ブレイク

私の用語集
2005. 2. 21

初版2004. 1. 11

昨年11月14日のY新聞に「第2回カタカナ語の言い換え案」が掲載されていた。
国立国語研究所が官公庁の文書でわかりにくいカタカナ語の多用に 警鐘を鳴らすのが狙いだそうである。

私に言わせると「税金で食ってる官公庁が勝手にわかり難い用語を使っておいて、これまた税金で食ってる国語研究所が『また税金を使って一定の基準を設定する』なんて税金の無駄遣いもいいところ」となる。
カタカナ語の「意味説明」に記述されて内容も適切であろうか。官公庁の文書に使用する観点でのみ検討されているとすれば、時代が変われば『またまた税金を使って検討のやり直し』となるのではないだろうか。
たとえば「ノーマライゼーション」の言い換え語として「等しく生きる社会の実現」となっている。素人の私にはそのように特定してよいのだろうかと疑問をもつ。
とは言っても情報を受け取る方が理解できなければ仕方がない。発信する側がわかって貰うよう努力するのは当たり前だ。

そこで私も勝手に使っている用語や、我流解釈の説明をおこなうことにした次第である。
用語集とは言ったもののまだ数語である。

用語説明備考
 網学 網はネット即ち”インターネット”、学は字の通り”学ぶ”。インターネットを通して知識を吸収、情報を収集すること。承知の通りいろんな情報があふれている、残念ながら百科事典の代わりにはならないが検索すれば関連する知識が増えることは間違いない。話は変わるがサイトを紹介するときURLを読み上げているが、ほんとにURLを入力している人はいるのだろうか。検索方法を紹介した方が良いような気もするが・・・。 2005.2. 21
 KARAOKE KARAOKEは英字の歌。カラオケは日本で発明された。確かな記憶ではないが最近、この発明者が「イグ・ノーベル賞」を授賞したという新聞記事を読んだ。イグ・ノーベルとは不名誉なという意味があるようだが、この賞はユーモアで、授賞式に自費で出席しなければならない、カンパで出席したそうだ。
カラオケは世界各国で愛用されているようだ。私もシネマで見たことがある。「デュエッツ」(米国)という映画はKARAOKE大会に参加しては賞金を稼いでいる人たちの物語。 「人生はときどき晴」(英国)では庶民の奥さんたち3人がパブでKARAOKEしている。 日本の風景と変わらない。10数年前、深圳に出張したときホテルのカラオケでは歌本に「一字歌」、「二字歌」、「三字歌」と区分けされていた。題名の文字数で分類されていた。 カラオケもそれぞれの国で根付いている。
2004.11. 11
 如月 辞書には「陰暦二月の異称」と記されている。私は陰暦・旧暦にはなじみが薄い。今日2月11日は旧暦の一月二十一日である。まだ二月ではない、したがって如月とは言わない(?)のかな。ちなみに旧暦の二月一日は2月20日である。「きさらぎ」は「衣更着」とも書き、着ものを更に着ることをいうそうだ。寒さはまだまだ厳しい。 2004. 2. 11
 デジ・カメ 私はデ・カメとも書く。デ・カメの対語である。
同じディジタル・カメラのことだが、オバタリアンが使っているとデ・カメであり オジタリアンが使うとデカメとなる。
単なる言葉遊びです。娘からはオヤジ・ギャグと酷評されそうだ。
現在デジタル真っ盛り、テレビの地上波放送もデジタル波が開始されたし~、ケータイ、パソコンなどもデジタル産。
デジタルの方が加工しやすいのであろう。前回の私の写真もデジタルだからできたし~、最近の映画では、再編集された名画もデジタル・エデット版というのがあるし~、アクション・シーンに多いCGもデジタルだからできることだろう。
2004. 1. 21
 日常性の私、非日常性の私 日々の時間を介護に費やすときを「日常性の私」、介護から離れて別の次元に身または心をおくときの私を「非日常性の私」という。

この用語は1999年7月21日、自らを処した評論家江藤淳氏が最後に書かれた夫人への鎮魂記といわれている「妻と私」のなかに記されている表現を参考にしている。
一部を引用する。
『・・・・日常的な時間のほうは窓の外の遠くに見える首都高速を走る車と一緒に流れている。しかし生と死の時間のほうは、こうして家内の傍にいるかぎり・・・・』

夫人を看取るまで日常的な時間と生と死の時間を行き来したようである。
2004. 1. 11