小説
2002. 1/ 8




おるすばん


 コンコン…
「龍之介くん、まだ起きてるかしら?」
龍之介はベッドの足元の方へ読んでいた雑誌を放り投げ、ゆっくりと体を起こす。
読むといっても半分は寝ているような状態で、ページも捲らずにぼーっと眺めていただけだったのだが、
ノックの音で半睡状態から目がさめる。
立ち上がり大きく伸びをしてから、ゆっくりドアに近づき左手でドアをあける。
「どうしたの美佐子さん?こんな時間に珍しいね」
時間は夜中の十二時をまわっていた。
確かにこの時間に龍之介の部屋に美佐子が来るのは珍しいことであった。
「ごめんなさい、起こしちゃったみたいね」
「ううん、別に起きてたから平気だよ」
そう言った龍之介の頬には涎の跡がついていた。
「そう言うと思ったわ…」
小さな声で美佐子は呟いた。
「えっ、なんか言った?」
「ううん、何でもないわ…」
そう言って美佐子は優しく微笑む。
「そんなとこにいないで中に入れば?」
龍之介は後ろに下がって美佐子を促し、美佐子は部屋に入って、後ろ手にドアを閉める。
「そういえばこんな時間にどうしたの?」
龍之介はベッドに腰掛けてから、美佐子に訊ねる。
「龍之介くん、明日は何か予定入ってるのかしら?」
今度は美佐子が訊ね返す。
龍之介は一瞬考えてから
「別に何も予定はないけど、何か用でもあるの?」
と言った。
美佐子は少しほっとした表情を見せて、今度は少し遠慮気味に
「明日、お店を頼めるかしら…?」
と龍之介にお願いする。
「オッケー、店番ぐらいなんてことないよ」
龍之介は二つ返事で快諾した。
それを聞いて美佐子はほっとしたのか胸を撫で下ろし、そして話を続ける。
「明日はお店の貸切が十二時から三時まであるのよ、だからお店を開けるのはその時間だけでいいの。
それと一応唯にも手伝うように言っておいたから」
「えっ、俺一人で大丈…」と龍之介が言いかけると
「唯がそれを聞いたら大喜びして、『明日はがんばるんだ』って言って十時ぐらいに寝ちゃったわ」
龍之介は何か言いたげだったが、一言だけ「…まぁいっか」と呟いた。
「料理なんかは朝のうちに作っておくから、盛り付けと飲み物だけお願いするわね。
あとの詳しいことは唯に話しておいたから」
そう言って美佐子は部屋を出て行こうとしてドアを開けたとき
「美佐子さん、貸切の客ってどういう人なの?」
と龍之介が聞いてきた。
「若い女の子だったわよ。たしか十人って言ってたわね…」
そう言って部屋を後にする美佐子。ドアを閉める瞬間に顔だけのぞかせて、
「龍之介くん、唯と仲良くやってね」と言い残して下に降りていった。
次の瞬間、
「くぅー、それを先に言ってほしかったぜ。そうすれば何が何でも俺一人で店番したのに…」
と拳を握り締め悔しがる龍之介だった。


 トントントン…
コンコン!
「お兄ちゃん、起きて」
「………」
夢も見ないほど熟睡している龍之介。
コンコン!
「お兄ちゃん、入るよ」
「………」
ノックの音にもまったく反応しない。
ガチャ
「お兄ちゃん!もう十一時だよ」
「…うーん、もうちょっと寝かせてくれ」
やっと、少しだけ反応を示す。
ユサユサ…ユサユサ…
「お兄ちゃん!十二時になったらお客さん来るんだからね」
「…んー、なんだよ客って」
昨夜のことなどまるっきり頭にない龍之介。
ドンッ
ついに唯が強硬手段にでる。布団の上に馬乗りになる。
「お兄ちゃん!!今日お母さんからお店の事頼まれてるんでしょ!」
「………やべっ、そうだった。すっかり寝坊しちまった」
龍之介は起きようとするが、体が重くて動けない。
「唯、いつまで乗ってるんだよ」
「お兄ちゃんがすぐに起きないのがいけないんだよ」
と言いながら、龍之介の布団から降りる。
「早く、支度してね降りてきてね。お兄ちゃんの朝ご飯できてるよ」
そう言い残し唯はいそいそと、下に降りていった。
龍之介も勢いよくベッドから起きあがると、急いで着替えて降りていった。
龍之介はテーブルに用意されたサンドイッチを口に入れ、冷蔵庫から牛乳とドレッシングを取り出す。
二つ目のサンドイッチを食べながら、牛乳をコップに注いで一気に飲み干す。
三つ目のサンドイッチを頬張りつつ、皿に盛られたサラダにドレッシングをかける。
この間、一分十五秒。
四つ目のサンドイッチを味わい、キッチンの引出しからフォークを取り出しサラダを食べ始める。
食べ終えた皿をシンクにつけるとちょうど三分である。
「よし、店に行くか」
神業?とも言える早業で朝食を終えて、店に向かう龍之介。
店に入るとカウンターの中で唯が料理を盛っていた。
「お兄ちゃん、そこにあるエプロン使っていいよ」
カウンターの上に置かれている、きれいにたたんであるエプロンを広げて目を丸くする。
「唯、俺にこのエプロンを使えっていうのかよ!」
黄色地にペンギンがところ狭しと描かれているエプロンと手にして唯をせめる龍之介。
「唯のお気に入りなんだ。お兄ちゃんだから特別に貸してあげるね」
唯は料理の盛り付けを続けている。
「こんな恥ずかしいエプロン付けれるかよ」
カウンターの上にエプロンを戻す。
「大丈夫だよ、お兄ちゃんならきっと似合うよ」
「似合いたくないんだよ!」
ぷんぷん怒る龍之介。
「もういいや、今日は美佐子さんのエプロンを使うよ。唯、美佐子さんのエプロンどこにある?」
リビングに戻ろうとしている龍之介に向かって唯が言った
「お母さんのエプロン洗濯中だよ」
その場でがっくりする龍之介。しかたなくペンギン柄のエプロンを手にして
「唯、お前のエプロンとかえてくれ」
と最後の抵抗を試みたが
「いいよ、色違いのお揃いだから。お兄ちゃん赤の方がよかったの?」
カウンターから出てきて、エプロンをとろうとしている唯に
「わかった、こっちでいいや…」
としゃがみ込む龍之介だった。



 「唯、今何時になる?」
最後の料理を盛りつけながら龍之介が言った。
「十一時五十五分だよ」
テーブルに料理や取り皿、グラスなど並べながら唯が答える。
「なんとか間に合ったな…」
と言って最後の一皿をテーブルに運んでいく龍之介。
「さてと、後は客が来るのを待つばかりだな」
「お兄ちゃん、間に合ってよかったね」
などと話していた瞬間
「わぁーおいしそう」
「でしょ、ここって結構評判いいのよ」
「美里さんって、お酒ばかりじゃなかったんですね」
「食べる方はね、でも作るのはねぇ…ミ・サ・ト」
「うるさいわねぇ、人よりちょっと苦手なだけじゃない」
「あんな物食べさせておいて、ちょっとって事はないんじゃない」
「リツ子、あんたはだまってて」
という風な、騒がしい一団が入って来た。
龍之介と唯は思わず唖然として、いらっしゃいませと言うのも忘れていた。



 「ふーっ、めちゃくちゃよく喋る連中だったな」
貸切の一団が帰った後、後片付けもようやく一息ついたころ龍之介が唯に話し掛ける
「うん、凄かったね。思わず圧倒されちゃった」
それまでは黙々と後片付けをしていた二人だったが、一息ついてようやく落ち着いた様子であった。
美佐子が用意した料理だけでは足りなくて、追加でいろいろ注文されてしまい、
慣れない仕事を二人で三時間、休まず動き続けたのだから仕方がないことであった。
「お兄ちゃん、お腹空いてないの?」
不意に唯が聞いてくる。
時間は四時をまわっていた。
「少しな…、唯は空いてないのか?」
今度は龍之介が聞き返す。
「うん、ちょっと空いたかな」
「そうか、ちょっと夕飯には早いしなー」
龍之介がどうしようか悩んでいると、唯が微笑みながら言ってくる
「お兄ちゃん、お茶しよ」

FIN


(1998. 8/23 とのさま)

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