| 1億300万円の熱い魂を国に叩きつける |
十一月十一日、人々の「熱い魂」を国に叩きつける行動が行われた。午前十時半、九段会館前に「さあ受け取れ!一億三百万の熱い魂だ」という横断幕。人々が集ってくる。
今春、国は管制塔元被告に対する給与差押の強制執行を突如行ってきた。十年前の最高裁判決後、国はほとんど損害賠償の支払い請求を行ってこなかった。ところが、今年に入ってから暫定滑走路北伸決定に合わせるように給与差押強制執行の挙に出てきた。しかも年五%の利息で四千四百万円が一億四百八十万円まで膨れ上がっていた。
これに対して七月、一億円カンパの呼びかけが行われた。九月十八日の集会のあとも全国からカンパが寄せられ、十月末までに目標を突破。カンパを寄せてくれた人は二千人以上に達した。
たたきつけ行動に参加した六十人は徒歩で九段合同庁舎へ。十一時過ぎに銀行から下ろした一億四百万円を抱えた元被告たちが到着。一億円の束を袋から出して、皆に見せた後、庁舎地下の会議室へ。元被告・弁護士以外は庁舎に入れないということだったが、支援者と報道陣も会議室まで入って撮影。
その後、庁舎中庭で待機していた支援者の前に出てきた前田道彦さんが強制執行取下確約書、領収書を掲げる。中川憲一さんの「二十七年間の強制執行に対する全国の仲間の怒りを叩きつけてきました。二十七年間の鎖から解放されました」という宣言に大きな拍手が起こった。
その場でテレビ局のインタビューが行われた。感激でしばし絶句していた中川さんは「これほどのカンパが集るとは思っていなかった。二十七年も経っているのに、全国の仲間が目的を達成してくれた。我々十六人は解放されました」
事件は終わったかという記者の問いに、中川さんは「滑走路北伸の動きもあり、暫定空港がある限り、三里塚闘争は永久に続く」ときっぱりと答えた。
今、二千人が管制塔に駆け上がった
十一日夜には全水道会館で管制塔元被告連帯基金大勝利報告集会が被告団、声明の会、連帯サイトの主催で開かれ、百五十人が集った。三・二六のパネルやステッカーなどでデコレーションされた会場の正面には「今、二千人が管制塔に駆け上がった」という大きなパネル。声明の会の白川真澄さんの司会で集会は進められた。
冒頭、被告団事務局の中川さんは「国・公団に対する怒りを全国の仲間と共に叩きつけてきた。私たち二千人、一人一人の勝利だ。カンパ総額は、十一月八日までで一億一五二一万四九〇七円に達した。七月からの損害賠償に対する闘いは本日をもって勝利したことを宣言したい」
虎頭昭夫弁護士は「カンパで集めると言い出したときは、とても集るとは思っていなかったが、どんどん集りだした。今回の運動が新しい運動のきっかけになればと思う」
たたきつけ行動には被告団十六人中十人が参加。十人全員が思いを語った。
藤田雄幸さんは「長い間、運動から遠ざかっていたが、無理やりこういう場に引きずり出されて、半分うれしい。当時は無我夢中で、やってよかった」
若林一男さんは「人前に出るのをずっと避けていたが、今日だけはお礼を言いたかった。本当に生きていてよかった。いい人生だ」
高倉克也さんは「損賠のことがあって、家は買わず、報酬は現金でもらっていた。救対の人と『将来は野垂れ死しかない』と話し合ったこともある。
未決四年、長野刑務所二年を出所の時に、『歴史は私に無罪を宣告するだろう』をもじって、『歴史はいつか三里塚闘争に無罪を宣告するだろう』と話したら、他の囚人から喝采された。闘いはこれからも続く」
中路秀夫さんは「主役は私たちではなく、ここに集まった皆さんだ。働いている会社の社員三十五人の半分がカンパしてくれた。どうして、こんなに集まったのか。二千人それぞれの思いを聞きたい」
前田さんは「本当にありがとうございました。これで解放されたというだけでなく、後ろに何千人の人がいるかと思うと涙が出る。払う立場が強いということがよくわかった。普通、抗議する人は門の外。なのに、今日は現金を広げても文句を言われない。向こうの気持ちがよくわかったのが、旧空港公団の対応。金を数えている途中で、取り下げ書を渡してよこした。これはとても気持ちが良かった。
自分たちは、ただみこしに乗っただけだと思っている。我々はこれから悪いことはできない。悪いことは悪い、おかしいことはおかしいといわなくては生きていけなくなった。
カンパを集めてくれたのは二千人だが、そのほかにもっと大勢がカンパしてくれたと思う。『いざとなったら二千人』はものすごい力。三カ月で一億円集めるのはでかい力。皆さん自身がこういう力を持っているとつくづく思った」
和多田粂夫さんは「払うしかないという結論になった時に、こんな動きになるとは夢にも思わなかった。当時の三党派四千万円、残り六千万円を元被告が借金して出すと考えた。柘植さんがインターネットを使って集めると言い出した時、集まるわけないと思った。このような動きになるとは夢にも思わなかった。時代が変わったと思う」
原勲と共に被告団は17人
中川さんは、故原勲の遺影を示しながら「管制塔被告団は十六人ではなく、原を入れて十七名。原はプロ青同で当時私と同じ所属でした。三月二十六日の前日から、マンホールで一晩を過ごして、一時に出るというときに私たち四人は意志統一した。太田は『俺は十六階に行く。あとの三人は後続だが、もし行けるんなら十六階まで来てもいい』。私は一階で逮捕されなければならないのに十六階まで行った」
そして、言葉をつまらせながら「意志統一した後、四人で手を握り合って、津田が『俺たち四人、死んだって恨みっこなしだぜ』。それから管制塔に駆け上りました。原は死んでいないが、今でも管制塔被告団と一緒にいると思っています。九ゲートで死んだ新山も。八ゲート、横堀要塞で闘った何千人もの仲間も共に闘った。原と一緒に酒を飲んで、今日の喜びを味わいたかった。三里塚の闘いが勝利するまで一緒に歩んでいきたい。ありがとうございました」と涙ながらに語った。
応援歌に続いて、カンパ運動で大きな役割を果たした連帯サイトの仲間、連帯基金呼びかけ人などからの発言が続いた。
元合宿所現闘のこまわりさんは「今回、信頼感、連帯というのが大事だと思った。お金を出すことでこちらが救われるという思いをした」
「原の墓守」の大森万蔵さんは「三・二六ではプロ青同・青年先鋒隊のメンバーとして八ゲートから突入した。悔しかったのは、原君を奪還した直後に命を絶つということを防ぎきれなかったこと。原と闘った仲間の意志を現地で引き継ごうと、横風滑走路を阻む墓地で毎年四月第二日曜日に、原のことをさかなに花見を続けている。
私たちは今回の運動を通して、原のこと、管制塔被告団のこと、あの戦いを忘れない。そして、あのときの自分自身を忘れない。そういう思いでカンパ運動に参加した。運動の力が違う形をとって違うところで開花すると願っている」
吉川勇一さんは「最近、砂川闘争などの五十周年の集会に出たが、十代〜三十代の新しい変革への思いは時が経っても変わらない。管制塔も五十周年の集会をやってほしい」
声明の会の柘植洋三さんは「どうして言いたいことをいわせていただきたい。きのう被告五人と今日の打ち合わせしているところに、『SENKI』コピーがきて、『ブントとして言うべきこと』という山根克也論文が載っていた。私の名前がやたら出てくるが、私が出ている箇所は必ず削除してください。そこにいた五人の被告は涙を流しながら怒っていた。どこに怒っていたかというと被告に触れた部分です。書いた人は分かっていると思うが、なんてことを書くんだ。そこのところ、よく考えて物を言っていただきたい」
エピソードを紹介した後、「九ゲートに突入した部隊の四人が火だるまになって、新山が死んだ。それがなければ管制塔突入はなかったかもしれない。帰りに新山に声をかけてやってほしい」
最後にインターナショナルを歌い、会を閉じた。たたきつけ行動は各紙、NHKニュースなどで報道された。十二月二十四日には被告団がお礼の会を日本教育会館で開く。
私たちのカンパの呼びかけ(工人社口座)には、十月末までに千百十一万二千七百円が寄せられ、連帯基金に振り込みました。私たちも、改めて三里塚闘争の大義に確信を持ち、粘り強く闘い続ける決意を新たにしています。皆さん本当にありがとうございました。