小説
2002. 2/26




あのなつのはなび


太正拾参年八月

 ひゅるるるる……
 ど〜ん
 ……バチバチバチ

「わぁ、きれいですね。」
「ああ。今年は見に来れて良かったね。」
 大神とさくらは隅田川の川緑を歩いていた。年に一度の花火を見に来たのである。
 日が沈み、月もなく、星がきれいにでていた。
川沿いには遠くの方まで提灯の明かりが見える。
浴衣を着た親子連れや子供たち、恋人らしき人たちも見うけられた。
 さくらは、私たちも恋人同士に見えるかしら、とそんなことを想う。
「ふふふっ。」
 楽しそうに笑うさくらを見て、
「どうしたんだい。」
と、大神が訪ねる。
「いえ、去年の花火の日のことを思い出したんです。」
 今あがった花火を見ているのか、それとも…。
そんな遠い目をしながらさくらは答える。
「ほんとにきれい…。」
 空にあがった大きな尺玉が二人を照らしだす…。


太正拾弐年八月

 蒸し暑い夏の夜、大神は一日の仕事を終え自室に戻っていた。陽は落ちたが宵の口ではまだまだ暑い。
事務所での仕事も手間取らなかったため、夜の見回りにはまだかなりの時間がある。
かといって何かするあてがあるわけでもない。さてどうしようかと思っているところへ、
 トントン。
 扉をたたく音がする。
(……ん?誰だろう。)
「はーい。今、開けます。」
 そう言うと、大神は扉を開けた。
「こんばんわ、大神さん。」
 扉の向こうにはさくらが立っている。いつもの薄桃色の衣に紅の袴姿ではなく、藍色の浴衣を着ている。
「やあ、さくらくん。何か用かい?」
 さくらは何か言いたそうであるが、迷っているようにも見える。ほんの少し沈黙の後、意を決したように、
「あの…今夜、隅田川で花火大会があるんです。
 それで…、もしお暇でしたらいっしょに見に行きませんか?」
 時間を持て余していたところへ、他ならぬさくらの誘いである。大神が断る理由はどこにもない。
「いいとも、いっしょに行こう。俺でよければ、喜んでつきあうよ。」
「ありがとうございます。よかった、勇気を出してお誘いして。」
 そう言うとさくらはとてもうれしそうに微笑む。
「ところで、花火大会は何時までなんだい。」
 見回りのことを思い出して大神はさくらに訪ねた。
「七時から九時までです。大丈夫、夜の見回りの頃までには帰ってこられるはずですから。
 ふふ、なんだかワクワクしてきませんか?」
そういうと、無邪気に笑ってペロッと舌を出してみせる。
「じゃあ、大神さん、行きましょうか。」
「ああ。」
 と、大神が部屋から出て扉を閉めると、
「あら、大神くん。」
 隣の部屋の方から声がかかった。
「ちょうど良いところであったわ。」
 声の主は、藤枝あやめである。あやめはそう言うと大神たちの方に近づいてきた。
「こんばんわ、あやめさん。」
 大神の後ろにいたさくらが顔を出す。
「あら、さくらもいっしょなの。ふふふ、相変わらず仲がいいのね。」
「…と、ところで、俺に何か御用ですか?」
 あやめは、くすっ、っと笑い、
「せっかく二人でいるところを悪いんだけど、ちょっとお願いしたい仕事があるの。
 つき合ってもらえないかしら。」
「すみません。実はこれからさくらくんとの用事があるんです。」
 大神はばつの悪そうな顔をする。
「大神さん…。ありがとうございます。気をつかっていただいて…
でも、お仕事が第一ですから…、私のことは気になさらずに…」
 そうは言うと、さくらは寂しそうに微笑む。
「ふう、仕方ないわね。そんな気分でやっても能率の良い仕事はできないでしょう。
ねぇ、大神くん。そう言うわけだから、この仕事は明日やってくれればいいわ。
それじゃ、花火大会二人で楽しんでらっしゃい。」
「な、何でわかったんですか。」
 慌てる大神をよそに、
「あら、図星かしら。気をつけて行ってらっしゃい。」
 あやめはそう言って微笑んだ。
「若いっていいわね。」
二人の後ろ姿を見送りながらあやめは、そうつぶやく。

「まいったな、あやめさんには何でもお見通しみたいだ。
さあ、みんなの部屋の前を通ると呼び止められるかもしれないから、サロンの方を通って下に降りようか。」
 そう言ってサロンの前を通り過ぎようとしたところを、。
「あら、小尉…に、さくらさん。」
 と、呼び止められる。
「すみれさん。…かすみさんも。」
 さくらも気がついたようだ。
「小尉、こんな時間にさくらさんとお二人でどちらへお出かけですの。」
 すみれの口調が強くなる。大神と一緒にいるさくらを見てすみれは機嫌を悪くしたらしい。
 大神は、サロンにはすみれがいる、ということを忘れていた自分の迂闊さを呪いながら、
「いや、ちょっとね。それより、すみれくん達はここで何をしてたんだい。」
 と、なんとか話をそらす。
「わたくしはかすみさんと紅茶をいただいていたんです。昨日、英国からの物が手に入りましたの。」
 見ると、テーブルの上には、立派なティーセットと、洋菓子の乗った西欧製のガラス皿が目に付く。
「良い香りだね。」
「さすが小尉ですわ、どこかの誰かさんとは大違いですこと。」
「なにか言いましたか、すみれさん。」
 すみれに絡まれ、むっ、とするさくら。
「あーら、さくらさん。どうかいたしまして。」
 と、険悪なムードにかすみが助け船を出した。
「大神さん、さくらさんもご一緒にいかがですか。」
「ありがとうございます。でも私たち急いでますので、失礼します。」
「悪いね、また今度ご一緒させてもらうよ、じゃあ。」
 逃げるような早足で大神とさくらはサロンをあとにする。
「お待ちなさい。まだ、話が終わっていませんわよ。」
「いいじゃないですか。またお誘いすれば。」
 そう言ってすみれをなだめるかすみだったが、このあとすみれの愚痴を長々と聞くはめになったらしい。

 ふう。サロンはすみれくんのお気に入りだということをすっかり忘れていたよ。」
「急ぎましょう、大神さん。もう予定の時間をだいぶ過ぎちゃいましたよ。」
「そうだね。早くしないと見る時間が無くなってしまう。」
 サロンから、二階のホールを抜けて階段を下りようとしたところを、
「隊長、それにさくらも。こんな時間にどこへ行かれるつもりですか。」
階段を上がってきたマリアとあってしまった。
「マ、マリア…。」
「こんな時間に外出とは、とても感心できることではありませんね。」
「あ、ああ。隅田川で花火大会があるというんで、さくらくんを誘って見に行こうと想ってね。」
「お、大神さん…。」
 マリアは、キッと大神を見据えてきつく言う。
「隊長何を考えておられるのですか。また、いつ黒之巣会が現れるかもしれないというときに。」
「マリアさん、大神さんを責めないで下さい。お誘いしたのは私なんです。」
と、大神がさくらをかばったことに気づき、さくらがマリアを止める。
「さくら、もしそうだとしても、隊長には隊長の責任があるのよ。お解りですね、隊長。」
「すまない、軽率だったよ。でもマリア、今夜一晩だけどうにかならないだろうか。」
「大神さん…。」
 マリアが、ふう、と溜息をつくと、
「仕方ないですね。非常時には急いでお戻り下さい。
隊長がお戻りになられるまでは私が代わりを務めさせていただきます。それでよろしければ。」
「マリア、すまない。恩にきるよ。」
「くれぐれも言っておきますが、今回だけですよ。」
「マリアさん、ありがとうございます。」
 そう言うと、大神に続いて、さくらもマリアのところをあとにした。

「ふう、私もあまいわね。」
 そう呟くと、マリアは自室へ向かって歩き出した。

「おかしいなぁ、みんなと顔を会わせないように、こっちを通ってきたはずなんだけど。」
「あやめさん、すみれさんとかすみさん、マリアさんにも会っちゃいましたね。」
 大神とさくらは、そんなことを言いながら、一階ホールを抜けていた。
「まあ紅蘭は今日は夜、格納庫で作業するようなことを昼間言ってたし、カンナは鍛練室だろう。」
「百合さんと椿ちゃんは今日は帰ったみたいです。」
「米田支配人はさっき酔いつぶれているみたいだったな。あとは、アイリ」
 大神が、「アイリス」と言い終わる前に後ろからアイリスの声がする。
「お兄ちゃん、さくらとふたりでどこ行くの。」
「ア、アイリス。」
「ねぇ、お兄ちゃん。アイリスに内緒でどこに行くの。」
「よ、夜の見回りだよ。どこにも行ったりしないよ。」
「…アイリス。わたしたち、今から花火を見に行くつもりなの。」
「さ、さくらくん、そんなこと言ったら…。」
「あー。やっぱりお兄ちゃんアイリスに黙ってさくらとお出かけするつもりだったんだぁ。
ずるーい。アイリスも、行きたい行きたいー。」
「アイリス、ごめん。今日はさくらくんとふたりで行かせてくれないか。また今度三人でどこかに行こう。」
「絶対だよ、お兄ちゃん。」
「ああ、約束するよ。」
「じゃあ行かせてあげる。」

「あーあ。お兄ちゃん達行っちゃったね。もう寝ようか、ジャンポール。」
 アイリスは、ジャンポールを抱きしめてそう話かけた。

「大神さん、先程はすみませんでした。
でも、私から大神さんを誘って花火に行くって胸を張って言いたいんです。ほんとにすみませんでした。」
「いや、俺も悪かったんだ。
時間が無くて逃げるようにしてここまで来たけど別にやましいことはないんだから隠すことはなかったんだ。ごめん。」
「いいんです。…大神さんは謝らなくていいんです。」

「ふう、やっと玄関から出られた。さあ、花火を見に行こう。」
そう言って大神がさくらを見ると、
「…大神さん、だめ…みたいです。」
「どういうことだい。」
「今からだと、花火が見えるところに付く前に花火大会が終わっちゃいます。」
 大神が、さくらの寂しそうな視線を追うと向かいの建物の上に取り付けられた大時計が、八時三十分を指している。
「大神さんと、花火…見たかったな。」
「さくらくん。」
「…そうだ。大神さん、少しここで待っていて下さい。」
 そう言うとさくらは劇場の中に駆け込んでいった。

 息を切らせるようにしてさくらが戻ってくる。
「お待たせしました。」
 そう言ってさくらが大神に見せたのは、線香花火の束であった。
「これはこれで打ち上げ花火とは違った風情があると思うんです。
 やりましょう、大神さん。」
「いいね。線香花火、久しぶりだな。」

 バチバチバチっ。
「きれい…。
 線香花火の光って、なんか神秘的ですよね。」
「ああ、はかなさの中に想いを秘めているような、そんな感じかな。」
 バチバチバチっ。
 一束の線香花火は瞬く間に過ぎていく。そして、
「最後の一本になっちゃいましたね。」
「ああ…。さくらくん、来年は、きっとふたりで花火大会見に行こう。」
「はい。」


太正拾三年八月

「そうだった。去年は結局見られなくて、ふたりで劇場の中庭で線香花火をしたんだったね。」
 落ち着けるところを見つけ、大神とさくらは土手に腰を下ろし、花火を見ていた。
「はい。でも、今年はこうして見に来ることができました。」
 大神さんとふたりきりで、と心の中で付け加える。
「ああ。」

 ひゅるるるる……
 ど〜ん

「大神さん。」
「ん、なんだい、さくらくん。」
「もう少し、そちらに行っていいですか。」
 そう言うと、隣にいたさくらは、大神の肩によりかかる。
「少しこのままでいさせて下さい。」
「ああ。」

 ひゅるるるる……
 ど〜ん

 片膝を抱えた大神と寄り添うさくら。花火の終わるまでの、ほんの少しの間。
それは、さくらにとって、そして大神にとっても、とても幸福な時間である。
 そう、今だけは二人だけの時間。




(1997. 8/15 sinto)

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