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新ガイドライン関連法衆院通過を弾劾する!
戦争協力法案を廃案へ
九九年四月統一地方選挙は、前半戦の都道府県、政令都市の議員選挙での「虹と緑の五〇〇人リスト」候補者の大善戦にひきつづき、後半戦の市町村区の首長・議員選挙でも大健闘した。
「虹と緑の五〇〇人リスト」参加者(以下概数)は、全体で二百八十人で、非改選の六十人をのぞく二百二十人が立候補し、百二十名が当選をはたした。改選前が百六十名であったから、新人を中心に二十議席増やした。
後半戦の選挙の特徴は、全国的に前半戦の傾向とほぼ同じで、女性、若さ、無所属、実績のある候補が健闘した。
地域的には、北海道はほぼ現状維持。北信越は十日町市の女性新人が一人当選したほかは新人が落選、議席増はならなかった。リスト参加者ではないが、新潟県柏崎市ではプルサーマルを問う市民投票の運動から推された新人(三一歳)が当選した。東北ブロックは宮城県高清水町長選挙で新人が当選を果たし、福島県では郡山市、都留村で初議席を得た。
関東ブロックは、茨城県土浦市、神奈川県の城山町、千葉県の船橋市、鎌ヶ谷市、東京都杉並区、品川区、荒川区、小平市、国立市などで新人が当選した。複数化をめざした江東区での議席増は実現できなかった。国立市では全国四人目の女性市長を誕生させ、それを後押しした市民派新人三名(リスト参加者は一名)が全員当選した。
東海地方は静岡市、吉田町、沼津市、榛原町で新人が当選した。
虹と緑の五〇〇人リスト運動で五十人以上の候補者をたてた関西ブロックでは、現職が手堅く再選をはたしたのに加え、大阪の岸和田市、守口市、枚方市、門真市、奈良県の上牧町、平群町、天理市、奈良市、兵庫県の西宮市、芦屋市などで新人が当選。天理市は新人二人、平群町、西宮市では現職とあわせて二人。芦屋市は現職とあわせて三議席と複数化に成功した。
中国地方では、岡山県では岡山市で新人一人を加えて複数化に勝利。佐伯町、長船町で新人が当選するなど四名全員が当選した。四国では、香川県高松市で女性新人が当選した。九州では熊本県西合志町、大分県中津市、長崎県諌早市などで新人が当選した。
「虹と緑の五〇〇人リスト」の中で本紙で紹介した議員候補者は、前半戦では東京・杉並区の都議補欠選挙で福士敬子さんが六人で一議席を争う激戦を制し当選(四面参照)。川崎市議選(高津区)では、高津ネットワーク運動の猪股美恵さんが神奈川ネットの新人候補をぶつけられながら三選をはたした。
後半戦では東京・中野区の佐藤ひろ子さんが前回につづき四位という上位で当選をかちとり、国立市の重松朋宏さんは三位で当選した(四面参照)。岡山市では横田悦子さん、下市このみさんが当選、複数化に勝利した。大阪・泉大津市では高橋登さんが再選された。
東京・三多摩地域では二月に発足した「市民自治をめざす三多摩議員ネットワーク」に所属する候補者(十九人、非改選含む)のうち、新社会党系の二名の現職が議席を失ったが、国立で二人、小平で一人の新人が当選。他の現職も当選した。
今後こうした各地のローカル政治勢力と虹と緑の五百人リストの人達が連携しながら、政策情報センターの設立、地域と全国を結ぶ選挙・政策の情報交換などを活発におこなっていこう。(二、四面に関連記事)
本紙紹介市民派候補の結果
| 名前 | 選挙区 | 定数 | 得票数 | 順位 | 当落 | |
| 福士敬子 | 都議補欠選 | 杉並区 | 定数1 | 61068 | 1位 | 当選 |
| 猪股美恵 | 川崎市議選 | 高津区 | 定数9 | 4514 | 8位 | 当選 |
| 田中孝征 | 京都市議選 | 伏見区 | 定数12 | 3350 | 15位 | 落選 |
| 横田えつこ | 岡山市議選 | 定数52 | 3653 | 41位 | 当選 | |
| 下市このみ | 岡山市議選 | 定数52 | 3207 | 48位 | 当選 | |
| 佐藤浩子 | 中野区議選 | 定数44 | 2497 | 4位 | 当選 | |
| 高橋のぼる | 泉大津市議選 | 定数20 | 1139 | 18位 | 当選 | |
| 重松朋宏 | 国立市議選 | 定数24 | 1421 | 3位 | 当選 | |
泉大津市議選
高橋のぼるさん二期目の当選
大阪市から南へ電車で三十分程、昔は「泉州」と呼ばれた地方の中の泉大津市。
市民派としては難しいと思われる地方都市で、高橋のぼるさんは見事に二期目の当選を果たした。
定数が二十二から二十名へと減った中、今まで比較的のんびりと選挙を戦ってきた中堅議員すら目の色を変える激戦のなかでの勝利であり、得票も前回六九二票から一一三九票へと得票を大幅に(六五%)のばした。
きちんとした総括がおわっているわけでわないので、この勝利の要因を個人的な意見として言うならば。高橋のぼる議員個人の能力と魅力もさることながら、地域や商売上の様々なしがらみを乗り越えて、或は乗り越えようとした地域の人々の参加が大きい要因としてあげられる。
経験の少ないスタッフと少し強引な候補者のおかげで多少のドタバタはあったものの、毎夜集まる同窓生や知人・自治会の人たちのおかげで、妙な明るさのある選挙体制であった。
政治的主張の少なさはこれからの課題として残っているが、今後「虹と緑の五〇〇人リスト」が本当に五百人に達するためには、このような地域選挙もあってよいのではと感じさせる勝利だった。 (キャプテン)
現職の横田えつこさん、新人の下市このみさんを擁立して挑んだ岡山市議会議員選挙で、いきいきネットワークは画期的ともいえる二人当選をかちとった。定数五十二人中、横田三六五三票で四一位、下市三二〇七票四八位。
四年前「子ども・みどり・憲法いきいき」をかかげた無所属・市民派の横田えつこ市議が誕生、岡山の政治に大きなインパクトを与えた。以来、横田さんは四年間欠かさず子ども・図書館・女性・環境・市民参加などの議会質問を行い、その結果を市政報告ニュースとして配布。また次々と生起する課題にもちまえのバイタリティーで取り組み、新しい人々との出会いを広げてきた。
今回「育てよう市民自治」をかかげ、二期目に挑戦。二人擁立で厳しい戦いながらも、花で飾られた宣伝カーで精力的に訴え、多くの新しい人々の協力で見事当選を勝ち取った。
一方二人目をめざし挑戦した下市このみさんは、自らが取り組んできた学童保育問題や「女性と政治バックアップスクール」に参加した経験から「女性いきいき、政治が変わる」「もっと多くの女性を市議会へ」と精力的に訴えた。
地元町内会、全逓貯金支部、ママさんバレーボールなど地元の女性たちの推薦を受けながら、何よりも本人自身の一万を超える挨拶まわりとそれを支えたスタッフの電話かけ等、多くの人々が結びついた総合力の勝利。下市さんを含め女性議員は五人から七人に増えた。
二人当選の快挙を果たしたいきいきネットワークの新しい挑戦がこれから始まる。
なお、中国地方の「虹と緑の五〇〇人リスト」参加者は、岡山県佐伯町の赤岩明さん、長船町の岸覚さん、鳥取県米子市議中川健作さん、島根県松江市議西村敏さんなど全員が当選した。
| 99年統一地方選挙 |
地方から政治を変える一歩築く
「虹と緑」善戦の意味
民主と共産の「すきま」に政治的可能性
宮 部 彰
統一地方選挙を振り返るうえで、まず「虹と緑」の善戦を、数字的に押さえておこう(現時点で集約できていない部分もあるので、判明しているものだけを集計している)。
「虹と緑」の候補者数は、昨年十月の結成以来の地方選挙と、統一地方選挙の前半戦と後半戦を合わせて、二〇一名だった。そのうち当選者数は一二〇名、落選者数は八一名である。当選率は六割。非改選議員も含めると、選挙前の約一六〇議席から約一八〇議席へ、約二〇議席ほど増加させた。
新人は約一〇〇名が立候補し、約四〇名が当選、約六〇名が落選した。新人の当選率は四割である。現職は約二〇名が落選している。新人でプラス約四〇議席、現職でマイナス約二〇議席、総計で約二〇議席の増加という結果である。
「虹と緑」は、統一地方選挙の後半戦の市・区議選挙では、プラス一三議席であるが、共産党はプラス九五議席である。共産党の増加率は八・七%、「虹と緑」の増加率は二〇%である(実際はもう少し上回ると思われる)。「虹と緑」が、もっと多数の候補者を擁立できていれば、増加率はさらに飛躍的に増えていたと思われる。
このように数字的に結果を振り返ってみると、「虹と緑」の統一地方選挙の結果は、「躍進した」と評価できるだろう。
そしてこれ以上に評価されるべきことは、「虹と緑」運動によって、約二〇〇名近い「市民派・無所属」の地方議員の全国的ネットワークが形成されたことである。約四千四百名と言われる共産党の地方議員数に比較すれば、依然として少数ではあり、後半戦の市・区議会議員選挙だけをとって見ても、地方議員数は共産党の六・六%にすぎない。だが、民主党や社会民主党と比較すれば、それぞれ二〇%(民主党比)、二四%(社会民主党比)になっている。ちなみに自由党は一三議席で、「虹と緑」の五分の一にも及ばない。
「虹と緑」は既成政党と比較しても、地方議会レベルでは、十分対抗できるだけの勢力として浮上しつつあるのである。
自民後退、民主停滞、共産前進という前半戦の結果は、後半戦でも同様の結果となって現れた。
自民党は後半戦の市議・区議の合計で、前回の一三〇〇名から今回の一一七〇名へと、一〇%も減少させた。昨年の参議院選挙以来の、自民党への逆風は依然として続いている。保守系無所属にくらがえした候補者も多いようだが、自民党政治への批判が厳しいことに変わりはない。
民主党は、参議院選挙の時の風が、ほとんどなくなってしまった、と言えるのではないか。前回社会党は、後半戦の市議・区議合計で八九三議席だった。今回、社会民主党と民主党の合計は、六九八議席。約二二%の減少である。民主党の合計は三七九議席で、三一九議席の社会民主党とたいして変わらない議席数にとどまった。民主党は、風も吹かず、地域組織の確立も進んでいないという停滞状況に陥っている。
共産党は、後半戦でも前進した。市議・区議合計で八・七%の増加という結果になった。ただし、区議は二議席増加にとどまり、都市部での好調さに陰りが見えてきている。
自由党は、市議・区議を合わせても、たったの一三議席にとどまった。国政での連立与党という位置に比して、地域的弱体性を露呈した。社会民主党は、民主党への分裂によって議席数を大きく減少させた。だが民主党とほぼ同数の議席を得たように、国政に比して地域的基盤は弱体化しつつもある程度の影響力を維持している。
統一地方選挙の結果は、今後の国政にどのような影響を与えるのだろうか。「政治は一寸さきは闇」と言われるように予測は困難だが、このままで推移するならば、近いうちに行われそうな総選挙では、自民党の後退、民主党の停滞、共産党の前進という結果になるだろう。ただし、経済成長率が上向いたり、選挙制度が中選挙区制度に変更されるなどの新しい事態になれば、別の結果もありうるだろう。
ただ、確実に言えるのは、自民党が後退する中でも、それに対抗する政党が依然として誕生しえない事態が続くということだ。新進党も民主党も、自民党に対抗する政党として、ついに確立しえなかったのである。自民党批判票が、次の総選挙でどのように動くのか、大量の棄権か、共産党へ向くのか、それとも別の形を取るのか、それは今の所予測不可能である。
新無党派層が、どう動くのかが今回の統一地方選挙の最大の焦点だった。しかし新無党派層は大規模には動かなかった。全国の市議選挙の投票率は、前回を少し上回る程度にとどまった。
新無党派層の多数が都市部の有権者であるが、東京の区部でも三%の投票率の上昇にとどまっている。都知事選挙が関心をよび、不在者投票がやりやすくなり、投票時間が延長されたにもかかわらず、昨年の参議院選挙ほどの投票率の上昇はなかった。
そもそも統一地方選挙は、首長選挙における総与党化、地方議員選挙における地元票依存の選挙にみられるように、新無党派層にとっては、選択肢が見えない構造を持っている。
だが、多様な選択肢が提供された選挙では、投票率はあがっている。東京都知事選挙では七%も上昇した。東京・国立市の選挙は初の女性市長を誕生させたが、女性の投票率は男性より六・七%高く、全体でも五%あがっている。これは東京・二三区の平均投票率が三%の上昇にとどまったのに比して特筆すべきことである。
また香川県議会選挙では、ゴミ廃棄物問題をかかえる豊島を選挙区にする地域では、市民運動家が自民二議席独占を突き崩した。徳島市では、吉野川可動堰反対派が多数を取り、市民運動を基盤とする候補者が三人も当選した。このように争点と選択肢が鮮明になった選挙では、市民派が躍進することも可能であり、政治の活性化を生んでいる。政党の垣根を越えた投票行動をする有権者を新無党派層と呼ぶなら、このような例も新無党派層の動向として注目されるだろう。
選択肢がない場合、新無党派層は棄権に回り、選択肢が提供されれば、新無党派層は投票行動を行う。総与党化の中で、この選択肢を提供することができるか否かは、市民派が候補者を擁立できるか否かにかかっている。
全国的には投票率の微増という結果は、市民派の候補者擁立がいまだ少数にとどまっていることの現れに他ならない。「虹と緑」を始めとする市民派政治潮流の役割は、ますます重要になっていると言えるだろう。
では、今回の統一地方選挙を振り返ってみて、争点はどこにあったのだろうか。有権者は、どういう判断根拠に基づいて投票したのだろうか。
一つは、自民党政治に対する是非だろう。効果のない公共事業優先の不況対策、福祉の切り捨てによる財政再建、参議院選挙でノーを突き付けられた自民党政治にたいして、統一地方選挙ではどのような結果になるのか、それが第一の焦点・争点だった。結果は、再び自民党政治へノーが突き付けられ、自民党は一〇%の議席減を余儀なくされた。
二つ目の争点は、総与党化・既成政党の是非の判断だった。既成政党の相乗りの首長選挙では、投票率は低い水準で推移した。東京都知事選挙では、既成政党の推薦を受けた候補者の得票率は、無所属候補の得票率よりも少なかった。既成政党批判は、依然として続いていると言えるだろう。
民主党の停滞・不振は、有権者の既成政党に対する批判とあきらめの現れだった。昨年の参議院選挙の時の、民主党への「風」は、自民党批判の受け皿でしかなく、一時的なものだったことが、はっきりしたと言える。
第三の争点・焦点は、自民党批判とも関係するが、開発優先・福祉切り捨ての具体的問題についての是非であった。それは全国的な形では、共産党の前進として現れ、地域限定的には香川県豊島や徳島市、そして東京・杉並区や国立市の市民派の躍進として現れた。前者は開発優先・大量廃棄社会にたいするノーとして、後者は福祉切り捨て社会にたいするノーであった。杉並の都議補欠選挙で、当選した福士さんは「介護保険問題」を中心的に訴え、多くの支持を集めた。国立の女性市長の誕生を始めとして、女性議員の増加は福祉切り捨てに対する異議申し立ての側面を持っていることは間違いないだろう。
第四の争点は、政治の活性化そのものだろう。投票率の微増という結果は、地方政治が依然として政治を活性化する役割を果たしていないことを明らかにした。その中で、「無所属」「女性」「若さ」「実行力」がキーワードになったことは、有権者が政治の活性化を、どこに求めているのかを示したのだと言えよう。
国立市議選挙は、「無所属」「女性」「若さ」「実行力」が、新無党派層の有権者の意志であることを鮮明にした。「女性」は女性市長の誕生や一位と二位を女性が占めたことに現れた。「無所属」は、一位の女性と三位の重松候補の得票、そして「無所属」の二議席増加として現れた。そして「若さ」は、重松候補の上位当選に、「実行力」も重松候補の「何かやってくれそうだ」という期待感に結びついた。
「議員の通信簿」の公表という具体的な実行力で「開かれた議会」を目指した重松候補は、新無党派層の心をつかんだ。チラシ配布と街頭演説だけと言っても過言ではない選挙戦にもかかわらず(ポスターは告示日前日に完成、公選ハガキも告示日二日前、電話かけも六〇〇本程度、宣伝カーに至っては選挙が始まって五日目だった)、三位当選を果たせたのは、有権者の「政治の活性化への期待」の風をしっかりと受け止めたからに他ならないだろう。
これら四つの争点と焦点は、大規模な変化へとは、いまだ結びついてはいない。また全国的に平均して現れているわけでもない。だが、その傾向ははっきりと見て取れるし、市民派政治勢力の形成を展望するうえで、踏まえることが求められている諸点でもある。
今回の統一地方選挙での画期的な意義は、市民派無所属の政治勢力形成の展望が開けてきたことである。
これまで既成政党批判は、大量の棄権や、新党ブーム、無所属ブーム、共産党・民主党への投票として表現されてきた。唯一無所属に風が吹いた四年前の統一地方選挙でも、それは人気タレントに依存し、かつまた東京と大阪などの大都市部に限定されたものだった。
その中で、市民派は民主党と共産党の間で、苦戦を余儀なくされていた。「すきま理論」とは、欧米で唱えられているものだが、「新しい政治」と「左翼的政治」の間に、その両者を備えたものとして「緑の党」が登場していることから、社会民主党と共産党との「すきま」に政治的可能性があることを指すものである。
ドイツでは、共産党の不在が「左翼的政治の不在」を、社会民主党の体制化が「新しい政治(エコロジーや緑)の不在」を特徴づけていたのであり、その「すきま」が「緑の党」の誕生に大きな意味を持っていた。フランスでも、社会党は政権党であり、共産党は非エコロジー政党であるなどの背景が、「緑の党」の登場の社会的要因であったことは間違いない。
日本では、この間、「左翼的政治」として共産党が健在であり、「新しい政治」の代替物として「社会党マドンナ・ブーム」「新党ブーム」があり、その流れのうえに「市民中心主義」を唱える民主党があった。しかし、民主党の停滞は、民主党が「新しい政治」の政治的表現者としての可能性を失ったことを示している。民主党へ期待した新無党派層は、民主党への失望から市民派へと支持を変化させつつある。「虹と緑」や市民派には、この「新しい政治」を求める有権者の支持を獲得する展望が開かれてきているのである。
社会民主党の与党化で、「左翼的政治の不在」(日本的政治表現としては健全野党の不在)の埋め合わせ(自民党批判の受け皿)として支持を広めてきたのが、共産党である。しかし、共産党は市民派が不在の場所では、支持をのばしているが、市民派が登場する地域では、支持を低迷させている。市民派は、共産党へ向かった票を、取り戻す可能性を、今回の選挙では示したのである。
杉並の福士さんの当選は、そのことを示している。自民党と共産党を破った当選は、民主党やネットへの{新しい政治を求める」支持層だけでなく、「左翼的政治を求める」支持層をも獲得した結果だと言えよう。また、国立市議選挙では、市民派無所属新人が二人増加し、共産党が二議席減少する結果となった。このことも、市民派の無所属新人が共産党の支持層を獲得したことを意味している。
国政レベルでは昨年の参議員選挙にみられるように、民主党と共産党のはざまで、その政治的登場の機会は失われていたように思われていた。しかし、地方政治の場では、確実に民主党と共産党の「すきま」に政治的に登場できる空間が開かれてきているのである。
確かに、「虹と緑」の議席数の増加は二〇議席程度でしかない。だが、その政治的可能性は、おおいに開かれていると言うべきだろう。
「虹と緑」は、今回の統一地方選挙で、大きな政治的可能性を開示した。客観的には、確実にそう言うことができる。
今後、「虹と緑」はその政治的可能性を現実化することができるだろうか。私は、できると考えている。
そのためには、いくつかの課題を克服することが求められている。それは「虹と緑」の今後のありようともかかわっている。
一つは、全国的な政治的ネットワークを維持できるか否かである。このためには、政策情報センターの確立が、求められているが、その政策的充実と、それを支える運営機能の拡充が必要だろう。単なる「親睦・交流」のレベルを越えられるか否か、「虹と緑」の結成目的の真価が問われている。それは、そこに参加した議員の政治的情熱のいかんにかかっていると思われる。
第二に、単なる「政策情報センター」にとどまらず、その政治的位置にふさわしい政治的役割を担うことができるか否かに、「虹と緑」の可能性は左右されるであろう。国政や地方政治のレベルで、さまざまな諸テーマの政治的要求に的確に応え、政治的活性化を促進する全国的地方議員集団として、その役割を果たすことが求められているだろう。
第三に、市民派地方議員をさらに増やすための役割を果たすことが求められているのではないだろうか。各地に「バックアップ・スクール」が生まれているが、そのような役割を「虹と緑」も果たすことが求められているのではないか。
「地方から政治を変える」をキーワードとし、「多様性を尊重する」地方議員集団として誕生した「虹と緑」は、「地方から政治を活性化する」という有権者の要求に応えられるだろうか。
私は、あると考えている。そのことは今回の統一地方選挙で、見えてきたことなのであり、その要求に応える政治的義務が、私たち「虹と緑」の形成に参加してきたものにはあるのだと、改めて思うのである。
小渕政権は、戦争立法=新ガイドライン関連法案(周辺事態法・自衛隊法改悪・有事ACSA)衆院通過を四月二七日強行した。
「四月二九日からの小渕訪米に間に合わせる」と、周辺事態法「修正」案の内容すら決まっていないのに二七日衆院採決という日程が自自公民で先に合意された。そして、自自公の密室協議の末、二五日地方選後半戦投票終了にあわせて、周辺事態法の自自公「修正」案が作られ、二六日提出された。
「修正」の内容はこの時はじめて公となり、法律の目的、国会承認などの点で大きな変更がなされたのに、審議さえほとんどなされないまま、二六日衆院ガイドライン特別委員会で採決強行され、二七日衆院通過となった。
「修正」案は、目的に「(この法律は)安保条約の効果的な運用に寄与」と追加した。だが、政府は「周辺」とはどこの地域を指すのか最後まで明確にはしなかった。現行の日米安保条約さえ越え、アメリカの起こす戦争に日本が参戦していく戦争協力法案としての本質は何も変わっていない。
自自公修正案は一層の改悪である。自由党の要求で、周辺事態の定義として、「そのまま放置すればわが国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等」が追加された。一部では周辺事態の定義が限定されたかのように説明されているが、全く逆だ。
これは、「周辺事態」は日本有事そのものではないが、日本有事に準ずる準有事であるという自由党の主張を受け入れたものだ。つまり、「周辺事態」でも、自衛権の行使の対象であるという立場に立っていこうとするもの。今までの解釈改憲の枠組みさえこえて、集団自衛権の行使に踏み出そうとしている。自自公案は修正どころか改悪なのだ。
政府は周辺事態として、四類型(@武力紛争発生A周辺地域で武力紛争発生が切迫B大量難民流出の恐れC安保理が平和への脅威・侵略として経済制裁)に加え、Dある国の内乱・内戦などが国際的に拡大E武力紛争は停止したが、秩序の回復が達成されていない場合を示した。
これはNATOのユーゴスラビア攻撃が示すように、米・日が介入したいと思う「紛争」に、軍事介入する事ができる解釈だ。
自自公案では、基本計画ではなく、「後方地域支援」「(米兵の)捜索・救援」のみを国会承認の対象(機雷掃海、「邦人救出」、自治体・民間協力などは対象外)とすることに変更された。一応、事前承認ということになっているが、「緊急時には事後承認」という抜け道があり、政府や公・民も、実際は事後承認を想定していると米側に説明しており、何の歯止めにもならない条項だ。
「周辺」の範囲も、緊急性も、判断するのは政府で、この戦争協力法はアメリカの武力行使への軍事協力のフリーハンドを政府に与えることになる。
「後方地域支援」とは、外務省の意図的な「誤訳」によるまやかしであり、実際は兵站支援である。現代戦では、前線・後方の区別など存在しない。日本の「支援」とは、米軍と一体となった戦争遂行である。周辺事態法でば、兵站支援として、日本は補給、輸送、修理、港湾・空港の自由使用、医療、通信などのあらゆる面で、官民を挙げて戦争に協力することになる。
更に、「修正」案には「後方地域支援」での自衛隊員の武器使用条項(同法十一条)が入れられた。政府原案は、邦人救出、捜索・救援(と臨検)に武器使用を認め、「後方地域」は安全だからという理由で入っていなかった。それをわざわざ改定したのは、「後方は安全」という当初の説明がまやかしだったことを認めたのに等しい。そもそも、新ガイドライン関連法は、PKO法などと違い、自衛隊装備の防護のための武器使用という自衛隊法九五条の規定も適用されると政府はしている。これでは自衛隊員の生命・身体に何の危険がなくても自由に武器が使用できる権限が与えられることになる。
そして、周辺事態法の船舶臨検条項は自自公案からは削除され、臨検法を別個に今国会で制定することで合意された。これは自由党・公明党の主導権争いに過ぎず、戦争協力法の危険性をなんらやわらげるもではない。
この自自公案に対して、民主党は周辺事態法「修正」案を出した。対応の基本原則や国会承認の条件などがわずかに違うだけで本質的な違いは何もない。そもそも民主党は戦争マニュアル=新ガイドラインには反対しておらず、自公民の枠組みによる改悪を画策していた。衆議院の採決でも、「邦人救出」を口実に自衛艦の海外派兵を可能とした自衛隊法改悪と有事ACSAには賛成している。
この戦争ができる(する)国家づくりに対して、各地で抵抗の動きがひろがっている。
沖縄では、県民の過半数が沖縄に戦争協力を強いる新ガイドライン法案に反対している(反対五五%賛成二六%、沖縄タイムス四月二六日)。
自治体の戦争協力を義務化しようとする周辺事態法に対して、全国で約百八十自治体が反対・批判の意思を示している。
自治体でも民間でも、当局や企業が協力している中で労働者が拒否すれば懲戒処分の対象となることが予想される。防衛庁長官野呂田芳成は処分を当然視する発言をしている。戦争協力法案に対して交通運輸・医療など動員が想定される労働者からも反対の声が上がっている。
自治体と民間に戦争協力を強制する新ガイドライン関連法制定に反対しよう!
四月一五日、東京・日比谷野外音楽堂で実行委員会の主催で「通すな、つぶせ!新ガイドライン法案4・15戦争協力を許さないつどい」が行われ、二千人が参加した。
社民・共産・沖縄社会大衆党の各国会議員の情勢報告と決意表明や沖縄一坪反戦地主会、静岡県評、全港湾、航空安全会議などから連帯の発言があり、国会行動など今後の取り組みが呼びかけられた。その後力強く国会請願デモを行った。
四月二五日東京・三多摩で周辺事態法を廃案に!集会が休日の人出でにぎわう井の頭公園で行われた。
アピールの後、新ガイドラインに反対する三多摩連絡会の八十人の仲間は、三鷹までデモ行進し、周辺事態法案反対を訴えた。
新ガイドライン関連法の衆院通過が計画される緊迫事態の中で、戦争協力を許さないつどいなどによる議面行動が特別委員会の審議に合わせて毎回行われた。
四月二六日、衆院ガイドライン特別委員会での法案採決の強行という事態を受けて、夕方から衆院議面で抗議の集会が行われた。
続いて、六時半から社会文化会館前で四百人が参加して集会が行われた。かけつけた首都圏の運動体が次々と発言。
続いて、国会請願行動を行い、参院では照屋寛徳参院議員(社民)などが、衆院では古堅実吉衆院議員(共産)などがアピールした。
四月一四日、NATOによるユーゴスラビア空爆に対する抗議行動がピースベリー・ジャム(国連・憲法問題研究会)、アジア連帯講座などの呼びかけによって行われ、十七名が集った。
まずアメリカ大使館にシュプレヒコールをたたきつける。ピースベリー・ジャム、アジア連帯講座、新しい反安保実V、ピース・チェーン・リアクション、NOHC、厚木基地を考える会からアピールがなされた。
アピールでは、列車等が爆撃され多数の民衆に死傷者が出ている、六〇万人を超える難民がアルバニア等に向かう事態となっている、ユーゴ内でミロシェビッチ体制への支持が高まり民族浄化が加速している、地上戦を開始すれば一層の戦火の拡大を招くこと、私たちはコソボの自決権を認めろという立場であることなどが述べられた。
そして四通の抗議文を手渡した。次にドイツ大使館へ移動。ピースベリー・ジャム、アジア連帯講座、PCRの三通の抗議・申入文を読み上げ、断固とした抗議行動を貫徹した。
四月二三日からのNATO五十周年首脳会議は対ユーゴ戦争会議と化した。会議では「新戦略概念」を打ち出した。それは今回の空爆を正当化し、さらに今後も国連憲章をも無視して域外へ軍事行動を行わんとするものにである。さらにはNATOはユーゴ周辺七カ国までも同盟国とこじつけ対ユーゴ包囲網を強化した。七カ国が攻撃された場合、NATO軍が無条件で反撃に出るというのである。そのような無法極まりない武力行使は断じて許すことはできない。
また、この新戦略概念は新ガイドライン法案との共通性を見い出すことができる。ひとたび有事となれば多国籍軍によってなしくずし的にバーリトゥードの状況が生み出されることは間違いない。新ガイドライン法案を廃案に追い込もう。
劣化ウラン弾の使用を弾劾する。そして民衆を苦しめるだけのユーゴへの経済封鎖を許さず、空爆をやめさせ、地上軍の投入を阻止しよう。(A)
四月一一日、三里塚・木の根のペンション友の家で花見をかねた学習・交流会が行われた。
現在三里塚闘争は二期工事を断念に追い込む正念場を迎えている。政府・空港公団など推進派のターゲットは二つ。
一つは平行滑走路拒否の意志を鮮明にする東峰部落へのしつこい「訪問強行」であり、もう一つが現在「凍結」とされている横風用滑走路建設の「露払い」となる芝山鉄道「開通」のための木の根共有地への攻撃である。
この日の学習・交流会は焦点の木の根共有地を守り抜くために、企画され共有地の提供者である加瀬勉さん、反対同盟の熱田一さん、石井武さん、堀越昭平さん、そして首都圏の支援者が参加した。
はじめに二年前にTBS放映のビデオを見た。芝山鉄道の延伸できない理由を丁寧な取材で検証したもので滑走路建設の意図をも暴露したもの。現在でも問題の理解に十分役立つ。
次に首都圏行動の田代さんが芝山鉄道計画のズサンさをレポートした。芝山町民は八千七百人だが、一日六千五百人もの利用客を見込んでいること。全国各地で第三セクター方式が破綻している中、芝山鉄道の中止こそ周辺住民の赤字負担を防ぐ道であること。二期阻止は周辺の騒音被害や農業を含む環境の破壊拡大を食い止める最後の防波堤であり、一坪を堅持していこうと提起した。
続いて「十年ぶりにこういう場に出た」加瀬勉さんが決意を語った。
「今多少イライラしている。かつての反対同盟や青年行動隊の幹部だった人たちが一坪を手放せと次々とやってくる。その度にキッパリと追い返している。許せないのは権力を背中にしょって話す傲慢な態度だ。こうした者たちが出るのを防ぎ切れなかった自分も含めて、闘争の総括が大切であり、それは日本の闘争全体にとっても必要なことだ。私も六十五歳になり、あと一つの仕事しかできないと思う。身の回りを整理して、なるべく愉快に皆と共に闘い、三里塚で勝利を勝ち取りたい。三二〇〇メートル滑走路建設の企てには絶対屈伏しない。推進派が共有者への働きかけを強める中で、こちらもニュースを出したり、『ネズミ講』のように一人崩されたら十人増やすような制度の共有運動もすることも考えるべきだろう」
最後に反対同盟の発言を受けた。東峰の石井武さんは「東峰には中立派も含め四派あり『話し合い』できる条件はない。政府の『凍結』という言葉は羽田国際化と我々の屈伏させることをにらんだ『両てんびん』だ。ぜひ横堀を孤立させないよう心がけてほしい」
熱田一さんは「私はひとつも変わらず、当初の空港反対の意志を堅持していく。自分の体を守りながら楽しく過ごしていく」と力強く発言した。
外はあいにくの雨で窓越しの花見だったが、加瀬さん手作りの竹の子おにぎりなど心尽くしの料理を頬張りながら交流を深めた。
東京都国立市議選(定数二十四)で二七才の無所属市民派新人重松ともひろさんが三位一四二一票で見事当選を果たした。四月二六日午前一時半、重松当選が明らかになると開票所の体育館に詰めかけた仲間たちから歓声が上がった。
「選挙の常識」に反する少ない予算・人員で、「開かれた議会」を訴えてたたかった選挙で、市民派新人候補が勝利をおさめた意義は大きい。この選挙では、時間的人員的制約もあり、選挙の常道である個々面接や電話かけはわずかしか行えなかった。また、選挙事務所は置かなかった。このため選挙期間中に使った費用は、公選葉書・ポスター・街宣車の公費負担分とほぼ同額だった。
同時に投開票された国立市長選挙では、上原ひろ子さん(元市議、東京生活者ネット元代表、共産・生活者ネット・社民・国民会議・林道クラブ推薦)が、開発市政を進めた保守の佐伯有行市長(自民・公明・自由推薦)を破り当選。都内初の女性首長(全国四人目の女性市長)となった。
上原さんは、水源開発問題全国連絡会の活動や景観権裁判原告団幹事を務めてきた。上原さんは、開発優先行政で市民一人当たり五十八万円(土地開発公社の隠れ借金含む)という都内最高の赤字をもたらし、「文教都市国立」として規制されてきた高層ビル建設を「規制緩和」によって認めて生活環境を破壊してきた佐伯市政を正面から批判した。
これに対して、公明・自民などは『共産党市政を許すな』という右翼顔負けのデマ宣伝を行った。推薦する共産党の集会に呼ばれて発言したことを取り上げ、『上原ひろ子は共産党』というデマビラが市内に出回った。
新ガイドライン反対、在日外国人学生の人権問題、環境問題などに取り組んでいた重松さんが、市議選挑戦を決めたのは昨年末。市長候補の上原さんを支援しながら運動を進めた。
重松さんが政治活動を本格化させたのは今年二月から。重松さんは「閉ざされた市政に市民自治の新しい風を」「大学を地域に開放」「開発よりも環境・福祉・人権・平和を重視する市政を」と訴えた。自らの政策を訴えるためにホームページを開設。そして、告示までに、リソグラフで印刷したニュース(一〜三号と号外)を作成。仲間の協力によって各二万数千枚を市内全域に配布した。
同時に、のぼりを立てた自転車に乗って、知事選の選挙運動期間以外は駅頭での朝・夜の演説と昼間の辻演説を行った。
ニュース配布と演説によって、その訴えが徐々に浸透。特に市民の反響が大きかったのは、ニュース号外で扱った現職議員の「議員通知表」。
四年間十六会期で佐伯野党(共・ネ・社・林道クラブ)の議員がほぼ毎回質問しているの対し、佐伯与党の自民系議員八人はほとんど議会質問せず、内六人は十六回中一度も議会質問していない。民主系議員も三人中二人にはほとんど質問していなかった。しかも、「議会だより」では誰が何を発言したかが載らないため、この事実は分からない。
号外には、電子メールや電話で反響が寄せられたほか、演説している最中も市民から『年間一千万円近い議員報酬を得ているのに、あんなに仕事がしてない議員がたくさんいるとはサラリーマンとして許せない』『私は共産党支持だが、知人には重松に入れるように言った』『若い人が入って今の議会を変えてほしい』と激励の声が次々と寄せられた。
告示されてからは、今春まで在学していた一橋大の学生ボランティアに支えられて、掲示板のポスターも何枚も破られるなど妨害を受けながら、「連呼はやらない」と政策を訴える選挙運動を続けた。
雨にたたられながら、午後八時以降も駅頭で地声で行った演説には激励の声がとんだ。一方で、選挙に慣れていないため、選挙宣伝カーの完成が木曜となり、二日半しか動かすことが出来なかった。
だが、〈女性市長実現し開発優先・市民無視の市政を変えたい、市民に開かれた議会を〉という市民の熱い思いは、上原さんと共に戦った女性候補・市民派新人候補を一気に押し上げた(女性投票率が男性を六・七%上回った)。
市議選では重松さんを含め市民派無所属の新人候補が三人同時に当選。国立では、島田清作さん(前・立川市議、昨年引退)や富久尾浩さん(前・武蔵村山市議、今回引退)と同じく六〇年代から革新無所属議員として活動(八期)してきた井上スズさん(林道クラブ)が、新人の上村和子さん(今回一位当選)と交替。関口博さん(市民自治をめざす三多摩議員ネットワークに参加)も当選した。現職二人を落とした共産党と市民派新人二人が入れ替わる形で無所属市民派議員は三人となり、交渉団体の権利を得た。
今後、少数与党(十人対十四人)として議会活動の困難が予想される。上原市政を支えると同時に、保守議員のように行政に全てをまかしてしまうのではない議会のチェック機能を果たしていく市民派議員としての活動が市民から期待されている。
定数一補選で既成政党を破り当選
市民派選挙で六万票獲得
----選挙戦お疲れ様でした。二年前の挑戦では残念ながら次点だったわけですが、今回定数一の都議補選(杉並区)で当選された。今回の勝因は何だと思っていますか?
福士 今回の都議補欠選挙は、「カンパとボランティアによる手作り選挙」という点では前回の本選とやったことはあまり変わりませんが、自転車にポスターのパネルを乗せて走ったり、街頭での活動を元気よくやれたことがよかった。電話かけが最後になってもりあがってきたころから手をふってくれる人が増えてきた。いろんなことが少しずつ重なっていったと思う。
選挙本番前の運動としては、昨年十月から今年二月まで介護保険に関する地域懇談会を十個所でやった。一回あたり五千枚くらいのチラシを周辺地域にくばってお知らせした。いつもはチラシでの参加者はゼロですが、今回は十数人前後見えて、関心の高いテーマがあったこともありますね。
それと「べた歩き」。今までは「自治市民93」(福士敬子さんの市民政治団体)のニュース読者への訪問が主だったが、今回は地域によってはべたで歩いたのが二〜三月で一万件。昨秋九月から読者を訪問したのとあわせて一万四〜五千歩いた。いつもそれくらいは歩くんだけど、今回は未知のところを歩いた。
朝立ちは二月からはじめて三月以降は週四日やったから一カ月ちょっとやった。
----チラシを二月、三月十万枚を二回まいたのも大きかったのでは。
福士 チラシは読まれていない。地元地域は読んでくれたが、他地域は読んだといわれたのは一千件あるいて二〜三人。ポスターも事前にも張ったが、本番の掲示板に張ってあってもまだ名前も何の選挙かも知られていなかった。話をしてやっと、そうですかと。次に、確認してもらえる。ただ、こうしたはたらきかけが知名度のアップに結びついたことはあったと思う。
街頭宣伝では車にソーラーパネルを積んでいたことで、人々がふりむいてくれた。「この車の音声はソーラー発電でながしています。環境にやさしい車で走っています」というと振り向いてくれる。そうすると看板に「福士」と書いてあるのを読んでくれる。環境問題を云々するだけでなく実践していると納得してもらえる。それが効果があった。自民党の候補者の関係者も「あれは本当にソーラーカーか」と気にしていたそうよ。子供が見てくれたしね。知名度が段々あがっていったのは街宣の仕方も影響したと思う。
もう一つは自民党が割れたこと。三月の選挙直前に石原慎太郎知事候補の系列の女性候補もたって、保守系で三人に割れたのも大きかった。今回も保守票は三人合わせて八万だからラッキーだった。今回は自民の票も他党の行き場のない票もきているはず。私と同期の公明党区議も福士さんにと言ってくれた。
----都知事選挙の盛り上がりは都議補欠選挙に影響しましたか?
福士 全然別個のものだったのでは。投票率は都知事選挙と同日で上がったが、都議補選は白票が二万四千もあった。通常二千ぐらいだから、前代未聞。
投票所で私の目の前で女の子が都知事選の用紙のあとに補選の用紙をもらったら「これなによ。わかんない」って。
----「無所属」というのはウリになりましたか?
福士 今回はカンパとボランティアのお金をかけない選挙というのと政党の支援を受けないというのはセットでうりになったと思う。後半戦の区議選挙でも私が応援して当選した星野雪路さんは手作り選挙を強調していて、それが当選につながったと思う。ただいつまでこれでやれるかはわからない。これは私のスタイルですからそれでいいんですけど。
ボランティアの人は前回は区外の人が多くて電話かけなどにきてもらったが、今回は地元の人がたくさんきてくれて、外で活動してれる人もおおかったから元気よくにぎやかにやれた。
----議としての抱負を聞かせてください。
福士 すごく大変そう。石原都知事へは会派を決める際に「議論の尊重ということが、自分の意見の押しつけに使われることがないように、庶民の生活を見ての都政を」という趣旨の要望書を出した。
建設住宅委員会に所属したので、今後は三多摩地区の課題にも取り組むことがあると思う。
四年前は、青島都知事の誕生という「無所属ブーム」による浮動票の獲得によって、二位当選。今回は、その浮動票が期待できない中での選挙だった。
しかも、定数が四八から四四へ四削減され、公明党と共産党がそれぞれ一議席増をめざし、民主党の新人三人、さらに無所属新人が乱立するなど、極めて厳しい選挙であった。
しかし結果は、約二五〇票ほど減らしたものの、二四九七票を獲得し、堂々の四位当選。四年間の活動の実績が区民に評価された。
二四九七票は、極めて固い支持票であり、浮動票はほとんどない、と想定される。ひとりひとりの協力者のネットワークが、一票一票積み重ね、ひとりひとりの顔が見える得票数だと言える。得票数は約二五〇減ったものの、固い支持票は逆に三五〇票ほど大幅に増やした、と概括できる結果となった。事務所に訪れる人の数、公選ハガキを書いてくれる人数、どれひとつをとっても前回の選挙以上だった。
「ひとりひとりの心といのちとくらしを大切にする街に」という訴えは、選挙でも「ひとりひとりの個性と力を合わせた選挙」として実現され、「ゆとりのある、楽しい選挙」となった。
また選挙は、市民との政治的対話の場でもあった。高齢者にオムツをさせて寝かせきりにしたほうが行政サービスが受けられるという矛盾、手話通訳のある演説の場を知らせてほしいという当然の要求、さまざまな市民との対話の中で、多くのことを学び、多くの解決されるべき課題を、新たに抱え込んだ選挙でもあった。【宮】