小説
2003. 3/ 6





first love

 198X年
『まもなく、1番線に電車がまいります、白線の内側でお待ち下さい。』
そうアナウンスが告げると、三十半ばの紳士はホームのベンチから腰を上げた。隣に座っている男の子も一緒になってベンチから降りる。
「たぶんこの電車だろう…」
そう言いながらホームの端の方へと歩き出す。そして先頭車両の一番前のドアが開くポイントまで移動する。
「父さん、さっきもその前もそう言ってたよね」
男の子は父親の後を追うように歩きながら退屈そうに言った。
この親子がホームにきてからすでに50分が過ぎようとしていた。こうしてベンチから立ち上がるのはこれで4度目である。
父親はネクタイを整えながら、隣でしゃがみ込んでいる男の子に言った。
「りゅうのすけ、電車が入ってきたら立ち上がるんだぞ。それとポケットに手を入れてはいかんぞ。大事な相手を迎える時は最初の一瞬が大事なんだからな。」
そう言っている間に電車が視界に入ってくる。りゅうのすけは立ち上がり父親の顔を見上げた。
「この電車にいなかったら、明日も何でも好きなものを食わしてやる」
りゅうのすけは、父のその言葉を聞いてうれしそうに頷いた。
つい10分まえにも…
「この電車にいなかったら、今日は何でも好きなものを食わしてやる」
という約束が交わされたばかりだった。
そして電車が入ってくると少し緊張した面もちで、先頭車両を待つ。
電車が徐々にスピードを落としながらホームに入ってくる。そして親子が並んで待つ場所にピタリと止まる。
プシュッ
ドアが開いて数人が降りてきたが、肝心の相手の姿はなかった。車輌を間違えたかとホームを見渡すがどこにもそれらしい親子の姿などなかった。
「父さん、この電車にもいないの?」
りゅうのすけはうれしそうな顔で父親に訊ねる。
「約束だからな。明日も好きなものを食っていいぞ」
そう言いながらまたベンチの方へと歩き出す。
明日の夕食は何にしようか、夢中で考えながらりゅうのすけも父の後を追った。
あらかじめ予定の時間より早く来ていたわけではない。相手が時間に遅れているわけでもない。それなのになぜかこんな待ちぼうけをくってしまっているのは、
りゅうのすけの父が待ち合わせの時間を書いた紙を、破り捨てた論文と一緒に捨ててしまったのである。
"一度交わした約束事の確認をするなんて、男のする事ではない"と言い張ってはばからなかった父親が
"昼過ぎに待ち合わせしたのは確実だ!"と言って12時から待つことになったのである。
『まもなく、1番線に電車がまいります、白線の内側でお待ち下さい。』
時計の針は1時を指そうとしていた。再び立ち上がりホームの端まで移動する二人。
「この電車にいなかったら、明後日も何でも好きなものを食わしてやる」
「ううん、今日のお昼がいい」
駅に来てそろそろ1時間になろうというところ、お昼ご飯も食べずに1時間近く暇な時間を過ごしているのだからりゅうのすけにはたまらない。
お腹の虫も騒ぎ出す頃である。
ホームに電車が入ってくると、やはり少し緊張気味で先頭車両を待つ二人。
先頭車両が二人の前に到達したときに父親の口元に笑みがこぼれた。ドアの開く前から品の良い美人がドアの前に立っていたのである。
そしてその傍らには母親の後ろに半分隠れるように幼い女の子がちょこんと立っていた。
プシュッ
ドアが開くと同時に、電車から2メートルぐらいのところにいたりゅうのすけの父が一歩踏み出す。父親の後を追うようにりゅうのすけも動き出す。
女の子の手を引き電車から降りてきたその女性は、幼い女の子と姉妹ではないかとと見間違えるほど、若くて美人であった。
傍らにいる女の子もまた、母親似なのか、かわいい顔をした女の子であった。
母親を亡くしていたりゅうのすけだが、これから母親がわりになるこの女性に少し見とれてしまっていた。そしてその娘にも。
「お久しぶりです。鳴沢美佐子さん」
りゅうのすけの父は美佐子に一礼をすると
「久しぶりだね、唯ちゃん」
と言い、唯の頭をなでた。
「この度はお世話になります。」
美佐子が深々と頭を下げる。そして横にいた唯もペコリと頭を下げる。
「そんな事しないで下さい。無理言ってお願いしたのはこちらの方なんですから…」
りゅうのすけの父は美佐子の荷物を手に取って
「さぁ、お昼ご飯でも食べに行きましょう!」と三人を促した。
「あっ、そんな、自分で持ちますわ…」
「いいんです、これぐらいのことはさせて下さい」
それを見たりゅうのすけは、唯の持っていたカバンを手に取り先に行くように促す。
「持ってやるから先に行けよ。」
少し照れながらぶっきらぼうに言うりゅうのすけに唯は素直にお礼を言う。
「…ありがとう。」
「おう!」
先に行く大人二人を見るように、りゅうのすけと唯は後をついていった。
「俺、りゅうのすけ。よろしくな」
「…私は唯。よろしくお願いします。」
ぎこちない挨拶をすまして二人は顔を見合わせて笑ったのだった。

 「さぁ、ここが新しいお家だよ唯ちゃん」
タクシーを降りた四人は喫茶店『憩』の前にいた。
「ここがお家なの?」
憩を見ながら、唯が不思議そうにりゅうのすけに尋ねる。
「あっちが家だよ」
憩の奥に見える二階建ての家を指さしりゅうのすけが言った。
「なんとか仲良くやれそうだな」
「ええ…」
子供二人の仕草を見ながらりゅうのすけの父と美佐子は微笑んだ。
「こっちだぞ。」
家の玄関まで唯の手を引っ張っていくりゅうのすけ。
「りゅうのすけ、女の子はもっとやさしくエスコートっするもんだぞ」
父はからかい半分でりゅうのすけに言った。
そして美佐子の手を取り「さぁ、美佐子さん行きましょう」と家の中に促すのだった。
 家の中に入り各部屋を案内した後、りゅうのすけの父は美佐子に憩を案内するというのでりゅうのすけに唯の部屋に案内するように言いつける。
「おう、こっちだぞ。」
相変わらずぶっきらぼうなりゅうのすけの話し方だったが、時間が経つうちに唯の方から慣れていった。
「うん。」
二人は二階に上がり、まず唯の部屋にいく。
「ここだぞ」
りゅうのすけがドアを開け、唯を先に部屋に入れる。
「うぁー、ひろーい」
思いがけない広さの部屋に唯は驚いたが
「あっ!ベッドがある。このベッド唯が使っていいの?」
初めての自分だけのベッドに唯は大喜びではしゃぎまくる。
「唯、こんな広いベッドが欲しかったんだ。それでねぬいぐるみをいっぱいおくんだ」
大喜びする唯を見ているうちにりゅうのすけもだんだん自然な話し方になっていく。
りゅうのすけと唯はしばらく話し込んでいたが、ふとしたきっかけで唯が
「りゅうのすけ君の部屋を見てみたいなぁ」と言い今度はりゅうのすけ部屋に行くことになった。
幼なじみの友美以外でりゅうのすけの部屋に入る娘は、唯が初めてであった。
「わぁ、ここがりゅうのすけ君の部屋なんだ」
「散らかってるからあまり見るなよな」
少し照れくさそうに言う。
「それと、りゅうのすけ君ていうのやめろよな」
「えっ、じゃあなんていえばいいの?」
「りゅうのすけでいいよ。同い年なんだから」
「えー、そんな風に言えないよ。」
唯は少し考えて
「じゃあ、お兄ちゃんて呼んでもいい?」
りゅうのすけも少し考えたが
「勝手にすればいいだろ」と言った。
「うん、じゃあこれからはお兄ちゃんて呼ぶね」
「お兄ちゃん!」
「おう」
「これから、よろしくね!」
「おう」

数年前に母親を亡くしたりゅうのすけにとって、いきなり新しい家族が増えると言われてもすぐに理解できるものではなかった。
しかし実際こうしてふれあってみると、家族の温かみをやはり感じるのである。
母親を幼くして亡くし父親が考古学者で世界中を飛び回っているおかげで、家族とのふれあいが極端に不足していたりゅうのすけにとって、
母親代わりとなる美佐子と同い年だが妹のような唯の存在を快く迎える事は容易い事であった。
唯とりゅうのすけ、美佐子とりゅうのすけの父、この新たな出会いから様々な物語が生まれていくのであった。
そして恋の物語へと…

to be continued


(1998. 8/23 とのさま)

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