介護日誌
2005. 1. 10
介護(三退!四退!)
前回のタイトルを「一進二退」とした。本来なら一進一退としたかったが、回復から遠ざかっているのが現実である。
今は退院後から三歩も四歩も後退し在宅介護は望むべくもない状態となってしまった。
11月後半
無理やり流し込む <12月2日>
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11月の下旬、看護士さんから、最近微熱があると言われた。風邪を引いているのかもしれない。昼食時ヨーグルトを口に入れてやるとしばらく含んでいるが飲み込むとき喉が痛いような顔つきをする。
自分の状況を伝えてくれればよいのにとムリな期待をする。
月末には看護士さんが「最近は食が小さくなったので高カロリーのものを与えている。しばらく点滴で栄養を与えてみる」という。
点滴が四、五日続いたが、事態は変わらない。写真は点滴をしながらの昼食である。
食べる量はおかゆを多いときで小さじ2~3さじくらい。全く食べていないのと同じであろう。
食事をとろうとしないのでエンシュア・リキッドという経管栄養を出してくれる。これは経管にて与えるものらしい。
もちろん母は管を設定していないので吸い飲みで経口から飲ませる。1缶の半分くらいで120キロカロリーを得られる。バニラ味だが母は「甘いからいらない」と言って口から出すことが多い。あれほど甘いものが好きであった母が食べようとしないのは体自身が食べものを受け付けなくなったのでいるのだろうか。食べようという気(気力)がなくなったようである。
詳細は分からないが、イロウといって菅を胃に直結させ経管栄養のインシュア・リキッドを流し込むそうである。本人の努力を必要とせず、エネルギーと栄養が確保できるそうである。延命措置のひとつであろう。そのようなことも検討しなければならなくなってきている。
この日から毎日、昼食時は食堂に連れて行かずステーションの前で介助することにした。
食事は「キザミ」から潰されて「液状」のものに替えてもらった。形がないからそのものが何であるかわからない。これでは食べようという気も起きないと思うが咀嚼、嚥下が難しい現状では仕方ない。
もうそんなところろまで来てしまった。
11月は14日間面会し昼食の介助した。
ターミナル
目覚めている<12月22日>
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退院後、再入所した頃は”何とか在宅介護が可能なレベル、つまり摑まり歩きが出来ること”
を目標にしていたが、食事をとらなくなっては体力が落ちるというか体の機能自身が低下してしまった今では現状維持が目標となってしまった。
12月に入って面会のたびに顔形が変わっていく様を見ると私自身の気持ちは悟りはじめた。
面会している間、覚醒していることがなく食事をスプーンで運んでも口に含み、しばらくすると口から漏れていることが多くなる。
それでも何とか口に入れればエネルギーの補給になるのではと思い、ほっぺを叩いて目覚めさせスプーンを運ぶ。
食事時間に目覚めてくれていればいちばんいいのだが、体はそのようになってくれない。
写真は面会した時間にたまたま覚醒していた。おそらくこれから写真を撮ることもないかもしれない。
24日には、これからの介護の在り方について医師から家族の考えを求められてた。
大きく分けて三つの中から選択するようになっている。
一番目は自宅に帰る。
二番目は延命措置を希望し更に三つに分かれている。その一は自分が指定する病院に入院する。その二は施設の関連病院への入院。その三は施設内で。
三番目は延命措置を希望しない。
というものである。
今の状態でこういうことについて本人に聞くわけにもいかない
もっと若いときに本人が自分の子供なりに自分の意思を伝えておくべきことである。
私は自分自身に対する意思表示のつもりで選択した。
面会は私の自己満足のためのようでもある。12月は23回面会した。