活きいき
2006.7. 11
随録(体調管理)
桔梗って秋では・・・
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健康管理と体調管理
梅雨明けもそう遠くないこの時期の気候は、気温が30度くらいでも今年の東京は湿度が高くなかなかシンドイ。
今、室内でも30度くらいあるようだ、パソコンの前に向っていると機械の発熱でこちらも汗が噴出してくる。
それでもエアコンを入れようとは思わないのはおそらく歳のせいだろうと思う。
健康管理と書かず体調管理と書いたが、体調管理とは日々の自分で感じる調子を維持していくことと解釈している。健康管理はいろんなデータに基づいた身体の維持に加え精神の維持も含める必要があるだろう。
最近は無精になり健康診断を受診しなくなった。
おそらく受診すれば、シ社のエレベーターの定期点検と同じようにいくつかの不具合が見つかるような気がする。
そんなことに接したくないからだろう。
健康管理しない?
健康管理といえばもっと厳しい態度で臨まなければならないと思う。
管理の基本は対象となるデータを測定し、その数値が基準値に向うようにコントロールすることだろう。
健康については体力のほか、血圧、肥満、コレステロール、血糖値などの数値があげられよう。
これらの基準値は平均値などから標準値を設定したものだという。最近、男女別・年齢別の基準値を設定しようという動きがあるようだ。
基準値を超えているとコントロールしなければならない。厳しい管理が待っていることになる。例えば塩分の摂取量を1日に10g以下だとか、カロリーは1日に何キロカロリーだとか・・・。
何年位前だったかさだかでないが、勤め先の指定のクリニックで健康診断を受けた時、たしかコレステロールの基準値のmax値が240から220mgに変わったころだったと思うが、
医師の話がまだ記憶に残っている。「私たちも基準値が変わると翌日から薬物を投与しなくなる、しかしなんと説明してよいか」と
健康管理とは厳しいものである。できれば避けたい、いやもういいという気分である。
身体の内部は個人差があり、一律の数値でコントロールするのはどうかと思う。男女別・年齢別の基準が採用されることは一歩前進といえよう。
将来はさらにきめ細かくコントロールするために個人ごとに基準値が決められ、加齢とともに変えていくのではないだろうか。同じ年齢のAさんの血圧は150でも正常だが、私のそれは125でも高すぎるとか・・・。
さらに超高齢になれば、もっと緩やかになってもいいのではと母の介護中に思ったことがある。
デイ・サービス中に血圧が高くなりたびたび入浴のサービスを受けることができなかった。
高血圧の対処方法として食事療法では塩分控えめが要求される。しかし超高齢の母にはうす味より好みの味付けの方が
よかったのだと思う。
つまり一般的に正しいとされることも個人には当てはまらず、当人の状況によって判断されるようになると思う。
このことは数値のコントロールは何のためにするのかを考える必要がある。
何のために健康管理しなければならないか、健康のため?。何のために健康でなければならないか。長寿のため?。
では何のため長寿であらねばならないか。たしかに健康寿命が重要なキーワードなるだろう。
あるデータによれば、平均的に50%は寿命を終える直前の半年間は誰かの世話にならなければならないという。
このことは母の最期を見ていてもありうると思える。私の目標はここにある。この半年間といわれる期間をいかに短くするか。すなわちよく言われるPPK(PinPinKorori)である。
このために日々の体調管理、運動による体力維持をするわけである。
体調管理は?
さて私の備えは万全だろうか。
少なくとも体調の維持に気を使う。食事、睡眠、運動にはことのほか、最近は脳力の維持にも留意するようになった。意識するということはそれだけ衰えてきたということだろう。
その日の気分が前日と変わらなければいいと思う程度である。
運動といえば、スポーツ?、筋肉質?
高齢者は軽い運動で、ウオーキングなどで十分といわれている。最近、起床時にスクワットをはじめて数ヶ月がたった、これは大腿筋を鍛える効果があるという。また立った状態で片足づつできるだけ高く上げる、これは腸腰筋という筋肉を鍛え寝たきり予防になるという。
おかげで駅の階段を駆け上がったり、駆け下りたりすることもある。
BMIという肥満の管理データがあるが、男性の目標値は25である。ところが私は21くらい、もうひとつ体脂肪率といのがあるがこちらは13%前後、何とかもう少し高い数値にしようと試みているがむつかしい。脂肪がつきにくい体質になってしまったようだ。高齢者は多少高い方が長寿だそうだが、その事例のルールに従うと私は長寿にはならない。まっ、いいか。
脳力の方もボケないために日々、般若心経の音読、数独、クロスワードなどで鍛錬しているつもりである。しかし
私が最も注意しなければならないのは「寛容の精神」であろう。この方はTVのニュースを見ていても、町に出て歩いていても日々劣化していくのを感じる。