に出始めた頃は、早く試合にでたいと思っていましたけれど。
元はといえば、父のように強くなりたくて始めたことですから。」
「おまえに免許皆伝とその証として、おまえの父一馬に預かっていた荒鷹を渡してはや半年が過ぎた。
おまえはあれから毎日のように精進しておるが、何か思うところがあるのか。」
「はい・・・。東京へ行こうと思います。父のいた帝都東京に。」
「そうか、一馬は軍人として帝都にいたのだったな。」
「はい、父が守ったという帝都を見てみたいと、そこで暮らしたいと思います。」
「しかし、帝都に行ってもあてがあるわけでもなかろう。都内の北辰一刀流の道場を頼ってゆくつもりか?」
「その事なんですけど、父の戦友で、米田さんという方に、葬儀で一度お会いしているんです。
その方を頼っていこうかと思っています。」
「そうか、米田中将をな・・・。」
「ご存じなんですか。」
「ん、ああ。・・・・・。よし、彼に紹介状を書いてやろう。まあ、彼のことだ邪険にすることもあるまいが。」
「ありがとうございます。」
「では明日までに用意しておいてやろう。で、いつこの地を発つつもりだ?」
「できれば、三月のうちにとは思っているのですけど・・・。」
「決心が付かない、か。」
「はい、いざとなると考えることが多くなってしまって。」
「迷っているのだな。」
「そ、そういうわけでは・・・。」
「さくら、おまえはその年になるまでこの地を離れたことはあるか。」
「いえ・・。」
「それはな、理性では平然としようとしていても、どこかでこの地を離れることに恐れを感じているのだ。」
「そんなことはありません!」
「恥じることではない。人間、誰しもそうであろう。生まれ育った土地を離れるのだ、無理もない。
ところで、もう母上にその事は話したのか。」
「はい、昨夜・・。」
「それでは、母上のことを気にかけているのも迷いの原因の内か。」
「そうかも知れません。私が出ていってしまうと母は一人になってしまいますから。」
「ふむ、それなら尚のこと早くした方がよいかもしれんな。おまえの迷いは、時が解決してくれる物ではない。
だがよく考えることは必要かもしれん。言っておかねばならぬ事があるとすれば、おまえが一馬の後を追うつもりなら、
悩んだところで結論は変わらぬし、おまえの母上はおまえが思っているほど弱くはないと思うが。
一馬なき後おまえをここまで立派に育てたのだからな。もっとも少しおてんばが過ぎる様な気がするが。」
「先生!」
「はっはっは!
 すまんすまん。だが少しはおしとやかにせんと男共が寄り付かんぞ。
 まあ、剣の道を究めることは悪いとは言わん。だがそれだけに捕らわれてはならんぞ。」
「はい・・・。」
「どうした、覇気がないな。
 まあ、二度とこの地に帰ってこれぬわけではない。ここはおまえの故郷なのだからな。
帰ろうと思えばいつでも帰れるのだ。この地を発つときはそれでいい。
 だが、一度この地を離れたなら、よほどの事がない限り戻ることはならん。これは一馬の意志でもあると心得よ。
故郷とは、想うところであっても逃げ帰るところではない。わかるな。
 わしが言えることはこれくらいか。少し喋りすぎたようだな。」
「いえ、ありがとうございました。」
「考える時間はあろう。だが迷ったときは、まずできることをしてみることだ。
 考えるのはそれからでも遅くはない。この地を発つとき、思い残すことの無いようにな。」
「はい。では失礼します。」
「うむ。」

 さくらが道場の外に出る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
「父さんのお墓参りはわすれないようにしないと・・・。
先生の言うとおり、わたし不安で仕方がないんだ・・。
当たり前よね、東京へ出てからどうするかなんて具体的に決めてるわけじゃないし、どうなるかなんてわからないんだもの。
 はぁ・・。なさけないぞ、さくら。もっとしっかりしなきゃ。」

 そうこうしているうちに、気が付くと家の前まで来ていた。
民家と言うには小さく感じる、どっしりとした門構えの屋敷である。由緒のある家なのであろう。
「ただいま。」
「おかえりなさい、さくら。御飯にする?」
「うん。」
「じゃあ、すぐ用意するわね。」
さくらの母は、そう言うと玄関から台所へ歩いていく。
(お母さん、昨日のことどう思ってるんだろう。)
「昨日の、おまえが東京へ行きたいって話ねえ。」
「うん。」
「いつ出発するか決めたの?」
「ううん・・・。まだ迷ってる。」
「さあ、できたわよ。」
「うわぁ、おいしそう。いただきます。」
「おまえはもう一人前なんだから母さんはおまえの決めたことに反対しないわ。
 母さんはね、おまえくらいの歳になったら自分のことは自分で決めるのが一番だと思うの。
わからなくなったら周りの人に相談することはいけない事じゃないわ。
 でもね、最後に決めるのは自分でないといけないと思うの。
だから、後悔したり、今までおまえを支えてきてくれた周りの人に迷惑をかけないようによく考えなさい。
そして、一番良いと思うことをすること。いいわね。」
「はい。」
「さくら。」
「なあに、改まって。」
「おまえが旅立つ前に話しておこうと思っていた話があるの。ちょうどいい機会だから、今話しましょう。
おまえには真宮寺の血が流れているわ。それは特別な力なの。お父さんも、あなたも持っている力。
お父さんが死んだのもそれが原因かも知れない。お父さんは、時が来たらあなたに教えるつもりだったようだけど、
母さんには詳しいことはよくわからないわ。でも、その力が役に立つときがきっとくると思うわ。
その事、覚えておきなさい。」
「はい。」
「さ、早く食べちゃって。お風呂に入って汗を流しなさい。」
「は〜い。」
 それから、食事が終わり、さくらが風呂へ、母が食事の片付けに台所へ行くまで、
他愛もない明るい談らんが続いた。

 ちゃぽん・・・。
(お母さん、先生と同じ様なこと言ってたな。
 後悔しないように、か・・・。帝都へ行くことは、よく考えて決めたことだから。
この先どんなことがあっても後悔しないって・・。
 真宮寺の血の力、か。なんのことだろう・・。お母さんは、父さんにもあった、
 わたしにもある特別な力だって言ってたけど。役に立つときがくる、か。)
「ふう。なんか、ぼーっとしてきたみたい・・。」
(明日どうしよう・・。先生のところへ行くのはいいとして。お父さんに報告するのは、
出発の日を決めてからでいいかな。あ、さつきと紅葉ちゃんにも言わないといけないんだった。
 明日言おうっと・・・・。
 ・・・・・・。)
 ブクブクブク。
 ぶわ。
「きゃ!
 ・・ふう、あぶなかった。溺れるところだったわ。
のぼせてきたみたい。お風呂からあがってもう寝よっと。」

 そして、彼女はてきぱきと浴衣に着替えると母のいる居間にゆく。
「お母さん、あのね・・・。」
「なあに。」
「・・・。ううん、なんでもない。」
「変な子ねえ。早く寝なさい。」
「うん。おやすみなさい。」
「おやすみ。」

 さくらは、寝室にゆく途中、自分の将来と同じように、母のこれからを心配していた。
「お母さん、私が出ていった後一人になっちゃうな。先生はあんな事いってたけど、お母さん大丈夫かな。
お母さん人付き合い良いし、お父さんの恩給もあるから大丈夫よね。
自分のことを棚に上げて、お母さんのこと心配してるなんて、弱気になってる証拠かな。
 あ、なんか最近独り言多いかも。今更考えてどうなるものでもないし、早く寝ましょ。」
 そんなことを思いながら、さくらは床についた。

「おはようございます。」
「さくらか、あがりなさい。今、茶の用意をさせよう。」
 朝のお茶には少し遅いかといった頃、さくらは道場の師範の家を訪ねていた。
「気を使わないでください。」
「まあ、そう言うな。それよりあがったらどうだ。」
「はい、じゃあ遠慮なく。」

「で、出発の日は決めたか。」
「参月ですし、父にも報告しなければならないことですので、お彼岸があけてからにしようかと思うのですが。」
「ふむ、一馬の墓参りをして、か」
「はい。」
「さくら。米田中将を頼っていくという事は、女を捨て、剣士として、軍人として生きねばならぬかも知れぬ。
そうなることを覚悟しているか。」
「はい、その覚悟はできているつもりです。」
「そうか、では何も言うことはない。これが約束の紹介状だ。中には、北辰一刀流免許皆伝のことと、
真宮寺一馬の娘であることも書いておいた。これで大丈夫だろう。なくさぬようにな。」
「はい、長い間お世話になりました。」

「おじゃましました。」
「うむ。心の整理、しっかりとな。」
「はい、失礼します。」

 さくらは、師範にもらった紹介状を家に置きに帰ると、親友の大村さつきの家に出かけた。
さつきの家は代々続く旅館である。
「旅館大村と。あ、ここだここだ。
 ごめんください。」
「は〜い。」
 ばたばたばた。
「いらっしゃいませ。」
「あの、真宮寺と申しますけどさつきさんおいでになりますか。」
「あ、さくらさん。さつきさんですね、少々お待ちください。」
 仲居さんは、そう言ってなかにさつきを呼びにいった。
さくらは何回かさつきの家に来たことはあるのだが、その度に旅館の客と間違えられる。
(なんとかならないものかしら。)
「ふう・・。」
「何、ため息なんかついてるんだ?」
「きゃ。さつき、いきなり後ろから声かけないでよ。」
「ごめんごめん。で、わたしに用事?」
「うん、これからのこと決めたから報告を、と思って。」
「そっか。紅葉には?」
「この後行こうと思ってるの。」
「そう。ねえ、明日用事ある?もしなければ丘の方に行ってみようよ。
昨日見てきたら、丘の方は陽当たりがいいから雪がきれいにとけて、ふきのとうが顔を出していたの。
紅葉も誘って、お弁当もってさ。」
「そうね。明日特に予定してることもないし、行きましょ。」
「決まったね。話はそのときにしよ。紅葉にはわたしから言っとくよ。」
「そう、お願いするね。明日晴れるといいね。わたしてるてるぼうず作っちゃおうかしら。」
「うーんと、十時に紅葉の家ってことでどう?」
「いいわね。でも、紅葉ちゃん行くかしら。」
「きっと大丈夫だよ。じゃあ、わたしはこれから紅葉の家に行ってくるから。
あ、紅葉この時間だとまだ高村先生のところかなあ。」
「そうね、紅葉ちゃん夕方までは高村医院でお手伝いしてるものね。」
「高村先生のところに行ってくる。」
「じゃあ、明日紅葉ちゃんの家で。」
 そう言うと二人は別々の方向へ歩きだした。さつきは高村医院へ、さくらは商店のならぶ駅前へである。
「明日のお弁当のおかず何にしようかな。
そう言えばこのごろ道場で帰りが遅くなって夕飯の支度お母さんに任せっぱなしだった。
今日はわたしが作ろう。鰺にしようかな、鳥の煮物もいいかも。」

「わーっ。ここら辺はもうすっかりとけたのね。さくらぁ、オオイヌノフグリが咲いてるよー。」
「紅葉、気をつけろよ。それにしても晴れてよかったな、さくら。」
「ええ、風もあたたかいし。さつき、そう言えばふきのとうがでてるって言ってたわね。どこら辺にあったの?」
「あはは、ごめーん。ここらにあったふきのとう目に入ったのみんな摘んじゃった。」
「もう。楽しみにしてきたのに。」
「あ、でもそこら辺にまだあるかも。」
 少し離れたところから、紅葉の呼ぶ声が聞こえる。
「さくらぁ、さつきぃ、ふきのとう見つけたよぉ。」
「ほらね。」
 そう言うと、さつきは紅葉のいる方へかけ出した。
「あ、ずるい。」

 気が付くと、太陽は真上を過ぎたあたりになっている。
「はぁ、つかれた。やっぱり、草も葉っぱは青々としてるけど花はあんまり無いな。」
「さつき、まだ雪がとけだしたばかりよ、むりもないわよ。」
「でもおもしろかったね。おなかすいたのわすれちゃってた。
 ねぇ、お昼にしよう。」
「そうだね。さて、そろそろ聞かせてくれる?
 これからどうするか決めたんでしょ。」
「うん、お彼岸があけたら、帝都に行くことにしたの、お父さんの知り合いの人を頼って。」
「さくら、帰ってくるの?」
「ううん、今のところ何かあるまで帰ってくるつもりはないの。」
「そっか。まあ、さくらなら大丈夫だろ。しっかりしてるし、まあ、少し抜けてるけど。」
「さつき、何か言った?そう言えばあなた達はどうするの、これから。」
「ああ、私は旅館を継ぐよ。お袋は、自分の代でつぶしたくないみたいでしっかり仕込んでくれるからなあ。
女将ってガラじゃないけど、まあ、そのうちお袋の鼻をあかしてやるよ。」
「そう、で。紅葉ちゃんは?」
「私は、高村先生のところで看護婦として働こうと思ってるの。
 先生のところ、先生一人きりでしょ。今はまだお手伝いだけだけれど、少しでも医学の勉強をして、
病気の人やけがをした人を看病できればと思って。」
「紅葉らしいわね。ふたりともがんばってね。」
「さくらもね、帰ってきたら顔を出してね。」
「当たり前でしょ。あら、少し寒くなってきたわね。」
「さくら、さつき、雪が舞ってきたわよ。」
「さっきまで結構暖かかったのにね。」
 降る、というほどではなく、舞うという表現がぴったりなほど、ゆっくり、少しづつ白いそれは落ちてきた。
「そろそろ帰る?だいぶ寒くなってきたわ。」
「そうね。そう言えば、息が白くなったのにも気が付かなかったわね。」

「じゃあね、行くときになったら連絡ちょうだいね。見送りに行くから。」
「ええ。じゃあね。」
 丘から帰ってきた三人は、一番近くの紅葉の家の近くで別れた。
さくらは次の日、一馬の墓参りに行くことを決めていた。

 その日の夜。雪は夕暮れ頃にはやみ、空は晴れて月が昇っていた。
 さくらは父の形見の霊剣「荒鷹」を持ち、庭にでた。荒鷹を鞘に収めたままかまえ、そして静かに目を閉じる。
そして、しばらくの間があった後、
 カチッ
・・・・・。ブォンッ
 刀身は鞘から抜き放たれた。一瞬のことであった。
 しかし、刃は確実に、それをとらえていた。庭先に植えられている牡丹の木の葉一枚だけを切り落としたのである。
「ふうっ。」
 私の中にまだ迷いがあるのだろうか、さくらはそんなことを考えていた。
そう、明日父の墓参りに行けば、出発前にやっておかなければと思っていたことは全部である。
本当にこれでいいのか。それが頭から離れない。
『さつきたちには、自分からああ言ったのよ。もっとしっかりしなきゃ。』
 そう自分に言い聞かせる自分がいる。
「さあ、もう寝ましょ。」

 次の日、朝の九時を少し過ぎた頃。
さくらは、父一馬の墓前に立っていた。墓を掃除し、花を供え、線香を供え、手を合わせる。
「お父さん、さくらは、帝都に行きます。お父さんが守った帝都東京をこの目で見、肌で感じたいのです。
そしてできることなら、お父さんと同じように帝都を守る仕事ができたらと思っています。」
 ・・・・・。
「やはりここに来たか。」
「先生。」
「どうだ、心の整理は付いたか。」
「いえ、私はそんなに強くないですから。まだ、迷っています。というよりも不安なのだと思います。」
「うむ、それでいい。おまえは芯が強い。きっと、どんなところでもうまくやっていける。
だが、今の気持ちを忘れないようにな。一馬、おまえの娘は立派になったなぁ。」
「先生・・・。」

 出発の当日。
「はぁ、はぁ。まにあった。さくら、がんばれよ。」
「さつき、紅葉ちゃん。ありがとう。あなた達もね。
 お母さん、体に気をつけてね。無理しないように。」
「それを言うのは私よ、さくら。体には気をつけてね。」
「はい。
 先生・・・、自分に何ができるかそれを知りたいと思います。行ってきます。」
「ああ、米田中将によろしくな。」
「はい。」


 そう、さくらの花はまだ遠い。
  でも、決してこない訳じゃない、だから・・・。




(1997. 5/25 sinto)

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