小説
2002. 1/ 8




DEATH AND REBIRTH


 「おーい、誰かこっち手伝って」
「あっ、はーい」
栗色の髪を大きく三編みにした少女がかわいい声で返事をする。
そんなに大きい声ではないのだが、澄んだ声は物音うるさい教室の隅々まで響きわたる。
「悪いんだけど、ここを押さえておいてくれる」
「はい」
文化祭を二日後に控えた学園は、どこの教室でも居残り作業の真っ最中である。
ここ一年B組も例外ではない。
「ありがとう。こっちはもういいから自分の仕事に戻っていいよ」
「あの…すいませんけど、もう時間なので今日は…」
「あ、もうこんな時間なんだ…うん、後の事は気にしないでいいよ」
少年は手を休めて、傍らで見つめる少女に向かって言った。
「いつもすいません…あと二日しかないのに…」
少女が申し訳なさそうに言う。
「いいって、今無理をして当日休まれる方がうちにとっては痛手だよ。
なんせ学園一の美少女がウエイトレスってのがうちのクラスのうりだから…」
「そんな…学園一の美少女だなんて…」
「なに言ってるの、人気投票の中間発表じゃダントツのトップじゃん。
こりゃ当日の一般投票待つまでなしって評判だよ…って話してる場合じゃないよね、
早くしないとお母さんが来ちゃうよ」
「それじゃ皆さん、お先に失礼します」
少女は残っている者に丁寧に挨拶をすると、静かに教室をあとにした。



 「お兄ちゃん」
「ん、なんだ?」
夕食後、リビングでくつろぐ龍之介と唯。
美佐子が急な用事で午後から家を空けたため二人きりの食事であった。
(とーぜんだが唯が作ったのである)
「明後日、何か予定入ってる?」
一瞬、龍之介の思考ルーチンが働いた後
「いや…なにもないぞ」
この返事は予測がついていた唯であったが、改めて確認するとほっとするのである。
そして紅茶を一口飲み、一息ついた後「よかった」と思わず出てしまう。
「何がいいんだ?」
なにやら企んでそうな唯に探りをいれる龍之介。
「明後日、お兄ちゃんと出かけようと思ってたから」
「出かけるって…どこに行くんだ?」
「学園祭だよ」
「学祭って、どこのだよ」
読んでいた雑誌から唯へと視線を移す。
「八十八学園だよ」
そう言ってから残りの紅茶を飲み干し、ティーカップをキッチンへと持っていく唯。
カップにもう一度紅茶を注ぎ、ぱたぱたと音を鳴らして戻って来る、
そして龍之介の横にちょこんと座る。
「学祭って、いい思い出ないんだよなぁ…」
あまり乗り気じゃなさそうに龍之介が呟く。
「お兄ちゃん、毎年怒られてたもんね」
「ははは…いろいろやったからな、若気のいたり…ってやつかな」
ポリポリ頭をかく龍之介。
「あのね…ほんとは片桐先生に招待されたの。この前、駅前で片桐先生に会った時に、
龍之介君と是非いらっしゃいって…」
「唯、そういう大事な事は最初から言えよな」
「だってそう言うと、唯と遊びに行くんじゃないみたいなんだもん」
ちょっとふてくされ気味の唯。それをなだめるように龍之介が言葉を返す。
「わかった、明後日は唯と一緒に学祭に行く。約束するから…」
「ほんと?」
「ああ。(片桐先生に会うのも久しぶりだなぁ)」
すっかり機嫌をなおした唯。そして龍之介は天敵であった天道新幹線の存在を思いだし、
(面倒な事にならなきゃいいけど…)と心で呟いた。
「明後日晴れるといいね…お兄ちゃん」
久しぶりのデートにうきうきする唯。これから起こる様々な出来事など、
この時はまだ知る由もないのである…



 十一月三日、明治天皇誕生日にして言わずとしれた文化の日である。
朝から雲一つ無い青空は、唯の心をそのまま写し出している様であった。
久しぶり(と言ってもたった半月)のデートに朝からうきうきるんるん気分の唯は、
美佐子に代わって朝食を作っていた。
レタス、トマト、グリーンアスパラでサラダを作り、トースターにパンをいれ、
ハムエッグを焼く。超弱火にしたフライパンに蓋をしてから龍之介を起こしに行く。
トントン階段を上がっていく…これには気付きもしない。
ドアをノックする…少し反応を見せるがそれまで。
ノックしながら呼びかける…
「お兄ちゃん、朝だよ」
「ん…うるせーな…」反応あり、だが起きない。
部屋に入って体を揺する…
「お兄ちゃんってば、朝だよ起きて!」
「んんーん…もう少し寝かせてくれ…」反応あり、だが抵抗する。
最後の手段、布団を剥ぐ…
「ん……なにすんだよ唯!」やっと起きる龍之介。
「お兄ちゃんが起きないからいけないんだよ。ご飯できてるから早く降りてきてね」
唯はこのルーチンワーク(龍之介を起こす作業)を付き合い始めてから毎朝やっているのである。
唯が先に降りてテーブルに朝食のセッティングをしていると、ぼさぼさ頭をかきながら龍之介が降りてきた。
椅子に座って大きなあくびを一つ、それから新聞に手を伸ばす。
「お兄ちゃん、コーヒーと紅茶どっちにする?」
「コーヒー…ミルクだけな」
龍之介の注文に即座に反応できるよう、すでにどっちも注ぐだけの状態になっていた。
出されたコーヒーを一口飲み、三面記事を読んでいると朝食の準備が出来た。
「お母さん呼んでくるね。まだ食べちゃ駄目だよ」
唯が美佐子を呼んで来て、さぁいただきますというところで電話がなる。
trrrrr trrrrr trrr
「はい」
電話をとったのは龍之介だった。
「龍之介か?」
「おう、あきら。久しぶりだな」
「お前、今日暇か?」
「今日はちょっと都合悪いな…」
横目でちらっと唯を見る。
「そうか…久しぶりに龍之介と遊ぼうと思ったんだが…」
「参考までに聞くけど、何するつもりだったんだ?」
「今日、八十八学園の学園祭だから俺と洋子、お前と唯ちゃんでダブルデートしようと思ってたんだ」
「それなら全く問題ないぞ」
「なんでだ?」
「まあ…後でのお楽しみだ。それじゃ俺は飯を食うからまたな」
そう言って電話を切りテーブルに戻る。
「待たせてごめん。あきらの奴だった」
「それじゃ食べましょうか」
美佐子の一言で皆食べ始める。
「いただきます」
「いただきまーす」
最初の数口は誰も喋らなずに食べていたが、ふいに美佐子が口を開く。
「二人共、今日はどうするの?」
「今日はお兄ちゃんとデートするんだ」
得意満面の顔で唯が美佐子に報告するように言う。
「あら、良かったわね唯。ここしばらく大変だったのよ龍之介君」
「ぬぁんで?」
トーストを頬張ったまま、龍之介が聞き返す。
「お兄ちゃんが遊んでくれないって、そればかり聞かされてたから…」
「だってお兄ちゃんちっとも遊んでくれなかったんだもん…でもいいんだ、
その分今日はいっぱい遊んでもらうから」
"今日はとことん付き合ってもらうわよお兄ちゃん"と言う意味を含んでいそうな喋り方で唯が言い返した。
その間龍之介は黙々と朝食を食べ続け、あっという間に全ての皿を空にしていた。
「ごちそうさま。じゃあ俺着替えてくるわ…」
食器をシンクにつけて自室に戻る龍之介。
「お兄ちゃん、着替えたらすぐに出かけようね」
そう言う唯の皿にまだまだ朝食が残っていた。
そして着替えをすませて降りてきた龍之介は、
唯が食べ終えて出かける支度ができるまで三十分またされるのである…



 「お兄ちゃん…凄い人だね」
「ああ…ほんとうに凄いな」
八十八学園文化祭(通称八十八祭)。
世間的にはお坊ちゃまお嬢様学校で通っているこの学校の文化祭は、高い票かを受けている(過去三年を除く)。
高いのは評価だけでなく人気の方も凄く高い。
しかも今年の八十八祭は超人気アイドル舞島可憐のライブが行われるというので、
朝からもの凄い数の人が詰めかけているのである。
「今年は何でこんなに人が多いんだ?」
例年をはるかに上回る人手の多さに龍之介は目を丸くした。
「あれ、お兄ちゃん知らないの?」
「ん、なにが?」
「今年は可憐ちゃんがライブをするんだよ」
「唯、おまえはどーしてそういう大事なことを黙ってるんだ」
「だって知ってると思ったんだもん…」
しょんぼりしてしまう唯。
そんな唯を気にもせず、体育館の方へ歩いて行く龍之介。
「お兄ちゃん、待ってよ」
それを追いかけて小走りでついていく唯。
この時すでに龍之介の頭の中には、明との約束などこれっぽっちも残っていなかったのである。
 体育館へ向かうには肯定を横切って、校舎の裏の方へ行くことになる。
校舎の横前で来ると渡り廊下があり、その先が体育館になっている。(体育館のすぐ横が弓道場である)
龍之介と唯が渡り廊下にさしかかったとき
「えっ!りゅ、龍之介君?」
渡り廊下の向こう側から透き通るような声で名前を呼ばれた龍之介。
声のする方を向いてしばらく立ち尽くす。
見覚えのある顔。もう見ることのできないと思っていた顔。
(これは夢だ、夢に違いない)
そう思いながらもその見覚えのある顔をした少女に語りかける。
「さ、桜子ちゃん?」
少女は黙って立ち尽くしていたが、少し間を置いてから「こくっ」と小さくうなずく。
「夢じゃないよな。本当に桜子ちゃんだよね…」
もう一度無言で「こくっ」とうなずく。
もはや桜子以外、何も見えない龍之介であった。
すぐとなりに唯がいることさえも忘れてしまうほどに…。



 「どうしたの、お兄ちゃん?」
状況を把握できていない唯は、ただ呆然と立ちつくす龍之介の顔を覗き込むような姿勢で訊ねた。
「あ、ああ、なんでもない…」
龍之介は、気のない返事を唯に返す。そして急に気を取り直したかのように
「唯、悪い、先に体育館に行って場所を取っておいてくれ」
そう唯に話すと桜子の方に歩み寄っていく。
龍之介の表情にただならぬ雰囲気を感じ取った唯は、素直にその言葉を受け止める。
以前の唯ならば、何らかの抵抗をしていたであろう場面で、龍之介の言うことに素直に従う様子は、
二人の愛の深さを表していた。(唯にとっては、龍之介の愛情に対する信頼とも言えるが…)
「う、うん、わかったよ。お兄ちゃんも早く来てね」
唯の言葉を背中に受けて、龍之介は軽く手を上げた。
(お兄ちゃん、信じてるからね…)
そう、心の中で呟く唯であった。
 渡り廊下の入り口から少し離れた場所に桜子は立っていた。
走るほどの速さではないが、かなりの速さで桜子に近づく龍之介。
「桜子ちゃん、どうして?俺、桜子ちゃんが死んじゃったって思っていたから…」
聞きたいこと、話したいことは山ほどあった。
「一月一日に病院に行って木に登ったんだけど、看護婦さんが死んじゃったって…
三年間一緒にいたのに死んじゃってかわいそうだって…」
自分でも何を言ってるのかわからなくなっていた。
それほどまでに龍之介にとって、桜子の死というのは衝撃的な出来事であった。
「龍之介君、何を言ってるの?」
興奮状態の龍之介。しかし桜子も龍之介が何故興奮しているのか、わからないでいた。
「龍之介君、どうしたの?」
「どうしたのって…こっちが聞きたいよ。だって桜子ちゃん生きてる…」
そう言って、龍之介は目頭をおさえた。
「龍之介君違うの。前の日にターボ君が死んじゃったの…ちょうど検査している時に。
それと検査の結果が良好で退院してもいいって先生が言ってくれたの。
これからは大学病院に通院するようにって」
「……」
「急な事だったから…龍之介君にはどうしても伝えたかったんだけど…」
龍之介は、ただ黙って桜子の話を聞いた。
「退院してから何回かは八十八病院に行ってるんだけど、
龍之介君の話を一回だけ看護婦さんから聞くことができたの。
私の病室の中を見ていた少年が落っこちたって…」
「あっ、それ俺のことだ」
「やっぱりそうだったんだ…」
心のどこかにいつもひっかかっていた想いがとれた気がした。
「桜子ちゃんが死んだと思ったから、もう何も考えられなくなって、気が抜けて木から落ちたんだ」
それを聞いて、「くすっ」と桜子が笑う。
「私、何回か八十八駅前で龍之介君の事を待ってたことがあるんだ」
「えっ、そうなの?」
「でも、待っていられる時間が短くて…」
「……」
「……」
一瞬の沈黙があった後、ふいに桜子が
「龍之介君、さっき一緒にいた娘は?」と訊ねる。
「あ、ああ、唯の事?」
龍之介の顔に一瞬だけ(まずいことを聞かれたな)という表情がのぞく。
「ふーん、唯ちゃんって言うんだ…」
桜子は全く表情を変えずに次の質問をしてくる。
「唯ちゃんって、龍之介くんの彼女なの?」
龍之介にとって、一番答えにくい質問である。
「え、う、うん、一応は…」
明かに動揺しているのがわかる素振りで、龍之介が答えた。
「でも、あの時好きだったのは桜子ちゃんだったんだ」
すかさずフォローをいれる龍之介。しかしその気持ちは嘘ではない。
「龍之介君…」
桜子も少しだけ動揺する。
「桜子ちゃんが死んだと思っていたから、もの凄く落ち込んでいた俺を、
励ましてくれたのが唯なんだ。それまでは、妹みたいな存在だったから…」
自分の気持ちを素直に言葉にする。
「唯ちゃんの事、好きなんだね」
桜子はまたその想いを理解した。
「……」
「私、龍之介君の事…好きだったの…」
そして、龍之介の気持ちを理解したうえで、自分の想いを告げる。
「桜子ちゃん…」
龍之介は一歩、桜子に近づく。
「ううん、今でも…」
「桜子ちゃん、俺…」
桜子は龍之介の口に手をあて、言葉を遮る
「龍之介君、いいの…」
「……」
「……」
再び沈黙。
今度は少し長い沈黙。
「龍之介くん、優しいから…」
「……」
「きっとやさしい言葉をかけてくれる…」
「……」
「でも、言っちゃだめ。きっと後悔しちゃうから…」
そう言って桜子は龍之介の口にあてていた手をどけて、自分の唇を重ねる。
「……」
「……」
一番長い沈黙。
心地好い沈黙。
桜子が離れるまで一分ちょっと、二人の時間は止まっているようだった。
「龍之介くん、今日までありがとう。こんな気持ちになれたのは龍之介くんのおかげだから…」
桜子は一歩後ろに下がって話を続ける。
「八十八病院の先生が言ってたの。今までどちらかというと沈んだ気持ちだったのが、
ある日突然がらりと変わったって…」
「ある日って?」
思わず訊ねる龍之介。
「龍之介くんと初めて会った日よ」
今度はくるりと背を向けて話を続ける。
「長い入院生活で身体と言うよりも心が病んでしまっていたみたいだったの。
でも龍之介くんに会ってからは気持ちが前向きになっていって、身体もだんだん良くなっていったの」
桜子はゆっくりと一歩一歩歩き出す。
「それに、速く元気になって龍之介くんとデートしたいなとか考えていたんだ」
桜子に合わせるように龍之介もゆっくりと歩き出す。
「こんなに元気になれたのは龍之介くんのおかげなの。だから今日までありがとう…」
桜子の声が少しかすれてくる。
「桜子ちゃん、今日までって?」
龍之介は少しペースを早めて、桜子と並んで歩く。
「今日までの龍之介くんへの気持ちは、さっき渡したから…」
桜子の頬にきらりと光る雫がひとすじ、太陽の光に照らされてまるで真珠のようである。
「今日までの私はもういないの…病院で龍之介くんと初めて会った私は…」
桜子は足を止め、龍之介の方に向き直る。
そして、
「龍之介くん、ありがとう」
と言い残し校舎の方へと駆けていく。
桜子の顔には涙の痕がはっきりと残っていた。



 「お兄ちゃん、遅かったね」
「遅いぞ、龍之介」
「まったく、相変わらずだな、おまえは」
龍之介が体育館に行くと、席を取って待っていた唯の隣に、あきらと洋子が座っていた。
「悪いな待たせちまって」
「もうすぐ始まるよ、お兄ちゃん」
「龍之介、女の子ナンパしてたんだって?」
洋子が龍之介をつつくように聞いてくる。
「誰がそんなことを言ってたんだ?」
とぼけた顔で聞き返す龍之介。
「唯がうるさくってさ…」
「龍之介、唯ちゃんを泣かすような事だけはするなよ」
「お前か、唯」
「だって、心配だったんだもん…」
龍之介は、唯をじっと睨んでいたが、
「心配なんかする事ないぞ、俺の一番大切なのは…だから」
「えっ、なんて言ったの?お兄ちゃん」
「何でもねーよ」
とぼける龍之介。
「今、なんか言ったでしょ!」
しつこく聞き返す唯。
この後可憐のライブが始まるまで、ずっと繰り返す二人であった。

FIN


(1997.11/ 3 とのさま)

[戻る]