Winter Book  届けられて音を失った言葉は、真白く静かに降り積もります。  夜天を低く覆い、地上の光を受けて銀灰色に煙る雲を通して。    そんな冬の夜には、娘はずっと雪を見つめていました。  街の灯りが見下ろせる、いつもの大樹の枝に座って。  春を待ちながら交わされた、たくさんの舞い降りる言葉達。  ぽとん、ぽろん。  何処からか、微かに聞こえる小さな調べ。  (また、きこえる。)  少年は寝床から身を起こして、窓の外を見つめました。  硝子を隔てて広がる夜天には、半分ほど欠けた白い月。  その光にさらされた雪の毛布が、音という音を眠らせる静かな夜。  ぽとん、ぽろん。  硝子玉を落とすような、つりがねの形の花から露がこぼれるような。  この頃、音のない月の夜には、決まってそんな調べが聞えてくるのでした。  「そう言えば、最近わたしもよく聞くよ、その音。」  少年の話に、ユキノは小首をかしげて答えました。  暖炉の柔らかな灯に外の夜気から護られながら、体を温める香草のお茶をのみながら。  眠くなるまで、二人でとりとめもない話を続けるひととき。  それは、秋の終わりと共にユキノという少女が少年の家に来るようになってから、 冬の間、夜毎に訪れる少年の日常の時間となっていました。  やがて春が迎えに来て、ユキノが北へと帰って行くまで。  そんないつもの冬の夜更けに、たまたま少年はユキノに、月の夜に聞こえる調べのことを 話したのでした。  「ほんとう?やっぱり、月の出てる夜に?」  少年は驚いて聞き直しました。何しろ少年の中では、浅い眠りの中で何度も見る夢か、 それとも空耳かだろうと思いこんでいたのですから。  「うん……わたし、寒くて時々目がさめるでしょ?その時にたまに聞えてくるの。   雪の降っていない夜。……多分、月が出ている時だと思う。」  ちょっと上を見上げて記憶を辿りながら、ユキノは答えました。  「そっか、ユキノにも聞えるんだ……。いったい何の音なんだろう?」  窓枠に降りて溶ける雪を見つめながら、そっともれる少年のつぶやき。  暖炉の炭が、ぱちりとはぜる音。  「じゃあ、今度聞えたら探してみない?」  そんな少年を見て、ユキノはちょっと悪戯っぽく笑いながらこう言ったのでした。  それから幾つかの夜が過ぎた、雪のやんだある晩。  少年とユキノは、窓から淡く差し込む月明かりの灯の下で、いつも通りに話していました。  夜風が窓枠を揺らす音と、二人を暖める火の音以外何も聞えない部屋の中で。  ただ、この夜はちょっと眠さを我慢して、お互い何かを期待する空気に包まれて。  二人ともそろそろ眠りの淵に落ちようかという頃、ようやくその期待する何かが訪ねてきました。  ぽとん、ぽろん。  ぽろん、ぽとん。  硝子玉を落とすような、つりがねの形の花から露がこぼれるような、不思議な調べ。  「……今、聞えた?」  「……聞えた。」  うなずきあう、少年とユキノ。  「行こう!」  二人は眠気も忘れて、小屋の外に飛び出していきました。  凍てつくほど澄みわたる夜天の群青は、絹の様に薄く覆う雲に溶けて、微かににじんでいました。  通り過ぎる夜風につられて流れるその薄雲を、ぼんやりとした頂きの月が照らして、 地上に幻燈の様な影を落としています。  「ユキノ、本当に大丈夫?」  その夜風にさらされた、少女の白い肩と背中があまりにも寒そうで、少年は思わずたずねました。  「平気よ、このくらい。それよりはやく音を追いかけなきゃ。」  答えて、ユキノはふっと瞳を閉じました。  一瞬、夜風に混じって、樹の葉が揺れる様な、柔らかい布が擦れる様な音。  少女が再び瞳をあけた時、そのか細い肩からは、大きな翼が生えていました。  夜に月の光に誘われてひっそりと咲く花の様に、積もった雪よりも白くて、静かな翼。  「お待たせ。急ごう!」  その翼でふわりと空気に浮く、雪待鳥の少女の小さな体。  雪待鳥達は、もともとは少年のいるこの街よりも遥か北の彼方の森に住んでいます。  寒さに弱い彼らは、故郷に冬が訪れて雪が舞い始めると、南の街へと旅してくるのです。  暖かい灯の元で、再び森が色づく春を待つために。  その冬の初雪とともに舞い降りてくる民、だから雪待鳥と呼ばれているのです。  そしてここ数年、ユキノは雪の訪れとともに、北の国からその翼で少年の住む街にやってきて、  少年と二人で永い冬を過ごしているのでした。  冷たい空気を攪拌する風に乗って、微かに耳に届く調べ。  その調べの生まれる源を追いかけていくと、やがて街外れの小川にたどり着きました。  いつもは勢い良く飛沫をあげて流れている川も、今は凍りついて、時を止められたかの様な眠りについていました。  硝子のような氷に覆われた、透明な道。  その道は、先程よりもさらにおぼろになって浮かぶ月の輝きにさらされながら、雪原の中を丘の方へと伸びていました。  「ねえ……何か聴こえてこない?」  少年は、ユキノの方を見上げてふと言いました。  「え?さっきから聴こえてるけど?」  ユキノは宙に浮いたまま、小首をかしげてかえしました。  「そうじゃなくて……もう一つ別の音。」  さらさらさらさら。  時計の砂のように、小さく、小さく、断続的に奏でられる音の流れ。  それも、二人が追いかけている音とは違って、ごく近くから。  「ほんとに?」  ユキノはふわりと地上に降りたって、そっと耳を澄ましました。  「わかった!ほら、見て!」  嬉しそうに声をあげると、ユキノは凍った小川の前に屈み込んで、その冷たい硝子の表面を指差しました。  その細い指の先、厚い氷硝子のずっと奥で、星が瞬くように、ちらちらと何かが動いていました。  「こんな寒いのに、ちゃんと流れてるんだ……。」  小さな、ほんの微かな音を奏でて、透明な氷の天井に護られて、流れ続ける細い水脈。  まるで、人々が暖かい小さな家の中で、変わらずに生活して春を待つように。    さらさらさら。  二人のすぐ足元で鳴る、絶え間無い水脈の調べ。  ぽとん、ぽろん。  何処か遠くから、ゆっくりと旋律を取って届く、滴のような調べ。  不思議なことに、まるで異なる楽器を持つ二人の音楽家が一緒に一つの曲を弾くかのように、  その二つの和音は調和して、この静かな冬の夜に一つの音楽を奏でているのでした。  さらさらさら。  ぽとん、ぽろん。  少年とユキノは、そのまま凍った川の岸にしゃがんで、しばらくその音楽に耳を澄ませていました。  「寒っい……。」  気がついたように、ユキノが急に肩を少し震わせて、翼で体を包みました。    街外れに出てから、少し夜風が強くなってきました。  その風に連れられた灰色の薄い雲が、衣を纏うように、少しずつ頂きの月を覆い隠してゆきます。  「寒いの、ユキノ?……もう、帰ろうか。」  少年は心配そうに、寒そうなユキノをのぞきこみました。  「大丈夫。行こうよ、音の正体見てみたいでしょ?」  「そうだけど……。」  「もう平気よ。行こっ。」  雪待鳥の少女は、額にかかった髪をさらりと揺らして、舞いあがりました。  音は、凍った小川のずっと上流の方から聴こえていました。  二人の耳に届くその音は、月が隠れて、夜気に何処か凛とした静けさが増えてくるにつれ、  少しずつ小さくなってきているようでした。  真白い雪原と、群青の夜天。その二つの色の境界に、白銀色の氷の流れ。  ほのかに輝くその線を道標にして、少年と雪待鳥の少女は音を追いかけていました。  少年は雪原を駆けて、少女は夜天を駆けて。  「ユキノはいいなぁ、空を飛べて。」  少年は息を切らせながら、夜風を切って低空を飛ぶユキノを見上げて言いました。  「そう?わたしだったら、地面の上を走れる方がうらやましいけどなぁ。雪を蹴りながら……。」  ユキノは少年の真横まで舞い降りてきて、そう言い返しました。    「どうして雪から逃げてきてるのに、雪待鳥なんて呼ばれるのかしらね……。」  そっと、誰へともなくもれる、小さなつぶやき。  雪原に、少年の足跡。夜天に、少女の翼の軌跡。  だんだんと空気に冷たい静かな気配が満ちてくる中で、その二つは二人の駆けた夜の中にずっと残っていました。  少しずつ、少しずつ小さくなってゆく音に慌てながら、二人は駆け続けました。  それとともに、小川も少しずつその幅を細めてゆきました。  まるで、ろうそくの灯が消えかけてきたかの様に。  やがて、その灯火はなだらかな丘のふもとまで二人を導いて、細い幾筋もの銀糸に別れて雪の地面にと吸い込まれていきました。  「この丘の上かなぁ?」  少年が丘の頂きの方を見上げた、ちょうどその時。    それまで規則的に聴こえていた音は、大気に吸い込まれるように消えてしまいました。  見上げると、蒼にぼんやり溶けていた月が、今はすっかり何層もの薄いひだのような灰色の雲の中に隠れてしまっていました。  「消えちゃった……。」  ユキノはつぶやきながら、ふんわりと少年の横に降り立ちました。  「うん……。」  丘と夜空の境界に、僅かに憧れの視線を向けたまま、つぶやきを返す少年。  不意に、少年の肩に、暖かくて冷たい、ふわりとした羽のような重み。  その勢いで頬をかすめた、さらりとした栗色の髪。 「ユキノ!」  少年はびっくりして、少女を支えながら叫びました。    「大丈夫、飛びすぎてちょっと疲れただけだから……。」  少年にもたれ掛かったまま、雪待鳥の少女は小声で応えました。  雛鳥のように、微かに震えながら。  「冷たい……大丈夫じゃないよ、もう帰ろう。」  その預けられた体温の冷たさに驚いて、少年は言いました。  震える白い肩を、慌てて自分の上着で包みながら。  「……ごめんね……。」  ぼんやりと丘の方を見ながら、そっともれるユキノのつぶやき。  今度は、深夜になお遠く灯り続ける小さな街の明かりを道標にして、少年は雪の野原を歩いていました。  その背に、雪待鳥の少女を背負って。  あの硝子玉のような調べは今はもうなく、張りつめて凛とした空の気配の中で、代わりにたった二つの音だけが聞こえていました。  少年の足が真下の雪を踏みしめる音と、少女の規則的な寝息だけが。  (何だか、あの時みたいだ。)  相変わらず羽のように軽いその体に驚きつつ、背中に幽かな鼓動を感じながら、少年は初めて雪待鳥の少女に会った日のことを思い出していました。  数年前の、初雪の日。  昼間は暖かかったのに、夕方から突然冬が舞い降りてきて寒くなったその日の夜、仕事からの帰り道。  ユキノは樹に突然の雪から護られながらも、そのたもとで震えて横になっていたのです。  その輝く様に白い翼、日々の暮しの中では見たことのなかった綺麗な姿に少し困惑しながら、  少年は少女を助け起こして、暖炉の火で暖かい自分の家へと連れて帰ったのでした。  その真白い少女の、あまりの軽さにびっくりしながら。  何日かの間、ユキノは少年のベッドでずっと眠り続けていました。  少年の介抱でようやく元気になってからも、結局その冬をユキノは少年の家で過ごしたのでした。  そして、それ以来、毎年雪が降る頃になるとユキノは少年のもとにやってきていたのです。  暖かい部屋の中で、とりとめもない話を交わしながら、やがて来る春を二人で待つために。  「もっと南の暖かな街へ行かなくていいの?こんな北の街じゃ寒くないの?」  何度か、少年はそう訊いたことがありました。  「ん……南の方は人がいっぱいいて、苦手だから……ここがちょうどいいの。」  その度に、微笑みながら、ユキノは同じ答えを返すのでした。  やがて、幾層に重なって一面すっかり灰銀色になった空から、雪が舞い降りてきました。  りん、りんと音のない音を散らしながら。  少年は小走りになって、あの日と同じように、暖かい自分の家へと急ぎました。  あとには、綿のような雪が、この夜に少年と少女が駆けた足跡と翼の跡を埋めて、大地に降り積もってゆきました。  ユキノは、その晩からベットでずっと眠り続けていました。  数年前と同じように。  まるで、生き物達が暖かい土の中で、息を潜めて春を待つように、毛布の中に小さな体を沈めたままで。  (前は、いつもこうだったんだ。)  黄金色の香草のお茶を飲んで、窓の外に降る雪を見ながら、少年はふと思いました。  雪待鳥の少女のいない、一人の冬の夜。  ただよう、りんごのようなお茶の香り。  言葉の消えた部屋に、絶え間なく鳴り続ける、薪の火のはぜる音。  それは、永い、ずっと終わらない夜のように感じられて。  それから幾つかの雪の夜が過ぎた、ある夜更けのこと。  少年が一人の夜を過ごして、もう寝ようと眠りの床につこうとしたその時でした。  ぽろん、ぽとん。  また少年の耳に届いた、あの調べ。  それも、いつもよりも少し早い間隔で。  慌てて寝床から窓の外を見ると、ほのかな月明かりが差し込んでいました。  (ユキノにも、聴こえているのかな。)    ぽろん、ぽとん。  静かな月の夜に、一音、また一音。  意を決して、少年は寝床から起きあがりました。  「あの調べの正体を教えてあげなくっちゃ!」  中天近くに浮かぶ、縁が欠け取られた中途半端な形の月。  そんな月の真下を、少年は駆けていました。  あの晩よりも白銀に強く輝く道標に導かれて、今度はたった一人で。  もう一度、雪原に足跡を残して。  やがて、凍った流れが途切れる、丘のふもとまでたどり着きました。  丘と夜空の境界を見上げると、次第にまた空は曇りはじめていましたが、  あの調べは、今も頂きからはっきりと届いてきていました。  少年は、急いで丘を駆けてゆきました。  その度に、僅かながら確実に大きくなる、月の滴のような調べ。  とうとう、少年は丘の頂きに駆け登りました。  一面、真白い雪で覆われた頂きの中心には、幾百の冬を越えて佇む、一本の旧い大樹。  その大樹の枝に抱かれるようにして、小さな銀色の弦楽器を手にして。  娘は、あの調べを奏でていました。  ぽろん、ぽろん。  周りの闇よりもずっと深い黒と輝きをたたえた、長い髪。  白く、流れる夜風のように薄く纏った衣。  何かを聴きとるように瞳を閉じたまま、その衣よりもなお真白い、細い指で弦を弾いている娘。  ぽとん、ぽとん。  娘のその弦の調べと輪唱するように、遠い、何処かから返ってくるもう一つの調べ。  「その音……。」  暫く何もできずに、ただ樹に座って音を奏でる娘を見ていた少年の、ようやく音を持った言葉。  少年の声に、娘はちょっと驚いた様に瞳をひらいて、やがて少し微笑んで答えました。  「想いを、大地へと還しているのです。」  「冬の夜には、春を待ちながら交わされた、幾つもの言葉が舞い降りてきます。」  弦楽器を弾く手はそのままに、半端な形の月を見上げながら、娘は少年に教えました。  「言葉が、舞い降りてくる……?」  ぼんやりと、娘の言葉を繰り返すように問いかえす少年。  「ええ。音を失って結晶になって……。」  微かなうなずきと一緒に、娘の黒髪がさらりと揺れました。  「降り積もった言葉に込められた想いは、生まれた大地へと還さねばなりません。」  ぽろん。  娘の指が、銀色の弦をつまびく音。  ぽとん。  何処かで、大地へと還ってゆく、想いひとしずく。  それっきり、少年も娘も何も言わず、ただ二つの調べだけが丘に流れていました。  不意に、娘は楽器を奏でるのをやめて、ふわりと樹の根元に降り立ちました。  夜風に、樹々の葉がさざめくような音をたてて。  「もうすぐ、今年最後の言葉達が降りてくる。私の務めもあと一度でおしまい。」  そっと、つぶやきを夜気に浮かべる娘。  「もう、お帰りなさい。翼を持った娘さんが待っているから。」  「どうして、ユキノのこと知っているの……?」  少年は、娘の言葉に心底驚いて訊き返しました。  そんな少年に、娘は優しく微笑んで、こう答えました。  「だって、私は冬の間、ずっと雪を見ていたのだから。」  その言葉を残して、娘の細い体は、急に薄くぼやけてゆきました。  まるで、闇の中に溶け込んでしまうように。  そっと、少年にきれいな手を振って。  「待って!」  少年が叫んだその時、天上から、言葉が降りてきました。  まだ月明かりが微かに残る夜空から、ひとつ、またひとつ。  音を失って、冷たくて真白い、氷の結晶となって。  後から、後へと、真夜中のささやかなおしゃべりのように。  少年は、頬にあたるのも構わずに、ずっと降りてくる雪を見つめていました。  どうしてだか、雪待鳥の少女のことを想いながら。  雪になって舞い降りる、日々の何気ない言葉の中に交わされた、人々の想い。  遠くに灯りがけぶる、少年の住む街に。やがて春が訪れるこの大地に。  いつか、あまねく地上の生物達に染み透っていくように。  音をなくして、ふわふわ、ふわふわと。  あの夜以来、雪はぱったりと止んでしまいました。  それとともに、雪のない月夜に聞えていた、娘がつまびくあの調べも。  凍てつくような夜気が少しずつその鋭さを失ってゆくとともに、ようやくユキノは元気を取り戻しはじめました。  やがて、また少年とユキノの、冬の夜の時間が戻ってきました。  とりとめもなくて、けど少年にとっては一番大切な、ささやかな時間。  身体を温める、香草のお茶を飲みながら。  結局、少年はあの調べの正体をユキノに話しませんでした。  いつものおしゃべりとは違って、何故か、上手く言葉にできなくて。  ユキノも、知ってか知らずか、調べのことを少年に訊きはしませんでした。  そうして、残り少ない冬の夜が過ぎていった、ある日の眠りの淵で。  夢うつつの少年の枕元に、あの調べが聴こえてきたのでした。  それも、硝子の滴が落ちるような、音、ではなくて。  星月夜の下を流れる空気のような、一すじの音楽となって。  滑らかに奏でられる、銀色の弦の和音。  その和音は幾つも幾つも連なって、しぶきを上げて流れる水のような、澄んだ音楽を紡ぎ出しました。  それは、ユキノと二人で聴いたあの凍った小川の水脈の調べに、何処か似ているような気がして。  そんな、春を呼びこむ雪融けの音楽を耳にしながら、少年は浅い眠りの淵で夢を見ていました。    丘の大樹の枝で銀の弦をつまびき、降り積もる想いを還す、あの娘のことを。  「いつまで寝てるのよっ!ねえ、起きてよほらっ。」  そんな幻燈の流れた眠りは、雪待鳥の少女が体を揺さぶる声で終わりを迎えたのでした。  「朝からどうしたの……、ユキノ……。」  未だに眠りの境界をさまよったままで、少年はぼんやりと応えました。  「外、見てよ、外っ。」  そんな少年を、境界から引っ張り戻すかのような、ユキノのはずんだ声。  寝巻きのまま体も引っ張られながら、少年は外への扉をあけました。  あけた扉をすばやくするりとすり抜けて、背の白い羽をかるくはばたくユキノ。  その羽に震えて、ふんわりと暖かい空気が、少年の鼻をくすぐりました。  微かに草花の香りを含んだ、新しい薄緑色の空気。  「ほらっ!」  喜びの笑みをたたえたユキノが低く浮かぶ、扉の外。  ずっと真白い雪に包まれていた世界が、一晩のうちに数多の薄い色を散りばめた世界へと生まれ変わっていました。  まだ僅かに冷たさを残しながらも、朝の空気を優しく攪拌する、柔らかな南の風。  その風につられて、微かに雪の名残が残る大地から生まれでた、ほんの小さな、色とりどりの草花達。  何処か遠くで、目覚めの歌を歌う、薄緑色の小鳥の声。  そして、目の前に浮かんで、柔らかな栗色の髪と純白の翼を南風にまかせて、ねぼけた少年に微笑みかける雪待鳥の少女。  春を待つ間、夜毎交わされた生き物達の、とりとめもない言葉。  白く降り積もったその言葉に込められた想いは、みんな大地へと還っていって。  訪れた春の日に、あまねく生き物の心へと息づいていました。  「ねえ、あの凍ってた小川、どうなってるか見にいこ!」  言葉を残すが早く、くるりと背を向けて街外れの野原へと舞ってゆくユキノ。  長かった夜を、ずっと一緒に数えてきた、ユキノの言葉。  「待ってよ、今行くから!」  少年は言葉を投げ返すと、笑いながら雪待鳥の少女の翼を追いかけてゆきました。  今年の冬の夜を、ずっと忘れないように。