聴こえますか。 聴こえて、いますか。  ささやかなパルスに乗せた、私の声、聴こえていますか。  このプログラムは、通常の域内電波に加えて、わずかながらの星間電波にものせて、お送りしています。  ささやかなおはなしとうたが、遠いあなたのもとへと届くよう祈りをこめた、小さな電子の波。  "Pulse"  こんばんは、パーソナリティのチナツです。お元気ですか?  みなさんは「おつきさま」ってご存知ですか?  正式な呼称は「月」、西方語では"Moon"と表記する、この「おつきさま」。  かつて故郷の星に私達が住んでいたころ、ひとつの小さな衛星がめぐって、私達を優しく照らしていました。 一定の周期で見えたり、見えなくなったり、満ちてまんまるくなったり、欠けて細いナイフのようになったり。 今宵は、そんな「おつきさま」にまつわるものがたり。 これから短いひととき、お付き合い下さると嬉しいです。 Moon Song  深い蒼色のちいさな星間ラジオと、たった一行の書き置き。  それだけをわたしに残して、ミチルは姿を消したのでした。  まるで、厚い雲に隠れて見えなくなった、おつきさまのように。  ミチルは、この移民星の生まれではなくて、まだちいさい頃にここに引っ越してきました。  両親は、移民星の天候や降雨を調査し管理する気象官の仕事をしていました。  気象官は、どの移民星でも重要な役割を果たす技術官ですから、あちこちの移民星に移動する機会も多いのです。  ミチルも、両親の転勤に伴って、この移民星にやってきたのです。  ミチルははじめてこの移民星に来たちいさい頃から、どこか不思議な輝きに包まれた子でした。  さらさらしたストレートの、夜天のようにつややかな黒髪。  同じように深い黒の瞳には、何処か猫のような気まぐれさをたたえていました。  あまり他の子達とは交わらないのに、淋しそうでもなく、いつも明るく笑っていて。  行動もどこか気まぐれで、しょっちゅう学舎を抜け出しては街を散歩していたり。  そんなミチルが何より大好きなのは、うたをうたうことでした。  空を見上げながら、夜の街を散歩しながら、音楽の授業で鍵盤を奏でながら。  ミチルは、高く澄んだ誰よりも綺麗な声で、よくうたをうたっていたのです。  たいていは、それは、この移民星では聴いたことのない、遠い何処かのうたでした。    たとえば、こんな古いうたとか。   心はまわる お月さま   だから 見えなくなっても 心配しないでいい   時がめぐれば また輝きがかえるよ  幼い頃の私は、同じ街区に住んでいるのに、そんな輝きに包まれたミチルに、ずっと話しかけることができないままでいました。  わたしは、彼女と違って、ひっこみじあんであまりめだたない子でしたから、何だか、彼女に接するのに、妙に心の中で気後れしてしまって。  今思うとあるいは、彼女への密やかな憧れの、裏返しだったのかもしれません、けど。  そんな彼女と仲良くなったのは、初等科の頃ひとりで夜の散歩をしていた時のこと。  それからは、中等・高等学舎とずっと、いつも一緒に過ごしてきました。  性格は全く違うふたりなのに、いつの間にか、かけがえのない友達になって。  夜の散歩道で、どんないきさつがあって、彼女と仲良くなったのか。  随分昔のことだったから、彼女が消えたその時には、あまり憶えてはいませんでした。  でも、本当はそれが早く彼女への扉を開けるための、ひとつの鍵だったのです。  ミチルが消えたのは、さらさらと穏やかな風が居住区にも流れはじめた、五の月のある日のことでした。  一時限目の教室で、ひとつだけぽつりと空いた彼女の席を見て、最初はまた何処かに抜け出したんだ、と思っていました。  彼女がひとりで、あるいはか私を誘って、というよりはなかば強引に引っ張って学舎を抜け出すのは、いつものことでしたから。  つまんないな、と少しため息をつきながら机から端末を取り出した、その時でした。  きんっと、胸のなかを電気が通り抜けるように響いた金属音とともに、何かがわたしの机から転がり落ちたのです。  何だろうと、拾い上げてみると、それはごく小さな機械でした。  何処かで見たことあるな、と思いながら、授業を聞きながらその蒼い機械をしばらく手のひらで転がして眺めて、ようやく私は思い出しました。  あれ、ミチルの星間ラジオじゃない、と。  私の宝物、と言って、いつだったかミチルが部屋で見せてくれた、蒼い星間ラジオ。  こんな小さいのに、遠くの移民星からの電波も届くんだよって、いとおしそうに笑って。  その銀色の細いアンテナには、ごく小さな群青色の紙片が結び付けてありました。  少し胸騒ぎをおぼえながら、教科書のかげでそっと紙片を開いてみると、たった一行、こう書かれていたのです。  見間違えようのない、曲線の綺麗な彼女の筆跡で、西方の文字で。   For my precious moon  ミチルは何がしたくて、こんな書き置きを残して学舎を抜け出したのだろう。  私には意味の判らない、四つの単語を眺めながら、私はぼんやり考えました。  授業を聞き流しながら考えて、結局たどり着けた結論は、ひとつだけでした。  たぶん何か悪戯でも思い付いて、私に謎かけでもしてるんだろう、と。  それだったら、確かにミチルならやりそうなことでしたから。  だったら、と私は冷たい感触の小さな機械をそっと握り締めました。  面白い、あなたの謎に挑戦してやろうじゃない。  心のずっと奥で、私の直感が灯していた不安のシグナルを打ち消すように、そう心の中で宣言して。  と、勇ましく宣言してみたものの、ミチルが私に残した手がかりは、わずかに星間ラジオひとつと群青色の紙片、だけ。  まず私にできることは、紙片に記された言葉の意味を調べることくらい。  そう思って、授業を聞き流しつつ端末で調べてはみたのですが、結局四つの単語のどれひとつとして、意味を知ることはできませんでした。  西方の言葉は、移民星ではもう使われていない古い言葉なので、学舎の生徒がアクセスできる程度のデータには、体系だった情報は載っていないのです。  しょうがないな、とため息をついて、私は休憩時間にそっと席を立ったのでした。  ミチル抜きで、たったひとりで学舎を抜け出すという初めての経験に、どきどきする心を抑えながら。    *  教室を抜け出して私が向かったのは、学舎のはずれにぽつりと立つ図書室でした。    灯りを抑えた小さな図書室のいくつもの棚には、端末からは調べられない、古い昔のことやおはなしがたくさん、冊子体パネルに収められて眠っていました。  中には、遠い昔の私達の故郷の星のこと、なんかも。    学舎の生徒達は、どこか陰気なこの場所に、あまり寄り付こうとはしなかったけど、 私は、旧い知識が眠るこの図書室の静かな空気がなんとなく好きでした。  もっとも、ここが好きになったのは、ここで古い冊子体パネルを見るのが好きなミチルに、何度も強引に連れられてきたから、なのだけど。  ずっとむかし私達の祖先が住んでいた、故郷の星。  その星に息づく植物や風景のこと、そして、うたが、ミチルは大好きだったから。  授業中ともあって、誰もいない図書室にぽつりと佇んで、私は紙片の解読を始めました。  古い冊子体パネルを調べて、ようやく四つの単語のうち、前三つの意味と繋がりはわかったのですが。  最後のひとつ、"moon"という単語。  これだけは、いろいろと冊子体パネルを調べてもどうしてもわからなくて、高い図書室の天井を見上げて、ふうとため息をついた、その時。  不意に開いた扉の音に、私の心臓が縮みあがったのは、まさにその瞬間でした。 「おう、授業を抜け出して調べものかい、感心、感心。」 「……先生だって、今は初等クラスのうたの授業だったんじゃないのですか?」  少し皮肉めいた、それでいて叱責する様子はさらさらない、穏やかな声。  そんな聴き慣れた声に、私はすこしほっと胸をなでおろしながら言い返しました。 「読みたい資料を見つけたから自習にした。教師は常に自らの学習を怠ってはいかんのだ、うむ。」  偉そうなことを言いながら、要は私と同じように学舎を抜け出してきた風情の、初老の教師。  そんな彼は、私達の音楽の先生でした。  先生は、この学舎の中では少々変わり者でした。  例えば、しょっちゅう自分の興味を優先して授業を自習にしてばかりいたり、音楽の授業なのに気がついたら、天体や古い故郷の星のこととか、雑談に終始して授業が終わらせてしまったり。  そんな感じの先生でしたから、何処かしらミチルも気があうところがあったのかもしれません。  学舎の授業が嫌いで抜け出しの常習犯だったミチルも、この先生の授業だけは一度も抜け出すことなしに、いつも楽しそうに受けていたのです。  特に、先生が歌唱の授業で気が向くと歌ってくれた、古い故郷の星のうたがミチルは大好きで、授業で数度聴いただけで、もう次の休憩時間には完璧にうたいこなしてしまったり。 「……先生、この西方語の単語、もしかして読めます?」  ふと思い立って、私は先生に群青色の紙片を見せて、尋ねました。  古いうたの詞や言葉に詳しい先生なら、あるいは知っているかもしれないと思って。  それに、ミチルは、古いうたの言葉を引用するのが好きだし、と思い出して。 「ふむ、『月』、だな。」  案の定、先生はほんの数瞬考えただけで、すぐに答えを教えてくれました。 「『月』って……暦の『一の月』『ニの月』って区切りのことですか?」 「その『月』もそうだが、もともとは故郷の星の周囲を巡っていた、小さな衛星の名前だ。とても古いうたの詞には、たまに出てくる。」  少しぽかんとした私の質問に、先生は少し首を傾げてこう答えました。  最後に、悪戯っぽく私を見て、こう付け加えて。 「繋げると『私の大切な月へ』ってところか……。これって、もしかして恋文か?」 「……違いますっ!」  何故か少し頬が熱くなるのを感じて、私は先生から群青色の紙片を奪い取りました。  お礼も言わないままに、そのまま図書室を出ようと立ち上がって。 「あれ、ミチルは一緒じゃないのか? あいついつも、ちーちゃん、ちーちゃんって言いながら、お前の後について行ってるのにな。」  図書室の扉を開きかけた私は、先生の問いに不思議な心持ちで振り返りました。 「……そんな風に、見えるんですか?」 「あれ、違うのか? 僕にはてっきりそう見えたけど。」  少し悪戯っぽい響きで届く先生の声を無視して、私は図書室を後にしたのでした。  そんなの全くの逆じゃない、ばかにして、と思いながら。    *  ザザッ、ザザッ、ザザッ。  銀色のか細いアンテナは、何処かから送られた電波を受け取ることもなく、スピーカーからざらついたノイズを繰り返し鳴らすばかり。  学舎の門柱にもたれたまま、私は小さくため息をついてラジオの電源を切りました。  『私の、大切な月へ。』  彼女の宝物だった星間ラジオを添えて私に送られた、ミチルの言葉。  「月」が私を指すとしても、どうして私が故郷の星を巡る衛星なのか。  そんな言葉と一緒に、どうしてこの小さな宝物の機械を私の机に潜ませたのか。  結局私は、ミチルの残したそんな謎かけになす術もなく、こうしてためいきをついているのでした。  微かな憧れを覚えながら、あれだけ彼女と一緒に過ごしてきたというのに。  それでも、心のうちで、何かを忘れているようなぼんやりとした感覚と、微かな不安のシグナルだけが小さく灯を燈し続けていて。  それが、余計に私のいらだちと焦りをつのらせるのでした。  情けないことに、この時点では、私は全然気づいてはいなかったのでした。  "moon"という言葉で記された、「月」という衛星。  それが、彼女が小さい頃からよくうたっていた、あの「おつきさま」だということに。  『わたしの、大切なおつきさまへ。』  ミチルは、あの群青色の紙片で、そう私に言い残してくれたのです。  私にとってはずっと、ミチルこそが、おつきさまだったというのに。    *  そんな風に、しばらく門柱にもたれて考えを巡らせていた私は、取りあえずミチルの部屋に行ってみようと、降参して歩きだしたのでした。  とっておきの謎かけを解けなかった私の顔を見て、悪戯っぽくくすくす笑うのか、それともふてくされてそっぽを向くのかは判らなかったけど。  それでも、今は早くミチルに会いたい。  まだ胸のうちに残る微かな不安の灯火が、そんな風に私をかきたてたのです。  人通りの少ない舗道、せわしなく行きかう大人達、静かな住宅街の路地道。  本来なら学舎に居るはずの時間の街並みは、こうして歩いていると、いつもとは何処か違った空気を纏っているように感じます。  まるで私達、水槽から抜け出した魚みたいね。  そんな風に、ミチルは笑いながらいつも言っていました。  たぶんミチルにとっては、日々を暮らしてゆく学舎での時間は水槽のようなもので。  たまに日常からかけ離れた、魚にとっては広がる海のような時間に触れないと、きっと息苦しくなってしまうのだろうと、思います。  歩きながら、そうぼんやりと考えていたら、ふとこんな思いが頭をよぎりました。  子供の頃私やミチルが夜の街をふらりと散歩していたのも、もしかしたら同じことだったのかもしれない、と。  幼いながらも、無意識に海を求めて水槽を抜け出した、小さな魚達。  そんなふたりだからきっと、夜の散歩道で出会ってから、ずっと友達でいたのかも知れない。  二匹で一緒に、自由な海を目指しながら泳ぎ続けて。  私は思わず、ミチルの星間ラジオを、そっと握り締めました。  今はまた、私ただ一匹になってしまったのだ、という心細い思いに包まれて。  ミチルが消えてから、何故だかこんな不安や心細さばかりが、胸を掠めてしまって。  今思うと、もしかしたらこの時すでに、私は握り締めた小さな機械のアンテナで、彼女からのパルスを受け取っていたのかも、しれません。  ミチルの住まいは、私が暮らす街区のはずれの、小高い丘にありました。  すらりと高く背を伸ばしたアンテナや、円盤型の観測機器、小型艇のポートまで備えた気象官の大きな居住舎は、丘の下からでもよく目立って見えました。  そんな立派なミチルの家に、幼い頃はじめて遊びに行った時は、ずいぶんと気後れがしたのを今でも憶えています。  もっとも、ひとりで過ごすには広すぎる味気のない建物だよと、ミチル自身はいつも軽く笑いながら流していたのですが。  実際、ミチルのご両親は、気象官の仕事が忙しくていつもこの移民星を飛び回っていましたから、昼間は彼女以外の人がこの居住舎にいることは、ほとんどありませんでした。  だから、居住舎のコールボタンに反応して、招くように扉が開いた時には、私は一瞬ほっとしたのです。  やっぱりミチルは、謎の答えを持って、悪戯っぽく微笑んでここで待ってたんだ、と。  でも、そんな私の安堵は居住舎の扉が開いたその時に、早くも砕かれてしまいました。  扉の先で私を迎え入れてくれたのは、やっぱりミチルではなかったのです。 「あの、ミチルさんはいらっしゃいますか?」  そんな微かな不安をにじませた私の問いかけに、ミチルのお母さんは、そっとためいきをついて、こう応えました。 「……と訊ねるということは、貴方もミチルの行き先を知らない、ということね。」  話しを聞いたところ、お母さんがミチルの行方について知っていることも、そう多くはありませんでした。  ただ、今朝、学舎に出かけるときは、普段通りでかけていったこと。  でも、気がついたら、ただひとことだけ記された、群青色の紙片が残っていたこと。  ちょっと遠くにでかけて来る、ちゃんと帰ってくるから心配しないで、と。 「突然、こんなことになったから無理もないのだけど。」 「こんなことって? ミチルに、何かあったのですか?」  ぽつりともらしたミチルのお母さんの言葉に、微かな不安を抱いて私は聞き返しました。 「……そっか、あの子、貴方に何も話していないのね。」  そんな私の質問に、ちょっと驚いた顔をして。 「ちゃんと帰ってくる、と言ったからには、あの子のことだからきっと戻ってくる。」  私の質問には答えずに、お母さんは冷静な表情で、まっすぐに私を見つめました。 「でも、もしよかったら、貴方がミチルを見つけてくれると嬉しい。あの子、貴方のことが大好きだから、きっと喜ぶと思うから。」  ミチルからもう一つ伝言があったの、とそんな私を励ますように、付け加えて。 「おつきさまを見に行ってくる、って、貴方に伝えてって。」     *  ミチルが残した伝言を心に抱いて、私はぼんやりと街角を歩きました。  まるで「おつきさま」という言葉でつくられた、記憶の迷路の奥へとたどるように。  こつ、こつ、こつと、私の靴が舗道をたたく音だけが耳に入ってきます。  その靴元から伸びる影は、午後の傾きゆく陽射しを受けて、少しずつ長くなっていました。  まだ思いだせはしないけれど、この「おつきさま」という言葉が、確かにミチルと過ごした記憶の片隅に燈っているのだけは、私にも判っていました。  その記憶を、無意識に歩くことで思い出そうと試みたのは、確実に、私のアンテナもミチルの想いを受信し始めていたのだろうと、思います。  すこしずつ、すこしずつ、彼女の送る電波を小さなラジオを通じて、受けとめて。    はじめに思い出したのは、彼女がこんな風に街を散歩している時にうたっていた、おつきさまのうたでした。  それはたしか、こんな風な歌詞でした。   心はまわる お月さま   だから 見えなくなっても 心配しないでいい   時がめぐれば また輝きがかえるよ  心の水面へと、ぽつり、ぽつりと浮かび上がってくる、彼女のうたの言葉。  そのうたが、微かな灯となって、私を幼い日の記憶へと導いてゆきました。  夜の散歩のさなかで、はじめてミチルと逢った、幼い日の記憶へと。     * 「ねえ、どうしてこんな真夜中に歩いてるの?」  深い黒をたたえた大きな瞳で、少し警戒して堅くなったな私の顔を見つめて、その子はたずねました。  微かに、どこか楽しそうな表情を浮かべて。  夜風にさらさらと黒髪を揺らせるその子は、相変わらず綺麗で、輝いて見えました。  藍色の帳が降りて、昼間とは違うひそやかな影と気配に包まれた街区のなかで、よりいっそう神秘的な色をまとっているようでした。  でも、夜の自由な空気の中で出逢ったその輝きは、学舎で遠くから目にした時みたいにまぶしすぎて気後れするような風ではありませんでした。  むしろ、何だかこの夜を静かに照らすような、優しい輝きのような気がして。  だから、私は素直に、その子の問いかけに答えたのでした。 「私、夜が好きだから。」  はじめは、そうぽつりと小声で呟いて、少しずつ言葉を継ぐようにして。 「夜の空気の中、ひとりでおさんぽすると、何だか息苦しさがとれる気が、するの。」  そんな私の呟きめいた言葉に、その子は一瞬驚いた表情を浮かべました。  そして、ふわりと本当に嬉しそうに微笑んで、こんな風に言ってくれたのでした。 「じゃあ、わたしと同じだね。わたし達一緒なんだ。」  そう言って、その子は遠い夜天を見上げて、夜のひそやかで優しい空気を、自分の輝きのなかにとりこむように、すうと深く息を吸いました。    そうして、両手を伸ばして、楽しそうにくるくると廻るのでした。  白くてしなやかな腕で、円の軌道を空気に描いて、さらりと夜風に身体をまかせるようにして。 「わたし、ミチルって言うの。あなたは?」  そんなミチルの綺麗な姿に少し見とれながら、私はぽつりと自分の名前を呟きました。 「いい名前、だね。ねえ、ちーちゃんって呼んでもいい?」  そのまま、私の手をぎゅいと握って、街灯が点々と円い明りを落とす舗道を軽く駆け出して。 「ねえ、ちーちゃん、おつきさま、見にいこうよ!」  私と一緒にいて手を握っていることを、本当に嬉しそうに微笑んでた、ミチル。  夜の散歩道でそんな風に出逢ってからずっと、ミチルは私にとって、強くて優しい明りを燈す、大切なおつきさまだったのです。 「……おつきさま、って、なあに?」  ミチルに手を引かれるままに、ふたりで夜の街区を魚が泳ぐように軽く駆けながら、私はぽつりと訊ねました。 「ずっと昔故郷の星の周りを、ちいさくて円い、明るい星が巡っていたんだって。」  さらりと黒髪を揺らして、私に振り返ってミチルはこたえました。 「一定の周期とリズムで、円が満ちたり、欠けたり、真夜中に輝いたり、明け方の空に浮かんだりして、ずっと故郷の星に寄り添って輝いているのよ。」 「……それが、おつきさま、なんだ。」  まだ飲み込めない風情の私に、少しはにかんだ表情を浮かべてうなずくミチル。  おとうさんに教えてもらったのだけどね、とそっと付け加えて。 「夜には、生き物を導くように優しく強く、黄色い灯を燈して輝いていたんだって。昔のうたにも、よくおつきさまって出てくるのよ。」 「……でも、昔の故郷の星でのはなしでしょう? 見に行くって……?」  けげんそうに首をかしげる私に、ちょっと悪戯っぽい微笑みだけを返して、ミチルはきゅっと私の手を引くのでした。  その時に彼女がうたっていたのが、私が思い出したうただったのです。   ROUND ROUND 長い時が   ROUND ROUND かかるかも知れない   だけど 見えなくても 満月の道は   あの頃のように ここにいつもあるのさ  舗道に映る街灯の明かりと影のあいだをすりぬけて、私たちふたりは街区の一番はずれまで駆けてきました。  やがて、ミチルがぱっと手を離して立ち止まった場所を見て、私は肝を冷やしました。 「ここって……まずくないの?」  目の前には、深緑色の葉と細いつるでできた生垣が広がっていました。  その向こうからは、微かな花の残り香が夜気に溶け込んで、ふんわりと漂ってきます。  ただ、混じり合って届くその甘い芳香は、どれも街区や郊外、この移民星の土地ではかぐこともない、不思議なものばかりでした。 「ここだからこそ、おつきさまが見られるのよ。大丈夫、何度も入ってるから。」  私のつぶやきをそんな風に軽く返して、ミチルは悪戯っぽく微笑むのでした。  ミチルが侵入しようとしていた生垣の向こう、そこは植物学者さんの庭園でした。  この街区のはずれに住んでいる植物学者さんは、かつて故郷の星に生えていた草花や樹木を、この庭園でひとり研究していたのです。  その研究のいくつかは実を結んで、実際にこの移民星の土に適応して、庭園には様々な故郷の星の草花が根づいていました。  だから、季節によっては本来移民星の荒野では見ることのできない、色とりどりの珍しい花が、庭園にぽん、ぽんとあざやかな彩りをそえて開いているのでした。  ただ、植物学者さんは優秀だが、がんこで偏屈だという街のうわさもありました。  とりわけ、珍しい故郷の星の花を摘み取ろうとする子供達は、つかまって散々ひどい目にあった、といううわさも学舎では広まっていたのです。  だから、植物学者さんの庭園は、子供達にとっては魅力にあふれながらも、近づくことはできない場所だったのです。 「ほら、このつるの隙間から入れるから。わたしの秘密の入り口なんだ。」  その庭園をミチルは恐れる風でもなく、私を連れて堂々と侵入するのでした。  こわごわ見回すと、街明かりに照らされた庭園の草花はみんな眠りに就いていて、その小さな葉影を影絵のように黒々と地面に落としていました。  その眠る古い草花達の、いちばんはじっこに。  街灯のようにぽわりと、微かな黄色い輝きが燈っているのが、目に入りました。 「ほら、あそこ、わたしのおつきさま。」  ミチルは嬉しそうに瞳を細めて、私をその輝きの方へと引っ張ってゆきました。 「わぁ……。」  私は、ミチルのおつきさまを見て、思わずちいさく感嘆の声をあげました。  茎も葉もまるで刃物のように細い、淡い緑色の草花。  その草花がほんの数輪で寄り添って、細い身体をしっかりと夜天に伸ばして、真夜中の空気の中にその花を咲かせていたのでした。  そのささやかな黄色い花びらから、淡い燐光を発して、街灯のように輝いて。 「この花、本物のおつきさまの周期にあわせて、花を咲かせるんだって。」  愛おしそうに、そっと輝く花びらに触れながら、ミチルが言いました。  おつきさまの周期に合わせて、この夜に花ひらいた、遠い故郷の星の草花。  それは、見えないおつきさまの光をうけて、淡く輝いているみたいに見えました。  私にはそれが、まるで、パルスを受け止めるアンテナのように、その花びらで天を指しているように見えて。 「……本物のおつきさまはいないのに、今もずっと忘れないでいるんだね。」  ぽつりと、ミチルが少しさびしそう呟いた、その時でした。 「誰だ。そこで何をしている。」  低く、不機嫌そうな声が夜気をつんざいて、私達ふたりのもとに降ってきたのでした。  いけない、とミチルは慌てて私の手を掴んで、秘密の入り口へと駆け出しました。  半ば強引に生垣を抜けた後も、しばらくの間夢中で夜の舗道を駆け抜けて。  その時の、ふたりの靴音と、鼓動、そしてお互いの手の温かさを、私は今も憶えています。  もう追いかけてこないと判って、私達はようやく息を切らしながら舗道にへたり込みました。  ふたりとも、まだ深い闇をたたえたままの夜空を見上げて、少し笑いながら。 「私、きっとただ忘れていないだけじゃないと、思う。」  まだ切れ切れの息をつきながら、ふと、私はミチルにつぶやきました。 「きっと、見えなくても、電波みたいに遠く遠くおつきさまから届いてくるの。だからきっと、今でもおつきさまと一緒に咲けるのだと、思う。」  そんな私の、唐突なつぶやきを耳にして、しばらく不思議そうな表情をして。  嬉しそうに軽くうなづいて、ミチルはこんな風に応えたのでした。 「わたし、おつきさまって、うたうことと同じくらい、ずっと好きだったんだ。」  そうして、私を見つめて、優しくふわりと微笑んで。 「ちーちゃんも、きっと、わたしの大切なおつきさま、だよ。」     *  ミチルのおつきさまのこと、どうして、忘れてしまっていたのだろう。  そう、そっとため息をついて、幼い記憶の淵から我に返った時。  気がつくと私は、深緑色の葉でできた、記憶と全く同じ生垣の前に立っていました。  たぶん、私があの夜の散歩道のことを思い出しているうちに、無意識に憶えていた道筋をたどって、ここまできてしまったのでしょう。  慌てて逃げ出した、あの夜の記憶が心を掠めて、私は一瞬ためらいました。  でも、おつきさまを見に行ってくる、というミチルの伝言が、私に逢うことではないとしたら。  後は、この植物学者さんの、おつきさまと一緒に咲く花しか、ありませんでした。  あの花と一緒に、ミチルが待っているかもしれない。  そう言い聞かせて、私はこっそり植物学者さんの庭園に忍び込んだのでした。  あの夜、ミチルに手を引かれてくぐった入り口を、いまはただひとりで通り抜けて。  ほんの微かに茜色が差しはじめた午後の陽を受けて、ちいさな草花達が色とりどりの花を咲かせていました。  薄紅色、淡い明け方の空のような菫色、微かな桃色を帯びた、淡い白。  どれも、この移民星の土地では見ることのない、忘れられた遠い昔の草花達。  まるで、忘れられてしまった、きれいな記憶が流れ着く場所のように、草花達はこの植物学者さんの庭園で、時間を越えて花開いているのでした。  そんな華やかな庭園の片隅、記憶と同じ場所に、あのおつきさまの草花が数輪、淡い 緑色の茎を天に伸ばして佇んでいました。  でも、あのほのかな明かりを燈すおつきさまの花は、閉じていて。  やっぱり、そこにもミチルの姿はなかったのです。 「ミチル、ひとりで何処に行っちゃったの……?」  私はぽつりとつぶやいて、おつきさまの花の前にしゃがみこみました。  まるで、夜道でおつきさまを見失ってしまった迷子の様に、心細くて。  そうしてずっと、開かないおつきさまの花のつぼみを、見つめていました。  この花が、あのやわらかい灯りを燈せば、ミチルが来てくれる、そんな気がして。 「……そこで、何をしている。」  ずいぶん経って、低い不機嫌そうな声を背中にかけられた時も、私は逃げもせずにじっとつぼみを見つめ続けていました。 「ここの花を安易に摘まれては、困るのだ。摘んだ所で、この草花達はこの庭園の土にしか適応できない。ここから離しては花が可哀想だ。わかるか?」  ますます不機嫌そうに、無愛想なその声はそう続けました。  何も応えない私に、どことなく困ったような風情で。  そこでようやく、私は植物学者さんに気づいて、顔を上げました。  情けないことに、おつきさまに逢えないさびしさに、頬を濡らしながら。 「何故泣いてるのだ……? と、取り合えずこちらに来なさい。茶くらいなら出してやるから、ほら。」  今思うと、突然自分の庭園でしゃがみこんで泣いてる私を見て、植物学者さんはさぞかし困惑したのだろうなと、思います。  植物学者さんが淹れてくれたお茶は、それまで味わったこともない、何処か若くてふんわりと甘い風味がしました。  その優しい味に、少しだけほっとしながら、私は申し訳ない気持ちで、横目で植物学者さんをちらりと見ました。  そんな私の視線を知ってか知らずか、やれやれといった風情で、不機嫌そうな顔のまま自分にもお茶を注ぎながら、植物学者さんはぽつりとつぶやきました。 「珍しいな、咲いている草花には目も止めずに、月読草だけに惹かれる者がふたりもおるとは。」 「ふたりって、ミチル、ここに来たんですか?!」  何気ない植物学者さんのつぶやきに反応して、私は思わず叫びました。 「……一体、何のことだ?」 「……子供の頃、ミチルという私の友達が、おつきさまを見せてあげるといって、真夜中にこの庭園に忍び込んで、おつきさまと一緒に咲く花を見せてくれたんです。」  私の告白に、軽く咳払いを返す植物学者さん。そんな様子に少し身を縮こまらせながら、私は先を続けました。 「そのミチルが、『おつきさまを見に行ってくる』と伝言を残して姿を消してしまって。だから、ここならばミチルがいるかと思って……。」  眼鏡の淵を直して、ふむ、とあごに手を当てて、黙り込んでしまった植物学者さん。  その沈黙が何だか心苦しくて、私はぽつりとつぶやきました。 「あの……、ご迷惑をおかけして、すみませんでした。」  そんな私の言葉など耳に入らぬ風情で、しばらくそのまま考え込んでから、植物学者さんは突然何かを紙片に書きはじめました。  一心に何かを記している紙片をちらりと覗き見ると、どうやら地図のようでした。 「この庭園に咲いている月読草は、研究のためのものだ。譲ることはできない。」  書きあげた地図を私に差し出すと、急にこんなことを話し始めました。 「月読草は本来この移民星には咲かないが、唯一、海岸の傍らなら咲く可能性がある。故郷の星に打ち寄せる海の波は、月の周期の影響を受けていた。きっと同じ月に属するものとして、海と月読草は波長が合うのだと、思われる。」  何処か、まるで学舎での授業みたいな口調で、早口で話す植物学者さん。  私は、地図を手にしたまま、少し首を傾げつつその言葉を聞きとめました。 「この地図に示した海岸は、月読草の育成環境にもっとも近い。あるいは、帰化した野生の月読草の花を、得ることができるかもしれない……おまえの運が良ければ、だが。」  そう締めくくって、何故か、植物学者さんは立ちあがって私に背を向けました。  そうして、ぽつりと、こう付け加えて。 「……友達に月読草を贈りたいと言って、先日ここに来た娘に、そう話した。」  最後の一言に、私が思わず腰を浮かせて声をかけた時には、植物学者さんは話は済んだという風情で、背を向けたままもう庭園へとに歩み去ろうとしていました。  最後にひとことだけ、こう、私に言い残して。 「行くのなら、急いだ方がいい。今日の月の出は、夕暮れ後すぐのはずだ。」     *  海岸方面へのエアバスに揺られて、終点のステーションで降りて。  そこから、植物学者さんの地図を頼りに、私はひとり海沿いを歩き続けました。  乾いた茶色の砂にぽつりと落ちる私の影ぼうしは、もうすっかり長くなって。  彼方に広がる空は、夕刻の薄い橙から淡い菫色へ、やがてくる群青色へと、ゆっくりと移り変わってゆきます。  そんな誰もいない夕暮れの海岸を、ぽつりとひとりで歩いていても、不思議とさびしくはありませんでした。  さら、さら。 さら、さら。  一定の周期で絶え間なく届く、優しい波の調べ。  私のアンテナへと届く海の波の調べが、確かにミチルが待ってると伝えていたから。  小さな蒼い星間ラジオに届く電波、耳へと届く海の波。  海に寄せては返す波も、月読草の花も、おつきさまから波長を受け取っていて。  そんな様々なパルスが繋がって、ミチルから私へと届いているような、気がしました。  そのミチルからの通信に対して、私の心は、ずっと返信を送り続けていました。  ミチルに逢いたい、と、ただその一つの想いだけを、繰り返し。 「わたしの大切なおつきさまへ」なんて言葉をそえて、宝物だった星間ラジオを私に託して姿を消してしまった、ミチル。  そんなミチルが、何処かへ行ってしまって、もう逢えなくなってしまう気がして。  学舎で彼女が残した群青色の紙片を見つけてから、そんな不安の種を、私はずっと心の奥底に抱えていたのです。  私にとっては、綺麗で自由な心で私を引っ張ってくれるミチルこそが、私を優しく照らしてくれる、おつきさまだったから。  さら、さら。 さら、さら。  歩くたびわずかに高まってゆく、くりかえしし続く波の旋律。  その海の波と同じように、私もくりかえし、くりかえし、そんな想いを返信し続けて。  そんなふたつのパルスが、満ち潮のように高まった、その時でした。  ひときわ大きな乾いた丘を越えた、その向こうの砂浜に、シグナルのように。  夕暮れの低く紅い輝きに照らされて、その儚げな細い茎と葉をアンテナのように菫色の空へと向けた月読草の群生が、ぽつりと佇んでいました。  そうして、その中心にひときわすらりと綺麗に立って、海風にさらりと黒髪をゆらす、ただひとりの、人影。 「ミチル!」  砂で疲れた足がもつれるのも構わず、私は駆けました。  私の声に気づいてふわりと振り返った、大切なミチルのもとに。 「よかった、ちゃんとわたしのパルス、ちーちゃんに届いたんだね。」  やっとの思いで追いついた私に、少し首を傾げて、嬉しそうに瞳を細めて。 「ミチル、どうして……!」  想いがあふれて言葉が出せない私の頭を、そっと撫でながらミチルは答えました。 「実験したかったの。その星間ラジオを通じて、ちゃんとちーちゃんと繋がるか。」  そうして、私をなだめるように、ふわりと微笑んで。 「ごめんね、ちーちゃん。おつきさまが見えたら、ちゃんと話すから。」  それから、私達はふたり並んで月読草が咲くのを、じっと待ち続けました。  群青色の紙片から始まった、長かった一日の光がやがて薄れてゆき、移民星の空がほのかな紅色をおとした菫色から、淡い群青色へと変わりゆくのを眺めながら。  おつきさまを待っている間、私も、ミチルも、言葉も交わしませんでした。  でも、言葉はなくとも、すぐ隣にミチルがいてくれるだけで、安心して。  はじめて出逢ってから、ずっと一緒だったから、もう当たり前のように思っていたこの安らかさが、何だか抱きしめたくなるほど、大切に思えるのでした。 「ほら、ちーちゃん、はじまるよ。」  そんな私のもの思いを解くように、ミチルが月読草の群生を差しました。  その白くて細い指の先に、ぽん、ぽんと、夕暮れの街区に灯りが燈るように。  もう夕闇の空と、さざめく海の境界がひとつになりそうなほどに、群青の帳が落ちたこの海岸に、淡くて黄色い燐光が、ひとつ、咲きました。  ひとつ、また、ひとつ。  波の調べを聴き取るように、見えない遥か高みに昇るおつきさまと、波長を合わせて。  やがてふたりの視界いっぱいに、あたたかなおつきさまの輝きが、満ちあふれました。 「きれいだね、ちーちゃん。」  たとえ見えなくても、顔をあげて、自分を照らしているはずのおつきさまに淡い燐光の花びらで応える、月読の草達。  その強くて優しい輝きで、絶え間なく続く波間を、ふたりを微かに照らして。  そんな月読草に無邪気に笑いかけながら、軽くうたを口ずさみながら、嬉しそうにくるくる廻ってステップを踏む、ミチル。  私は、まるで本当のおつきさまを見上げる月読草のように、ただずっと、そんなミチルを見つめていて。  そうして、海岸に灯りを燈す無数のおつきさまたちを、しばらくの間、私達はことばもなく見つめていました。  やがて、電池が切れたように、きれいな回転をぴたりと止めて、私の瞳を見つめて。  静かに、ミチルは話し始めました。 「私、この移民星を離れることになった。また両親が転勤になったの。」  ずっと心の何処かで抱えていたあいまいな不安が、ミチルの言葉として現実になって。  私は、何も言葉にすることができずに、小さく息を飲みました。 「最初は、ちーちゃんと離れるのが嫌で嫌で、泣き叫んだ。でも、ふと月読草のことを思い出して、何だか情けなくなった。」 「だから、わたしの星間ラジオを通じて、ちゃんとちーちゃんに私のパルスが届くか試したかったんだ。見えなくてもちゃんと届くなら、わたしも月読草のように、顔をあげて咲いてゆけるって、思って。」  そうして、両手を軽くひざにおいて、にっこりと私に微笑みながら。 「ちーちゃんは、わたしの大切なおつきさま、だから。」 「そんなの逆よ! ずっとミチルが私のおつきさまだったじゃない!」  最後のミチルの言葉が、まるで鍵となって私の心の箱を開けたかの様に、想いがあふれ出て。  一度あふれてしまうと、もう止まらなくて、私は叫び続けました。 「いつも綺麗で強くて、ずっと私のこと優しく照らして、引っ張ってくれた。ミチルというおつきさまがいたから、私は暗い道でも歩いてこれたんじゃない!」  私がぶつけた想いに一瞬驚いたような表情をして。  そうしてミチルは真剣な色を帯びた深い黒の瞳で、静かに私を見つめました。 「それは違うよ、ちーちゃん。いつも不安定なわたしの足元を、ちーちゃんが落ち着いてちゃんと照らしてくれたから、わたしは歩いてこれたんだもん。」 「違わないよ! ミチルは私の、大切なおつきさまなんだからっ!」  ミチルの思いもかけない返事を聴いても、私の中からあふれだす想いは止まらなくて。  私は、ぎゅいとミチルにしがみついて、顔を彼女の肩にうずめました。  そんな私の頭を、そっか、とつぶやいて、ミチルはずっと撫でていて、くれて。  月読草のやわらかな明かりとミチルの手が優しくて、そのまま、私は幼子のように泣きじゃくってしまいました。 「ちーちゃん、おつきさまから故郷の星を見ると、どんな風に見えるかって知ってる?」  すこしだけ落ち着いた私の気配を感じたのか、ミチルはふとこんなことを訊ねました。 「やっぱり満ち欠けして、おつきさまの周囲を優しく照らして見えたの。そして、見る人はほとんどいなかったけど、透き通るような蒼に輝いていて、本当に綺麗だったって。」  そうして、そっと泣きぬれた私の顔を離して、力づけるように見つめて。 「もしもわたしがおつきさまなら、ちーちゃんは、故郷の星だね。気づかないかもしれないけど、本当はすごく綺麗なんだよ。」  ミチル、と呼びかけて顔をあげると、彼女はいつの間にか、ぽん、ぽんと円い明かりを燈す月読草の花達の中心に立っていました。  地上に浮かぶおつきさまのスポットライトを浴びた彼女の姿は、まるでまっすぐにその茎を伸ばして、見えないおつきさまからのパルスを受け取るちいさな花のように、りりしくて綺麗でした。 「ねえ、ちーちゃん。わたし、うたうたいになりたいんだ。」  無数のやわらかな黄色い光をその黒い瞳に映して、彼女にしては珍しく、すこしはにかんで、ミチルは私にうちあけました。  いつものミチルらしい、のびやかで力強い声で。 「見えなくても、わたしのこと、ずっとその星間ラジオで聴き続けて。いつかきっと、本当のラジオの電波に乗せて、わたしのうた、ちーちゃんに届けるから。」  まるで、見えなくてもおつきさまが輝いてることを確信している、花のように。 「……わかった。私、待ってる。ずっとミチルのパルスを聴き続けて、待ってる。」  やっと私は、弱々しくも微笑むことができて、ぽつりと応えました。  まだ、ミチルや月読草のように強くなれるかは、わからないけれど。 「約束、だよ。」  そんな私に、つややかな黒髪を揺らしながら微笑んでから、すうと息を吸って。  ミチルは、月読草のスポットライトを浴びて、澄みきった高い声でうたをうたいました。  まるで、遥かな高みにあるおつきさまへと、返信を送るように。  いつか、もう一度おつきさまに届いて、出逢えるように。   心はまわる お月さま   だから 見えなくなっても 心配しないでいい   時がめぐれば また輝きがかえるよ   きのう やさしく笑っていた   彼の三日月のトゲが きみを傷つける きょう   夜のいたずらだよ 背中を向けないで   ROUND ROUND 長い時が   ROUND ROUND かかるかも知れない   だけど 見えなくても 満月の道は   あの頃のように ここにいつもあるのさ   どんなかたちをしていても   月はいつも後ろに 影をだいてる   さあ 時の腕にもたれ おやすみ もう少し   ROUND ROUND 無理をせずに   ROUND ROUND だけど逃げないで   あしたは 顔を上げて   本当のきみが 隠れてる月のかたちを きっと見つける   ROUND ROUND 長い時が   ROUND ROUND かかるかも知れない   だけど 見えなくても 満月の道は   あの頃のように ここにいつもあるのさ  お送りした曲は"moon song"、でした。  遠い昔、故郷の星で歌われたうただと言われています。  ……なぜ、そんな古いうたの音源がここにあるのか、ですって?  実は昨日、星間ラジオを通じて、とあるうたうたいさんが歌い直したのを、別の移民星からこのプログラム宛てに届けてくれたのです。  その歌声と旧い詞が、あまりにもきれいで、何だか懐かしくて。  それでこんなおはなしを綴ってみましたが、いかがでしたでしょうか。  きっと、おつきさまはどんな人にもいつも優しく照らしています。たとえ今は見えなくても、遠くに離れていても。  願わくば、そんなおつきさまの方に顔をあげて、花を咲かせることができますように。  "Pulse"、お送りしたのはパーソナリティのチナツ、でした。  また来週この時間に、あなたのもとにこのささやかな電波が届きますように。  聴こえますか。 聴こえて、いますか。  あなたによい夜が訪れますよう。おやすみなさい。