『グローカル』723号(2008/06/01)より

ブラジル・サンパウロ

グローバル・グリーンズ 第2回世界大会

次世代の「緑の政治」を目指して

重松朋宏(国立市議会議員)


七年ぶりの世界大会

グローバルグリーンズ世界大会=08年5月4日

 五月初め、ブラジル・サンパウロ市でグローバル・グリーンズ(緑の党・緑の政治運動の国際組織)世界大会が開かれ、私も日本派遣団の一員として参加してきました。
 世界大会は〇一年に第一回がオーストラリア・キャンベラで開かれ(本紙五八九号)、実に七年ぶりの開催になります。第二回大会はもっと早く開催する予定でしたが、延びて今年になりました。開催地も、予定されていたアフリカ・ケニアが国内政治情勢等の理由で変更され、汎米緑の党連盟のサポートを受けたブラジルで開催されることになりました。
 「グローバル・グリーンズ」に登録されているのは、「虹と緑の五〇〇人リスト運動」、「みどりのテーブル」、研究者・NGO関係者などでつくる「エコロ・ジャパン」、「神奈川ネットワーク運動」の四団体です。今回の世界大会には神奈川ネットは参加せず、エコロ・ジャパンから二人、そして虹と緑とみどりのテーブルは共同して「グリーンズ・ジャパン」名で登録して約二十人で参加しました。全体会議では一国あたり三票が振り分けられるので、エコロ一票とグリーンズ二票で分けました。
 第一回大会ではグローバル・グリーンズ憲章が採択され、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ・アジア太平洋(〇五年京都会議で発足)の四つの地域組織とコーディネーション機構が活動を始めています。昨年はケニアで三五歳以下の青年組織、グローバル・ヤング・グリーンズが結成され、川田龍平・現参議院議員も参加しています。開催予定の先延ばしや変更にみられるように、組織的・財政的実体は様々な困難を抱えていることは否めませんが、この七年間、少しずつ着実に活動を前進させてきたといえるでしょう。
 第一回キャンベラ大会後、九・一一事件があり、アフガン・イラク侵略戦争があり、今や地球温暖化問題が最大級の政治課題となる中で開催された今大会では、憲章を具体化する「二一世紀の二一の提言〜グローバル・グリーンズ気候アクションプラン」の採択が最大の目標となりました。その他に大会決議の採択や、全体シンポジウムとワークショップ(分散会)の開催などがスケジュールに入っています。スローガンは九二年のリオ環境サミット以来の「Think globally,act locally グローバルに考え、ローカルで行動し
よう」から発展して、「Think and act globally and locally グローバルかつローカルに考え、行動しよう」です。
 私が参加したのは、四月三十日から五月四日までの五日間です。四月二十九〜三十日はヤング・グリーンズの会議。五月一日から四日までがグローバル・グリーンズの会議というスケジュールでした。参加国は第一回大会から増え八十八ヵ国、参加者は七、八百人、半分近くは地元ブラジルからの参加だと思われます。オーストラリア、台湾、日本は二十人規模で送り込んでいましたが、組織も大きなヨーロッパの緑の党の存在感が思っていた以上に薄かった気がします。運営の中心はオーストラリアでした。

緑の政治を担う新世代

 〇一年第一回大会には日本からは四十人を超える大集団が参加し、大会のエネルギーを日本に持ち帰った参加者たちが、その後の日本の緑の政治運動の中心を担ってきました。戦略的には、地域(ローカル)と海外(グローバル)の緑の政治運動の盛り上がりによって、みどり空白の国政をサンドイッチする、ということになるでしょうか。ところがこの時の日本派遣団は団塊の世代が中心で、参加者の平均年齢が比較的若かった大会全体の中では、やや雰囲気を異にしていたといいます。
 そのリベンジというわけではありませんが、今大会では、「みどりの政治」を担う次世代の養成を視野に入れ、虹と緑、みどりのテーブルは若い世代を積極的に派遣する方針を立てました。参加費用は一人四〇万円以上、オプションのコスタリカ・ツアーを入れると六〇万円を超えます。お金のない学生でも参加できるよう、参加しない人たちも渡航費用を援助しました。その結果、地方議員や活動家だけでなく、今年から議員インターンに入ったばかりの学生なども参加し、すっかり「ちょいグリーン」に染まって帰国しました。サンパウロの緑の党議員からは「日本からはこんなにたくさん参加、しかも女性と若者が多い(若者と女性の割合は、それぞれ半分強)! ブラジルもがんばらなくては!」と言われましたが、実は全国から根こそぎかき集めただけだったりします。
 同様に、大会運営委からは低所得国からの参加者や若者へのカンパも呼びかけられ、日本を含む多くの組織からの援助がありました。大会文書ファイルや会場バナーに掲示された各国のグリーンズのロゴは、スポンサーとなったグリーンズのものです。残念ながらグリーンズ・ジャパンはロゴがないので、ただのアルファベット表記ですが。
 世界大会の前に若者中心に十人が早めに出国し、コスタリカに寄っています。私はコスタリカ・ツアーには参加せず、直接ブラジルに向かいました。しかしブラジルは日本と地球の反対側、直行便はありません。アメリカで飛行機を乗り継ぐと、ほぼ二日間かかります。アメリカ(テキサス州ヒューストン)の乗り継ぎでは厳しい入国審査があり、ばっちり指紋と顔写真がとられ、出国時は靴を脱いでX線に通しました。九・一一以来のアメリカ政府の措置に対抗して、ブラジル政府はアメリカ人にのみ指紋と顔写真を採取しています。昨年から日本政府も外国人入国者の指紋と顔写真の採取を始めていますが、ブラジル政府は「日本人入国者にはビザを課している」との理由で対抗措置をとっていません。しかしこのビザじたい、日本政府がブラジル人にビザを課している対抗措置だったりします。日本政府の入管政策のせいで、ビザ取得のために何回もブラジル領事館に足を運ぶ羽目になりました。
 サンパウロに着いた四月二九日から二日間、グローバル・ヤング・グリーンズ会議が開催されていましたが、私達は二日目に参加しました。ここでも会場変更があり(ブラジル流?)、「なんとかコミュニティ・センター」と聞かされて向かった先は、街中の地下駐車場の一角、誰も気がつかないような場所。「地下組織の怪しい集会か!」と危惧(よりも密かな期待!)をしましたが、部屋自体は普通の集会室で、軽食や飲み物が用意され、穏やかな雰囲気でした。参加者は百人くらいでしょうか。私は午後から退席したのですが、その後、夜まで議論が紛糾したそうです。ヤング・グリーンズの若者達は、グローバル・グリーンズ大会が始まった後も、夜のパーティに繰り出す、ビーチに行くのだと盛り上がっていました。
 ヤング・グリーンズが用意したTシャツは中国のチベット弾圧に抗議する、手錠で五輪をかたちどったロゴ・デザイン(「国境なき記者団」が使って有名)でした。GG大会最終日にデモ行進をするとの話もありましたが、結局、開催されなかったようです。そのかわり大会ではチベット亡命政府の代理人がスピーチを行い、中国の弾圧抗議とダライ・ラマとの対話を求める決議が採択されました。

左派政権下の緑の党

 ヤング大会の途中で私たちオールドは、日系人で緑の党のサンパウロ市議を表敬訪問することになりました。ブラジルというと左派・労働者党のルラ大統領、赤く染まる南米の左派政権の中で緑がどのような位置に付けているのか、興味深いところです。ところが私たちを迎えてくれた緑の党活動家は、「ルラの党」に冷ややかな反応でした。そういえばルラ政権で幹部の汚職が横行していることが二年前のルラ大統領再選の頃に日本でも報道されていました。緑の党は、ルラ政権に参加し、閣僚を一人出していますが、原発建設やアマゾン開発を進め、遺伝子組み換え作物で妥協しているので、批判を強めています。
 そもそもブラジルは他の中南米諸国ほどには右派(新自由主義)と左派のイデオロギー的対立がなかった分、政治家の政党鞍替えも頻繁で、権力をとった政党が他政党の取り込みに走ったり、汚職・腐敗が横行することが多いようです。六〇年代に左派政権になった直後に軍事クーデターで軍政が敷かれ、八〇年代に民主化されるところまでは他の南米諸国と同じですが、その後、有名な債務不履行宣言とハイパーインフレの大混乱を経た後の九〇年代は激烈な新自由主義路線はとらず、軍政下に野党だった「中道左派」政権のもとで、「穏健な」新自由主義路線をとってきました。ルラ政権になった後、貧困な北部地域や貧困層向けの施策に重点を置きつつも、ベネズエラやボリビアのような反米・反資本主義路線とは一線を画しています。
 左右の対立よりも権力闘争が激化するので、政策的にはそれほど違わない中道的政党がいくつも乱立し、汚職が頻発します。大統領を輩出する労働者党の勢力も必ずしも大きくないので、共産党から中道政党まで政権に参加しています。緑の党は国政で四%弱の得票率、十三人の国会議員を輩出し、世界の緑の政治勢力の中では大きい方に入りますが、ブラジル国内では九番目くらいの小政党です。大統領や他政党の生産主義や汚職を批判し、独自路線を打ち出す緑の党ですが、内部での路線対立もあるようです。グローバル・グリーンズ大会二日目、会場入口で警備員に阻まれブーイングしながら、機関紙を撒く一団がありました。緑の党を除名された人たちが「緑の党幹部が腐敗に関与している」と主張しているそうです。
 共産党は緑の党よりも大きく、他にも様々な左翼政党が活動しているようです。サンパウロ中心部には数百種類の雑誌や新聞を並べたスタンドが百メートルおきくらいにありますが、共産党や第四インターの機関紙、場所によっては共産主義の古典リーフレットも売られていました。下の方に置かれた共産党機関紙を見つけて漁っていると、店員が「これはどうだ、これも共産主義本だ」と売り込んでくるので、マニアしか買っていかないのかもしれませんが。

ブラジルのメーデー

 ブラジルでは五月一日のメーデーは休日になります。日本と違ってものすごく盛り上がるのではないかとの期待ははずれました。中道から左派まで取り込んで権力を握った労働者党政権下では、労働組合から政権批判は消え、「我々が権力を取ったんだから、反対よりも提案を」というトーンで染まったようです。村山政権下の対話路線の「連合」みたいなものでしょうか。しかも新たな政権幹部の汚職が発覚し、今年は連休になって行楽に出かける人も多く、盛り上がらなかったとの報道です。
 サンパウロ市内では四カ所でメーデーが開催されましたが、夜のテレビニュースで映されたメーデーは人気歌手のコンサート風景ばかり。日系紙には左翼政党のデモでパンクの若者四十人がちょっと暴れて警察に連行された記事が小さく載っていましたが。五日のサッカーの試合で地元チームが州リーグで優勝したときの方が、応援旗を掲げて走り回る車や、気勢をあげながらスタジアムに向かうファン、試合後の暴動など、もの凄かったです。
 そうは言っても、サンパウロだけで百万人以上の参加者があり、連合メーデーのようなグダグダ感はなく、人気歌手のコンサートとはいえ「労働者の祭典」的雰囲気はあります。政治家の演説も身振り手振りが大げさで、とても戦闘的な感じです。新聞にはメーデーの案内が載り、夜のニュースは中南米各地やヨーロッパのメーデー報道一色です。

サンパウロ市議会

 サンパウロ市は南米最大の都市(人口千百万人)です。八年前に左派・労働者党市長が、中道左派・社会民主党市長になりましたが、その人が今度はサンパウロ州知事になったため、今秋までの任期いっぱい、副市長(右派政党)が市長に繰り上がっています。新市長は屋外広告を全面禁止する条例を成立させるなど辣腕を振るっており(そのため、あまり人気はないらしい)、今秋市長選を意識しているのか、GG大会でも挨拶をしました。
 一千万都市ですが、東京のように行政区はなく、市議会の定員も五十五人しかいません。そのうち緑の党議員が三人、日系議員も候補者乱立で三人しかいません。日系で緑の党の唯一の議員がアウレリオ・ノムラ議員です。表敬訪問で呼び出された私たちは、赤じゅうたんが敷かれた応接室に通され、大変恐縮しました。議員報酬は円換算で月四十万円強、東京都議の半分以下、私よりも少ないのです。地域の名士による名誉職なのでしょうか。そのかわり、公費の政治活動費が八十万円近く支給され、ノムラ議員の庁舎内事務所スタッフは十二人もいます。庁舎内事務所自体が、日本の国会議員会館の倍以上の広さがあります。
 議場は日本の地方議会をより合理的・シンプルにしたような雰囲気です。演台には車椅子用エレベーターが設置され、正面上には十字架とキリスト像が設置されています。半円形に並ぶ議員席の前の執行部席の数は少ないので、実質的な議論は委員会主導なのでしょうか。議会の委員会が市民向け公聴会を行っている場面を見ることができました。会議室の前に委員が六人くらい並び、前に座った市民に説明したり意見を聞いたりするようです。記者会見場では、ジーンズの若い女性市議(左翼政党)が市長選立候補の記者会見を開こうとしていました。当選の可能性は少なく、これから候補者を絞り込む中で、彼女の所属政党が有利に影響力を行使するために先に立候補表明をしているのではないか、とのことでした。

持続可能な都市と貧困

 巨大都市で開催される今回のグローバル・グリーンズ大会での主要テーマは「気候変動」「生物多様性」「持続可能な都市」でした。五月一日、大会の開会に先立って開催された、ドイツ緑の党のシンクタンク「ハインリッヒ・ベル財団」の講演とワークショップのテーマは「持続可能な都市と都市ガバナンス」。環境都市というと欧米のイメージがあり、ドイツやサンフランシスコからも提起がありましたが、印象深かったのは「連帯」「参加・対話」「多様性」こそが「持続可能性」のカギであるというアルゼンチンからの提起です。
 経済的成長を続けるブラジルの大都市・サンパウロは中心部に超高層ビルが立ち並び、コスタリカから参加したメンバーの目には「持続可能性と対極の都市」に映ったかもしれません。しかし「持続可能な都市のための二〇%クラブ」にも参加するサンパウロ市は、膨張する都市のエネルギーを持続可能なものにしようと、もがいているように見えました。
 ブラジルもアメリカと同様、典型的なクルマ社会ですが、アメリカと違って大半が小型車です。公共交通には力を入れていて、地下鉄は均一料金で五分おきに発着し、特にバス路線は充実しています。架線から電気をとるトロリーバスや連接バス、郊外にはバス専用高架道路もあります。郊外の幹線道路沿いには、アメリカや日本と同じように大型ショッピンググセンターが広がりますが、中心市街地は活気にあふれています。日本の地方都市のシャッター街や、行きに立ち寄ったアメリカ・ヒューストンの、緑あふれる美しい都市なのにダウンタウンは空きビルばかりで、歩行者は多いものの寂しげな空気とは対照的です。
 しかし、サンパウロの街中はどこもホームレスやストリートチルドレンがあふれ、中心市街地の周りには巨大なスラム街が広がっています。スラムといっても掘っ立て小屋ではなく、レンガつくりの家。百万人近くが住み、さらに膨張しつつあります。サンパウロ市当局も公営住宅建設を急ピッチで進めていますが、全然追いついていないようです。住宅運動も盛んですが、武装した犯罪組織も多く、私たちはスラム街の周辺を車で案内してもらうしかできませんでした。また、私たちを受け入れてくれたサンパウロの緑の党(ノムラ議員事務所)や日系人社会は、都市最貧層とは接点があまりないように見えました。
 一つの都市の中でも格差と貧困が急激に拡大する中で、どのように「対話と参加」を保障し、「多様性」を維持しながら、どんな「連帯」社会に向かうことができるのでしょうか。活力と貧困が同居するブラジルは、日本の私たちにも、そして緑の政治勢力にとっても、避けては通れない重い課題を突きつけているように思います。

原発・武力介入で決議案

 五月一日の夜、グローバル・グリーンズ大会が開会しました。二日から実質的内容に入り、全体シンポ、最初のワークショップが開かれました。
 三日も続いてワークショップ、全体会があって、四日に大会文書の採択が行われました。ワークショップが二日間で一コマずつで、二十人くらいの小さなものから百人近くの大規模なものまで、たくさん開かれました。
 ワークショップ開催は事前に登録したものを同じようなテーマを一本化して共催にするなど運営員会が調整します。しかし、いつ、どのような内容で、どこで開催されるかは直前に張り出されるので、当日にならないとわかりません。柔軟というか、なんだか行き当たりばったりな感じもしますが、ブラジル流というより、手際よく手配することができないグローバル・グリーンズの実態なのでしょう。オーストラリアを中心とした運営委員会は献身的な努力をしていましたが、実態がついていかない。何回か来日しているマーガレットさん(オーストラリア国会議員)がパソコンをたたいて事務仕事をしているのですから。
 日本から独自の決議を二つ出しました。一つは、洞爺湖サミットを前にして、温暖化防止のためにと原子力発言を容認する流れが日本を中心に出てきているので、それは間違っているという決議を改めて上げようというもの。「原発は解決策ではない」という内容は既に憲章に盛り込んでありますが、それを補強するものです
 二つ目は平和に関する決議。〇一年第一回大会のときに、武力介入を紛争解決の手段として認めるかをめぐって議論になりました。この時、日本は絶対平和の立場から武力介入を認めない修正案を出しました。ユーゴ空爆を支持したヨーロッパの緑と、現在進行形で戦争や暴力を経験しているアフリカの緑の主張で、武力介入を容認する内容の憲章が採択されました。
 その後、九・一一があり、アフガン侵略、イラク侵略がありました。そのことを踏まえて、武力介入の是非よりも、実態を検証すべきだという内容。
 原発に関する決議をめぐっては、エコロ・ジャパンが韓国などと共同でワークショップを開いたので、私たちもここに便乗して参加することにしました。
 大会は、決議そのものがたくさん出され、全体で確認される決議は少数です。さいわい、原発決議は台湾からも出されていたこともあり、全体で確認する決議として採択されました。
 平和の決議をめぐっては、「検証する」という内容にして、ヨーロッパも賛成しやすいようにしました。ただ、議論は気候変動に集中し、時間的に平和の問題を十分に議論することはできませんでした。
 もう一つのワークショップは、持続可能な都市と気候変動をめぐるワークショップに参加しました。
 気候変動をめぐる議論では、「CO2を二〇五〇年までに九〇年比七〇%」という高い目標設定を主張するのかどうか。緑なのだからEUが出している五〇%削減より高い目標を出すべきだという主張と、現実性ない目標を主張しても意味ないという議論が行われたようです。
 ワークショップも全体会も、提起者が多い、タイトなスケジュールだったので、多様で幅広いテーマが議論されましたが、議論の深まりとしては課題が残りました。
 最終日は大会終了のセレモニーで実質議論はありません。提言と決議文を採択しました。
 言語の問題があり、全体会では日本から連れて行った通訳に通訳してもらいましたが、ワークショップまでは人手が足りなかったため、内容を十分に把握することはできませんでした。今後の作業で内容を把握したいと思います。

第三回大会への課題

 集って立派な決議を採択しても、それが日常の活動でどれほど生かされているのかということは、国内の「虹と緑」の議論でよくいわれています。
 七年ぶりの開催だし、前提となる社会状況、政治状況が参加している各国でばらつきがあります。北欧のように、国会でそれなりのプレゼンスがあり、政権に参加している国もあれば、地方議会では一定の影響力があるが国政進出が困難な国、政党をめざしつつも政治運動にとどまっている国、これから議員選挙に挑戦するという国…あまりに違いが大きい。政権に対するスタンスも違う。ヨーロッパでも、チェコのように保守政党と連立を組んでいる党もでてきています。
 今後の課題として、世界事務局を担っているオーストラリアからボランティアで事務局を担っている体制でできることはたかがしれている。議員は歳費の一%を納めて、弱い国の活動をサポートする常設の国際事務局体制を整備すべきだという意見が出されました。
 ちょうど、政党と運動をめぐる国内での市民派の議論と重なるような議論を、そのまま世界レベルに拡大してやっていたわけです。
 グローバル・グリーンズは、地域ごとの意思決定を大切にしようという方針。日本としては自らの政治運動の強化とともに、アジア太平洋グリーンズの日常活動を強めていくことが今後の課題になります。
 もうひとつ、印象的だったのは一人だけで参加していた中国緑の党。アジア太平洋グリーンズの規約上、正式の代議員とは認められていません。彼はそれが不満で、会議でも発言し、主要な参加者をつかまえては代議員資格を認めるようにロビイングしていた。留学生が中心だが、北京、香港などでも活動しているそうで、今の中国の政治状況では組織実態を完全に公開するのは困難で、非常に政治的にはでデリケートな状況の中で活動しているグループがあるというのは驚きであり、非常に考えさせられました。非合法の反体制組織を支援するのとも違う、難しさがあります。

 全体を終えて日本に戻ってきての感想としては、緑の位置づけが互いにどこまで共有されているのかと感じました。ただ、前述したとおり七年ぶりの大会であり、何を採択するかよりも、互いの置かれた状況を知る交流に意義があったと思います。「シンク・グローバル アクト・ローカル」とよく言います。我々も国際的な視野で地域的実践と口では言うが、日常の活動での実践は簡単ではない。
 課題ばかりの世界会議だったが、成果としては、やはりどのような人々が緑の政治を担っているかを直接見聞することができた。
 今後、日本からの参加者の間で大会の内容をめぐって、確認、議論を行い、報告集などを出し、日本での議論、実践に生かしていきたいと考えています。


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