活きいき
2006.11. 1
随録(気楽生)
散歩の途中に事故を目撃
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在職中は、朝7時前に家を出て帰りは10時過ぎることが多かった。もっともリタイヤ直前の数年間は午後7時前には帰宅していた。
当時はそれが当たり前と思って、近くのことをあまり知ろうとしなかったように思う。
リタイヤ後、朝の散歩のおり近くのパチンコ店の前を通った、店の前に若者が座り込んで開店を待っている姿を見て驚いた。昔だってこうやって開店待ちの行列があったのかもしれないが勤め人の頃はそういう場を見る機会もなく知らなかったのである。
リタイアし4年たった今はご近所さんと歩いたりパソコンの話をしたり気楽にお付き合いをし生きている。
でも・・・
歩こうかい!
これは勝手に私がそう思っているわけだが、ごく近くのHさん、Iさんとご一緒して時々「歩こうかい」をやっている。
お二人とも私より若干年長だが、おひとりはよく歩いておられるが、もう一人の方は在職中の私と同じであまり歩いておられない。
先日、その方と夕方散歩に出かけると、近くの道路に消防車、パトカーなどが数台集まっていた。
すると赤い色の車の後方が燃えてあとが見えた。不謹慎と思ったが写真を撮った。
相模原麻溝公園にて
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ガソリンに引火したという話だったが、今どきこんな事故も起きるものだと話しながらその場を去った。
ニュータウン内の遊歩道を歩き公園を見つけてはそこのベンチでひと休みしながらダベッっていた。小1時間ほど歩いたが、この遊歩道は初めて歩いたとおっしゃっていた。
この「歩こうかい」のメンバーは今年の早春から観梅、観桜、観緑、花火大会などに出かけたが、日頃ウオーキングの成果を道案内に役立てることが出来た。
10月17日には相模原公園に行こうとお誘いを受けた、その公園は私は初めてだった、また歩くには遠すぎる。Iさんの車でお弁当つきで出かけた。謝々。
あまり歩いていない方をお連れしょうと考えている散歩のコース。
① からきだの道。
② よこやまの道。
③ 恋路稲荷神社(稲荷塚古墳)。
④ 倉沢万蔵院台緑地。 などなど
この次は高尾山に出かけようと言っている。紅葉が見頃となる中旬には一度下見に行っておこう。
パソ遊友会
今年の冬頃から、2ヶ月に一度「パソ遊友会」という名で近くのファミレスに集まっているメンバー4人がいる。
自治会の元会長のOさんの発案で、パソコンを使っているシニアの集まりを作ろうと始まった。名称もパソ遊クラブとか適当に呼んでいる。
パソコンの話も半分くらいで、近況や町内の昔の話などが多い。要するに時間つぶしなのかもしれない。
Kさんは、毎朝2時間ほどウオーキングされている、もうひとりのKさんは自転車に乗ってあちこちを見て周ったり庚申塔について調べておられる。
私にとってはなかなかいいミーティングである。
会合はファミレスで11時30ごろから軽い昼食とドリンクバーをとりながら始まる。
最近、この町に住む古老から伝承などを聞こうという”企画”が持ち上がっている。これは相手のあることだから実現できるかわからない。しかし実現できたらいいなあと密かに期待している。
私は今年の春、このあたりの谷戸巡りをしたとき旧字に、妙に興味がわいてきた。字の由来などは知りたい思っている。
またミーティングのない普段のときはe-mailで近況報告したり、疑問や意見などを同報している。これもなかなか気楽なお付き合いでいいものであり、ネット社会の利便性を享受している。
地道に長く続けられればいいと願っている。
生活の改革なくして・・・
リタイヤし、介護も卒業してやることがなくなると少々ずぼらな生活となってしまう。朝の食事、後片付けが終わると新聞を眺め、・・・そういえば最近新聞の読むところが少なくなった。特に夕刊は眺めるというか、ページをめくって終わる。
自分が歳を取ったからなのか、新聞が変わってきたからなのか。私は後者だと思っているが・・・。
出勤途中に地蔵菩薩に手を・・
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若者は新聞を読まないという、我が家にいた二人も新聞を取っていない。読む時間がないと言う。
新聞に代わってフリーペーパーが伸びているそうだ。駅に置いてある広告収入で成り立っているアレである。
新聞社もそんな若者に新聞を取ってもらおうと思っているらしく紙面の構成がエンタメ系になってしまった。前述した夕刊はカラー刷りでタレントの顔ばっかりが目につく。
どこやらの大学のメディア論の先生が、ドラマを見比べてコメントしている。
またXXXテレビの□□アナウンサーについて教えてください、そんなことドーでもいいだろうと思う。
ここらは私が歳を取った証左であろう。
そこそこに新聞を置いて、ゲーム機による脳力のトレーニング、これもすぐ終わる。
近くの市民センターの図書室で借りてきた本に目を通す。最近読んだので重かったのは江藤淳氏が監修していた「昭和史」、”ワシントン体制の時代”、”新秩序模索の時代”自分の生まれる以前のことは知らないことばかり。昭和30年代の解説になると、そうだそうだったと納得した。何ごとも勉強しなきゃ。
小説では横山秀夫の「震度ゼロ」、ある県警の裏話だが、分厚い割にスーと読めて面白かった。
しかしこういう生活ではいけないとばかりに、ある事務所のお手伝いをする。その事務所は名前を「オフィス・Z(ズィー)」というが自宅から歩いて30分弱のところで普通の家の2階にある。主がわたしと同年代で、パソコンで文書を作っている、これなら私にも続けられそうだ。
朝食事の後片付けを終えた9時前に家を出て歩いて出かける。住宅街を通り、畑のコスモスを見ながら地蔵堂の石仏に手を合わせる。
やがてその家に着く「おはようございます」声をかけると「そろそろ締め切りが近づいてます。よろしくお願いします」と。
聞くところによれば昨夜は日付が変わってもしばらくお仕事とか、ご苦労なこった。
月に13、4日くらいのお手伝い、時間はフリー。気楽で私の性に合っているようだ。しかしパソコンで文書作成なら自宅ででも・・・。いや資料をアレコレ見なくちゃならないのでやはり事務所がいい。
さぁー、〆切が迫った、大の月はもう1日ある。
というような訳でこのページも出来上がった。
まっいいか、これで。