きいき
2006.8. 1
随録(邪推)

やまゆり、これぞ 清純!
夏の暑さのためなのか、加齢のせいなのか分らないが最近の事件を素直に考えないクセがついて邪推するようになった 、それにしても事件が多いですネ。
「8月は犯罪ゼロ月間」なんてキャンペーンやったらどうでしょう、8月に事件を起こした輩には普段の倍の量刑を言いつける。
するてーと新聞の社会面が真っ白、「本日は事件・事故がありません」って。新聞屋とテレビ屋、それにデカさんが「そんなの止めてくれ、オマンマの食い上げだ」

その1  日米連携って
もうあれからおよそ1ヶ月が過ぎた。そう7月はじめにミサイルが7発も発射された事件からである。
マスメディアによると日本は日米「連携」して対応していたという。さかんに「連携」を強調していたと思う。 連携を辞書で引いてみると「互いに手を携えて対処する」と記されている。連携すること自体は悪いことではない。
しかし私には日本の情報収集能力の力不足を補ってもらわなければ対処できないので「連携」、「連携」と言っているように思えてならない。
情報を分けて貰っているなんて国民にいえないヨ。
長官がさかんに日本の情報収集が素晴らしかったと言っていた。そういうことを強調すればするほど、そうではないことを表している。
数年前だったが、中国で公使館などが襲われたとき、時の外務大臣が「毅然として対応しなければならない」と繰り返し述べていた。たぶんその省ではあたふたとしていたのだろう。
人も、人の集まりである集団も実態とは逆のことをスポークスするようである。
大丈夫かな、この国はと思った人は多いのではないだろうか

その2  トヨタの欠陥隠し
あのトヨタが国交省から業務改善指示を受けた、これにはビックリした。カイゼン、カイゼンで製造業の範たる姿を示し世界に冠たるトヨタも並のメーカーということだろうか。
そうではない、電機産業の雄、松下だって温風機でミソをつけた。人間のやることにはミスはつきもの、まして人間が運営する法人にもミスはつきものだろう。
トヨタの改善指令は、欠陥を約8年間放置したことにある。 なぜ8年の間も放置していたのだろうか、そういえば今年春、経団連会長を退いたO氏はトヨタの会長だった。現役の経団連会長の出身企業が不祥事を出してはならないのである。勇退してしまえばかまわない、そんな風に思えた。
夕方正時になった、テレビのスイッチを入れる。カシャ、カシャとカメラの音、「こころよりお詫び申し上げたいと思います」よく見る風景である。
嗚呼またかと何にも感じなくなった、ムムッ、よき聞き直してみるとこの社長さんはお詫びしてはいないんだ。
お詫びしたいと思っていらっしゃるが、お詫びしますとは言っていない。
もっとはっきり言えば!!

その3  高校野球の坊主頭は止めろ
夏の高校野球が真っ盛りである。いまだに甲子園に行く時は坊主頭になっている。これも実態にそぐわない、なぜ坊主頭にしなければならないのか。いい加減にやめたらどうだろう。
おそらくこの世界のお年寄りの高校球児は清純という幻想を持ち続けたいためだろう。我々の若い自分は・・・という思い出に今の高校生はつき合わされているのである。ほかのスポーツはどうだろうか、サッカー、陸上、水泳、坊主頭なんていやしない。
高校球児は清純という幻想を捨てることである。実態を見よう、先日の新聞に対外試合禁止の処分を受けた学校名が載っていた、その数の多さに驚いた。処分の理由が「部員の万引き、窃盗、暴力・・・・」、暴力団と同じである。
ハインリッヒの法則というのがある。大事故1件の陰に、中くらいの事故が30件、小さい事故は300件あるというやつである。
JR西日本の福知山線事故のときにもこの法則が登場した。とんでもない大事故のかげで、数多くのオーバーランなどの小さいモノがあきらかにされた。
高校生の暴力事件も小さなうちにつみとっておく必要があるかも知れない。自分の子供を手にかけるような未成熟な成人を作り出さないためにも。
と書いた数日後、関東地方のある県で甲子園の代表となった高校の野球部員が他校の生徒に骨折するほどの暴行を加えていたことがわかった。高野連は出場辞退しなくてよいと決めた、「暴力を認めているかのように」。その学校長の言うことには「これを乗り越えて出場し・・・」、まるで被害者のごとき発言。生徒の不祥事をどう防いでいくかという発言はない。高校野球の原点は人間性の育成ではなかったのか。目標が勝つことのみになってしまった高校野球、嗚呼恐ろしや。

その4  裁判員制度を喜ぶのは
3年後に始まる<裁判員制度>のために各地方裁判所で同じシナリオ(強盗傷害)で模擬裁判が行われているらしい。 判決は無罪から懲役3年、執行猶予がついたりサマザマである。無罪とした地裁でも、別の時期にやれば有罪になるかもしれない。人間が裁くわけだからそういうものかもしれない、その地裁の県民性が判決に現れ、ある県は軽めの判決が出やすい特性があるとわかったら喜ぶのは。
それにしても刑が軽すぎるような気がする、もっと厳罰に処すべきと思うがそうしない事情があるらしい、それは収容施設が足りないからだ。
その上お上ではボランティア刑なんて検討するらしい。これじゃ”チョット万引きして砂浜の掃除すりゃいいや”って考えるやつが増えるぞ。
裁判員制度もボランティア刑も先進国では実施済みとか、ようやく仲間に入れてもらえると喜んでるのもいる。



随録