きいき
2005. 11. 11
随録 (人生いろいろ)


トレーニングに励んでる(05.11.10)
「人生いろいろ」投げやりな答弁にも聞こえ話題になったが、受け取る方がそう思えば問題になるのであろう。
「いい加減にする」というとチャランポランであまりいい印象は与えない。しかし本来はそうではないらしい。受け取りようにより気持ちも変わるようである。
老境についての新聞記事を三つ、いろいろあり心に残っている。

老いの形
だいぶ前の新聞だが作家黒井千秋氏の「老いの形、見えぬ危うさ」という題の随筆が掲載されていた。
「老いの形が見えない危うさ」、浅学非才の私にはなかなか理解できず、心に引っかかっている。
随筆の中では、現在のお年寄りが、年齢相応の老い方が出来ないことを老いの形が見えないといっている。オバアチャンが孫と自転車に乗っている様子を見て、昔のおばあちゃんは自転車には縁のない人だった。昔に比べて年寄りが若く元気になった。しかしその若さは年寄りの形としての頼りなさに通じるという。
また、年寄り夫婦が住む家を子供づれの若夫婦が訪ね、夕刻彼らを見送る姿に一日の満足感と寂寥感を感じるという。そんな老夫婦の姿にむかしのおじいちゃん、おばあちゃんに備わっていた人間の形が今は崩れてしまって危うさを感じるという。
若さや体力ばかりが尊重され、歳にふさわしい生の形が見失われようとし、年齢相応に老いていくことの困難な時代が到来した。と述べておられる。
氏は幼い自分が両親に連れられて祖父母の家を訪ねたとき、祖父母はもっと高い遠いところに経っていたようで、近寄りがたさ、距離を感じていた。今のおじいちゃん・おばあちゃんは自分たちから孫たちに近づいているとも言う。

翻ってわが身に照らしあわせてみると、たしかに昔の親のように年相応の威厳といおうか、そんなものは持ち合わせていない。私は祖父母について母方しか知らないが、年相応の近寄リ難さをもっていてそれを崩そうとはしなかったように思う。
昔の家庭では、父(男)は大黒柱で、母(女)はそれを支える。子供はそれらを見て育つ。そこには縦の構図があった。
縦の構図を壊したのは、高度成長期に都会へ流れ込んだ自分たちだろうか。都市化が進み過度の集中と過疎がもたらした結果だと思える。
そう感じるのもいろいろの一つだろう。

私が幼児から小学生までを過ごした九州の山村も過疎化が進み、私がいた頃、6000人を越えていた人口は今では1800人を下まわり年々減少を続けているようだ。時期は分からないが、付近のいくつかの町村とともに近くの既存の市に合併しようといているようだ。
日本の各地から「村」が消え、「市」ばかりになっていき、都市化の名前だけが進む。すこしさびしい気がするが、これも山村にとって老いの形だろう。

齢を重ねる
それより何日か前の投書欄に65歳の婦人が「体が弱り始めた自分に心戸惑う」と題して投稿されていた。こちらの方の心情にも響きあうものがある。
健脚が自慢だった婦人は足が痛み出したことが加齢による衰えと診断され、人間60歳を過ぎ5歳ごとに体調の変化を実感されどう受け止めるか戸惑っているという。
私も50歳代前半は多少の病はあってもそれほど気にも留めなかった。後半になると定年が間近に迫ることを意識し始めた。60歳を越えると急に今までの体調の異常ぐあいが増し、その数も増えてきたように思う。
今年の夏になって、茶碗を落としたり、袋に入っているふりかけをこぼしたりする。日課のウオーキングの後も疲れが残るようになった。また近ごろ、長時間といっても2時間程度であるが、歩くのがしんどくなってきた。歩き始めはなんともないが、体の一部が異常を訴えてくる。えっ、歩けなくなったらどうしよう。
心身の心の方もそれに引きずられ何ごとも億劫になってきた。気の持ち様で何とかなるという思いと、ズルズルと進行していくのではないかという不安がある。
ある人の講演録に接すると、「そういう体の衰えは避けられないもの。受容して諦めることで心が救われる」旨記されていた。
これもひとつの老いの形かも知れない。

転ばぬ先に
もうひとつ、新聞ネタであるが「転ばぬ先に」という欄に弁護士がある82歳のおばあさんSさんのことを紹介していた。
3人の息子をもつそのSさんは、ご主人の一周忌のとき、息子たちに有料老人ホームに入ることを告げたそうだ。Sさんは長男の嫁として姑をみとったが、その苦労を子供たちには味わせたくない という思いが強かったという。老人ホームに入ることで3人の息子たちに対し同じ思いで接することが出来ると言っていたという。
なかなか出来たおばあさんだと思う。それに82歳はまだまだひとりでも生活できるかもしれない。転ぶ前に決断されたわけだが、まだまだと思っているうちに転んでしまってどうしょうもなくなる。早めに決断することはなかなか難しいように思うが、ご本人はどうだったのでしょう。しかし自分の終え方をしっかりと考えていらっしゃることに頭が下がる。
女性の方が強い生き方が出来るようにも思う。
これもまた、ひとつの老いの形かもしれない。
10年もすると団塊の世代人がどっと押し寄せてきて老人ホームも狭き門になるかもしれない。 私も願わくばこのSさんのような決断をしたいと思っているが、似たような人生でも同じにはいかない。いろいろの一つと思うことになりそう。


髄録