小説
2002. 1/ 8




「お弁当」〜唯の場合〜


 十二月九日
いつもと変わらぬ夕食の風景。鳴沢家(?)の夕食は、唯と美佐子、二人で食べ始めるのが日常である。
「お母さん、明日のお弁当は唯が作るね」
そう言って大好きなハンバーグを一口食べる。
「あら、急にどうしたの?」
「うん、お兄ちゃんにお弁当を作ってあげたいなって…思ったんだ」
「そう、じゃあ明日は早起きしないとね」
「お母さんの目覚まし時計借りてもいい?」
「いいわよ」
唯が二口目のハンバーグを口に入れようとした瞬間、玄関の鍵が開く音がした。龍之介の帰宅である。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「おかえり、お兄ちゃん」
「あー腹減った、夕食何?」
「今日はハンバーグとサラダとコーンスープだよ」
そう聞くやいなやテーブルにつき、用意してある夕食に飛びかかる龍之介。
「お兄ちゃんおいしい?」
唯の問いかけにも耳を貸さず、黙々と食べ続ける龍之介。
「あらあら、そんなにあわてて食べると喉につまるわよ」
美佐子がそう言ったとたんに
「んん……ゆ、ゆい…み、み、みず…く…れ……」
案の定、喉につまらせてどんどんと胸をたたく龍之介。
慌てて唯が水を汲んでくる。
「はい、お兄ちゃん」
唯が汲んできた水を一気に飲み干す。
「あー…死ぬかと思った」
「慌てて食べるお兄ちゃんが悪いんだよ」
「うるせーな、今日はむしゃくしゃしてたから余計に腹が減ってたんだよ」
「お兄ちゃん、明日から二週間がんばらないとね」
「何をがんばるのかしら?」
話の見えない二人の会話に、美佐子が尋ねる。
「あのね、お兄ちゃん明日から遅刻できないんだよ」
「唯、余計な事言わなくていいんだよ」
少しムッとした表情で唯を睨む。
「無理にと言わなくてもいいわ。どういう理由か解らないけどがんばってね龍之介君」
「ありがとう、美佐子さん」
残っているおかずを平らげて、席を立つ龍之介。
「ごちそうさま。今日のハンバーグ、いつもよりうまかったよ」
「お兄ちゃん、本当?」
嬉しそうな表情で、唯が尋ねる。
「ん?ああ、本当だよ。でもなんで唯が喜ぶんだ?」
「あのね、今日のハンバーグは唯が作ったんだ」
すでにあとかたずけを始めている美佐子がキッチンから会話に参加する。
「今日は帰ってくるなり大変だったのよ。急に夕御飯は唯が作るって言い出して…」
話ながらも洗い物をする手は休めない美佐子。
「何を作るかあれこれ悩んで、それから買い物に行って…」
唯は話を聞きながらコーヒーをいれている。
いったんは立ち上がった龍之介だが、再び椅子に座り美佐子の話に耳を傾ける。
「いつも私がハンバーグを作るときは挽き肉を買ってくるんだけど、今日唯が作ったのは、
小間切れになっている牛肉を豚肉を包丁でたたいてミンチにして作ったものだから、おいしかったのよ。
それに牛肉だっていつも使っている挽き肉の三倍は高いお肉を買ってきたんですもの」
唯がコーヒーをマグカップに注いでテーブルに持ってくる。
「はい、お兄ちゃん」
洗い物を終えて美佐子もテーブルにつく。
「はい、お母さん」
コーヒーに砂糖を入れながら美佐子が話を続ける。
「さすがにソースは時間がないから市販のデミグラスソースにちょっと手を加えただけだったけど、
コーンスープも唯が自分で作ったのよ。涙流しながら玉葱をみじん切りにしてバターで炒めて、
コーンをミキサーにかけて…」
唯は何も言わないで、少し照れくさそうに話を聞いている。
龍之介もまた、何も言わずに話を聞いていた。
「サラダにしても、野菜を切ってドレッシングを自分で作って…とにかく今日は助かっちゃったわ、
全部唯がやってくれたんですもの」
話が一息ついたところで美佐子はコーヒーを一口飲んだ。
「お兄ちゃん明日から遅刻しないようにがんばらないといけないから、
お兄ちゃんを応援するために今日は唯ががんばって作ったんだよ」
今まで黙って聞いていた龍之介だったが、今の話を聞いて今日一日の不機嫌さが少しは和らいだのであった。
「唯、さっきは悪かったな」
「ううん…もういいよ」
数秒沈黙があったが龍之介が話を続ける。
「美佐子さん、実は今日の朝礼で天道の野郎と賭けをしちゃってさ…
終業式までに一度でも遅刻したら、冬休みの間毎日天道の野郎と走らなきゃいけないんだ」
「そうだったの…」
美佐子は少し考えるそぶりを見せてから
「それで唯はさっきあんな事いったのね、じゃあ唯明日からのために早く寝ないとね」
一人納得する美佐子。
不思議に思った龍之介が問いかける。
「美佐子さん、唯が何かいったの?」
「う、ううん、なんでもないよお兄ちゃん」
慌てる唯。そして美佐子の側に行き耳もとでそっと話す。
(お母さん、お弁当の事はお兄ちゃんには内緒にしておいてね)
わけが解らない龍之介だったが、たいして気にもせず
「さか、風呂にでも入るかな…」と風呂場へ向かうのだった。



翌日、唯が起きたのはまだ日も上がらぬ朝五時半。
眠たい目を擦りながら下へ降りてくる。洗面台で顔を洗い、キッチンへ向かう。
まだ半分寝ぼけた頭でお弁当のおかずの確認のために冷蔵庫を開け中を見る。
「何から作ろうかな…」
とりあえず何の気なしに手にしたプチトマトをパックから出して水洗いする。
「これは冷蔵庫に入れておいた方がいいかな」
洗ったプチトマトを小さめのボウルに入れて冷蔵庫に戻す。
次ぎに取り出したのは鶏のもも肉。
もも肉の塊を適当な大きさに切ってボウルに入れる。
そこで醤油とほんの少しのお酒を入れておろしたにんにくを少し加えてよく揉んでしばし寝かしておく。
その間に次のおかずに取り掛かる事にした唯であったが、
その前にと冷蔵庫から牛乳を出してコップに半分ぐらい注ぎそれを一気に飲み干した。
「次は何しようかな」
だんだんと頭が冴えてきて鼻歌を歌いながら野菜室からアスパラガスを取り出し、
鍋にたっぷり水を張り塩を少々入れてから火にかけ、それからアスパラガスを水洗いする。
「今のうちに氷水用意しなくちゃ」
アスパラガスをゆであげた後冷やすための氷水をボウルに作る。
沸騰したお湯にアスパラガスを入れて二分ちょっとして鍋のお湯ごとざるにあげ、
間髪いれずにアスパラガスを氷水にいれる。
「アスパラはこれでよし…と」
唐上げを揚げるために油鍋を火にかけたところで
「あら早いのね」
美佐子が起きてきてキッチンに顔を出す。
「うん、今日は特別にご馳走にしたから、ちょっと早めに起きたんだ」
「何か手伝う?」
「ううん、今日からは唯一人で作るからいいよ」
「そう…じゃあ何かあったら声をかけてね」
そう言うと美佐子は部屋に戻って行った。
「油はもうちょっとかかりそうだから…今のうちにたこさんウインナー作っちゃおっと」
冷蔵庫からウインナーを取り出して足の部分に切れ目を入れ、
フライパンに油を軽く引いてウインナーを炒める。足の部分が開いてきたら出来上がり。
「うん、かわいくできた」
そして火にかけていた油鍋が適温になったの確認してから、味付けした鶏肉に唐揚げ粉をまぶして油で揚げる。
「あとはハンバーグだから…」
フライパンを熱して油を引き、両面に軽く焦げ目をつけてから蓋をして弱火でじっくり焼く。
「そろそろいいかな?」
唐上げを油から上げてバットに取って油を切り、そうしてる間にハンバーグも焼けてくる。
「あとは盛りつけるだけだから…」
自分の小さいお弁当箱と龍之介の大きいおかず入れとご飯用のお弁当箱を用意して盛りつけにかかる。
唐上げとハンバーグを先につめて、
空いてるところにたこさんウインナーとゼロヨンしんしゃんチーズをつめておかずはオッケー。
サラダ用の小さいタッパーに洗ったレタスをしいてアスパラとプチトマトを盛りつけて、
あとはご飯をつめて出来上がり。
「お兄ちゃんならこれぐらい食べられるよね」
後かたずけをしながら、ふと時計に目をやった唯。
「あー、お兄ちゃん起こさないと」
慌てて龍之介を起こしに行く唯であった。



その日の夕方。
「ただいま」
いつものように先に食事をしていた唯と美佐子。
「おかえりなさい」
「おかえりお兄ちゃん」
いつものように「今日のおかずは?」と龍之介が尋ねたところで
「お兄ちゃん今日のお弁当おいしかったね」と唯が先手をうってくる。
「ああ今日のはなんだかしらないけど、豪華だったよな。すげーうまかったよ」
「この言葉を待ってましたとばかりに唯の顔がほころぶ。
(明日からもおいしいお弁当作ってあげるね、お兄ちゃん)
そう、心の中で呟く唯であった。

For Prologue


(1997. 5/ 5 とのさま)

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