そら とぶ ゆめ   Epilogue ふたりの記憶[Man&Iron]  ***** Voice Recorder − 1 ***** 「はじめまして、マスター。貴方の名前を、教えてください。」 「……『翼』、いや、『休まない翼』。うん、これに決めた。」 「……は? それがマスターの、名前ですか……?」 「ううん、貴方の名前よ、『休まない翼』。昔、空には『鳥』という生物がいて、『翼』っていう器官で風を切って空を駆けたんだって。」 「その『鳥』から取って、何処までも、空の果てや月まででさえ、飛び続ける『休まない翼』。格好良い名前でしょ?」 「私の、名前、ですか……。それで、マスターの名前は?」 「墜ちることなく、何処までも飛び続ける『翼』なら、私の名前なんて知る必要、ないでしょう?」 「はあ……。」 「私、ずっと空を飛びたかったの……。さあ、一緒に飛ぼう、『休まない翼』!」  *** End of Voice Recorder − 1 ***       *  夜明けには、大地を埋め尽くした水は、すっかりと引いていた。  冬の間、ずっと乾いていた大地から、気の早い黄緑色の草々が一斉に伸びあがって、世界はうっすらと若い緑の色に包まれていた。  すぐに、白や黄色の細やかな草花達が、春の訪れに目を醒まして、さらに大地を華やかに彩るだろう。  春の暖かな風が、栗色の前髪をさらさらと、揺らす。  そんな生まれたばかりの草原を、『機械技師』がひとりで歩いてゆく。  繋がった、機械達と言葉の、ふたりの記憶のうたを、高く軽やかに、歌いながら。    広い空を駆けめぐる 飛行機乗りの若者がいた    下に続く草原を 彼は眺めて思い出したよ    空き缶蹴りながら 遊んだ幼い日を    空き地の周りには 同じ草が揺れてた 「わあ……! ねえ、何処へ飛ぼうか、『翼』。取りあえず、観測所まで戻りたいな。風読みに、逢いたい。」  雨降りが海へと還って、後に残った大地に芽生えた一面の黄緑色に、娘は歓声をあげた。  今までは、水色の月を通じてしか、世界に届かなかった、歓びの声を。 「……できれば、先に飛んで行きたいところがあるのですが。」  『休まない翼』は、 そんな娘に目を細めて微笑んで、静かに言った。 「もう一度、空から『機械技師』を見つけたい。彼女に逢って、想い出した名前を伝えたいのです……。」 「……私も、彼女にもう一度、逢いたい。でもその代わり、後でもう一箇所飛んでみたい所があるのだけど、いい?」  『翼』の願いに、にっこりと肯いてから、少し悪戯っぽく微笑みを返す。 「……何処ですか?」 「海の上を、飛んでみたいの。海風に吹かれながら、波の上を海鳥達と一緒に飛んでみたい。」  ふわりと肯いて、娘を抱いて背の真白い翼で大きく羽ばたいて、空へと舞いあがる『休まない翼』。  さらさらと流れる春の風を、右の翼で感じながら、遠い歌声を頼りに、黄緑の草原の上空をふたりで駆ける。  もう一度、『機械技師』に逢って、今度はふたりで想いを伝える、ために。    低く風を切りながら 右の翼は思い出したよ    蹴られて転がった 草むらの夕暮れを    時は流れてく ふたつの記憶をのせて    ゆるやかに流れてく  観測所の塔の最上階のテラスで、初老の風読みは、娘が燈していった『あかり』を、そっと切った。  見渡すと、昨日までは冬の冷気に乾いていた大地が、一面薄い翠色に包まれている。  眼下にたたずむ小さな村からは、永い不安の日々も過ぎて、新しい季節を迎えた喜びに、早くもさざめき始めているのが、聞き取れる。  その中に、風読みの心に遠く聴こえる、澄んだ『機械技師』の歌声、そして、水色の月を介さない、娘の言葉。 「……『機械』達の方が、僕よりも正しかったとは、想いもよらなかったな。」  円形のテラスを吹き抜ける、さらさらとした風に目を細めて、風読みは呟く。 「……まさか、るなが、僕と同じように、遠い昔に飛空兵として空を飛んでいたとは、想わなかった。」  そのまま、風が髪を揺らすに任せて瞳を閉じて、『機械技師』のうたを聴きながら、遠い昔のことに想いを寄せる。  名前を教えなかった自分に、『風読み』という名前を与えてくれた、攻撃機の、こと。  撃墜された時に、懇願に折れて本当の名前を教えて、別れたきりになった、空を飛ぶ『機械』の、こと。  気が付いたら、自分はこの別の時間、別の世界へと、墜ちていた、けれど。  『機械技師』のうたを聴きながら、そのまま、風読みは懐かしい『機械』のことを、想う。    重いオイル差しながら 彼の作った錆びたロボット    草が揺れる丘の上 ふたり座って思いめぐらす    大空駆けめぐる 自由だった若い日を    大きな風を切る 翼だったあの日々を  海からは、遠く、遠く離れた、村はずれの誰もいない小さな草原。そこにただひとり立つ、大きなにれの樹の前で。  さらさらと、草達を揺らす暖かい風の中に、ふと、懐かしい歌声を聴いた、気がして。  人型の『機械』は、その透明な硝子の瞳を、優しい朝の空のような蒼色に、微かに明滅させた。  自分を構成する、回路と部品の幾つかが、うたを憶えていた。  墜ちて壊れて転がっていた所を、拾われて、人型の『機械』の部品として組み込まれた時から遡って、ずっと昔のこと。  その部品達が、空を駆ける『機械』の、翼だったころに、聴いた、うた。  自分が『風読み』と名付けた、飛行機乗りの若者。  彼は、敵機を墜とす度に、淋しそうに、うたを歌っていた。自由に空を飛ぶことに、憧れて。  そして、もうひとりの、いつも遊びに来てくれた翼を持つ民の、少年のことを、想いだす。  自分と同じように、遠い昔、別の世界で、空を飛ぶ『機械』だった、少年のことを。  樹を護るように立ったまま眠る、『機械』の時間は、ゆっくりとゆっくりと流れてゆく。  ふたりの記憶を、のせて。  傍らに、立てられた円筒形の金属缶には、あの少年が差して残した、ひとひらの真白い羽が、さらさらと風になびいて、揺れている。    時は流れてく ふたりの記憶を    のせて流れてく    時は流れてく    うたを歌い終わって、『機械技師』は淡い春の空気を胸一杯に吸いこんだ。  そうして、一面の草原の中を、ひとりで、旅を続ける。鳥のように、空を駆ける翼はないけれど。  この世界中に残って眠る、『機械』達。その『機械』達に届けた、大切な、大切な、言葉達。  『機械』と言葉が紡いだ、いくつもの、うた。繋がったうた、繋がらなかったうた。  そんな『機械』のうたを、金属でできた小箱に集めて。  『機械技師』は、たったひとりで、世界に足跡を残して、歩いてゆく。  遠い、遠い、月の扉を抜けた向こう側の世界へと、『機械』のうたを、届けるために。                                                                                                             Fin