きいき
2007. 7. 16
随録(古きをたずね・・・)

郷土資料館
1782年の庚申塔
  先週は雨が降り続いていた、日曜日にかけて台風もやって来た。
雨が降っているときの外出は億劫なので家にいることが多い。家にいることが続くとそれもまた憂鬱になる。
気晴らしに市内の郷土資料館に出かけてみた。
郷土資料館は市内で発掘されたもの、歴史にかかわるものをが展示されている。 いわば博物館である。

ついでにこの資料館のHPから多摩地方の横の繋がりがあるらしいことがわかった。 それぞれの自治体には郷土資料館があるようだ。その自治体の取り組み方により、資料室であったり、資料館であったり、博物館といった名前がつけられている。
自治体以外の博物館も含めHPが27もあり、一通りアクセスした。HPの作りも資料館の存在を知らせるだけのものから、展示物について解説したものまで様々である。
甲州街道にあった井戸枠
やはり博物館という名前を付けているのは、それだけ展示物がある、歴史的遺産があるということに加え市の財政事情にもよるのだろう。
例えば府中市の博物館は例外的に有料であるが、ここは昔の国府・国衙があったところ だから展示する内容も事欠かないのかもしれない。

わが町の郷土資料館を訪ねたのは2年前に一度ある。ちょっと我が家から遠いということもあり疎遠になっている。
家は八王子市の東端にあり、生活圏は多摩市に近い、また住んでいる地区が市に編入されたのは1964年、東京オリンピックの年だそうだ。
わが地区はまだ市といっても40数年の歴史しかないのだ。
今回郷土資料館を訪れて、資料を見せてもらって強くそのような印象を受けた。市の中心からすれば遥か東の周辺地に見えるのかもしれない。

馬の供養のための馬頭尊
住まいの近く多摩市には東京都立埋蔵文化財センターという発掘品を展示している施設があり、徒歩で訪れることができる距離である。ここはニュータウン開発により発掘された埋蔵文化財が保存されている施設である。

展示
私が出かけたのは「北条氏照と八王子城」という展示を見てみたいと思ったからである。
  展示品には5月に市の有形文化財に指定された「北条氏照朱印状」やベネチア製のガラス器なども展示されていた。
また展示品の中には城主に宛てた訴状のようなものがあり、当時の人の暮らしの一端を垣間見れたように思う。
3年前に開催された「八王子城跡御主殿」のブックレットにも城跡からの発掘品の、かわらけ、素焼き品、茶道具、青磁など復元の様子が記載されている。
地道な考古活動も紹介され、埋蔵文化財への取り組みを理解することができる。

私の住まいの近く、そこはニュータウンであるが、「伊勢参り遊歩道」と名づけられた散策路がある。私はその名前がマンション風の中層住宅が立ち並ぶ街並みにそぐわない と思い、ニュータウンが開発される前の名残だろうとおもっているが、調べる手段がない。
近くに住む物知りの方に伺ったところ、昔は「伊勢参り講」というものがあったと聞いた。

近くの金剛院・・・
資料館には入り口にボランティアの方がいて、私はそのことを尋ね調べる方法などについて伺ってみた。
その土地の長老に伺うしかないようだ。

周りの風景
郷土資料館の南側に市民会館、さらに南には競技施設を有する公園がある。
資料館の建物のまわりにはかって近隣にあり、開発により邪魔物扱いされたであろう石仏石塔などが移設・安置されている。
  ●庚申塔  天明二年(1782)に下犬目村の庚申講中が建立したもの正面に邪鬼を踏む青面金剛、台座には三猿が刻まれている。
  ●井戸の枠  甲州街道にあったらしい。
  ●馬頭尊  日清戦争(明治27、8年)で死亡した馬の供養のために明治29年建立されたもの・
  ●徳本念仏塔  千人町の興岳寺にあった、紀州日高の生まれの徳本(1758~1818)は当地で念仏を広めた。
  ●郵便ポスト  昭和25年から使用されたポスト、鋳鉄製、根元は花崗岩でできている。
など

境内の蓮花に心休まる
資料館の北の方角に”慈高山金剛院”というお寺がある。中央線の近くにあり、広大な境内は荘厳な印象を受け、思わず吸い込まれてしまう。
この日はお盆の迎え火であった、お墓参りに向かう二三人のひとが本堂脇を通り過ぎていった。本堂でお参りをしていた老齢のご婦人が縁起を読んでいる私のそばを通り過ぎていく。
静かな、静かな佇まいは俗世界と違う・・・、そんな感じがする。

縁起によれば天正四年(1576)に開かれたそうだ。1576年は織田信長が安土城を築き移った年、このあたりでは八王子城の築城がはじまり数年たったころである。
このお寺がここに伽藍を設けたのは50年後と記されている。
八王子城があったころの城下は今の元八王子町あたり、ではこの寺院があった今の上野町あたりは田圃だったのだろうか。
自由に想像することは楽しいことである。

その想像を膨らませてくれるには資料も必要だが、最近は便利なもで
東京都遺跡地図というものが居ながらに見ることができる。
市内では八王子城跡、滝山城跡、小仏関跡、椚田遺跡、船田石器時代遺跡が国指定の史跡になっているそうである。

古代の木の実
古代人も利用した木の実
名称 属科 解説 食用
オニグルミの実 クルミ科 山野の流れに沿って生える高木。
鬼グルミの名は実の表面が凸凹していることから。
カヤの実 イチイ科 種子は10月に成熟、内種皮はかたく赤褐色で両端が尖る楕円形。胚乳は食用、または油をとる。縄文時代には材は丸木舟、木の実は食用にした。
クヌギの実 ブナ科 堅果は大形でほぼ球形径2cmくらいで褐色。俗にドングリと呼ぶ。アク抜きして食用にする。木から良質の木炭ができる。シイタケの原木に使用。
トチノキの実 トチノキ科 北海道から九州の山地にはえる。縄文時代中期ごろアク抜きの技術が開発され、種子は灰と煮込んだり、水さらしなどのアク抜きを繰り返し食用になる。今日でもトチモチとして食用される。
マテバシイの実
別名:またじい
さつまじい
  九州南部に自生する高木、堅果は褐色、かたく楕円形2cmくらい。種子は食用になるが味はよくない
ムクロジの実 ムクロジ科 本州中部から九州の山地に生える高木。楕円形の種子は羽根つきの羽の玉に使う。果皮はむかし洗剤の代用品であった。  
ヤブツバキの実 ツバキ科 本州から九州の海岸近くの山地に生える常緑高木。種子からツバキ油をとる。伊豆大島のツバキ油が有名  

昔の人はそれらの実を生活に生かしていたようだ。

最近では栗を湯がいて食べるということをしなくなった。せいぜいマロングラッセだろうか。
マロンといえばマロニエ、元は同じかもしれない。 トチノミである。

私も拾ったトチノミなどを食してみようとアク抜きをやってみたが、口に入れたとたんに吐き出したことがあった。アク抜きが足りなかったようだ。縄文人はこれを主食にしたときもあったそうだ。根気よくアク抜きをしていたと想像し彼らの生活を偲んでみた。

もう一度アク抜きにチャレンジしてみたいと思っているが、街路樹のトチノキ、プラタナスの下で実を見つけたことがない。早々に片付けられてしまうのだろうか。それとも種類がちがうのだろうか。

先日、東京都埋蔵文化財センターを訪れたときに頂いた”木の実のサンプル”には解説がついている。 その解説を記してみよう。
あらためて生活の知恵が偲ばれる。

あとがき
開通して8年、150年後は?
  古きをたずね新しきを知る・・・、最近は新しいものを知ろうという気持ちがなくなってしまった。
どっぷり古いもののまわりに浸かっていると心地よい。街中の喧騒を避けるようになった、出かけるところは手ごろなハイキング向きの山か神社仏閣ばかり。

そこへいくまでが大変である。モノレールに乗れば、目をつぶって静かに到着駅をまつ。
そういえばモノレールは、開業して8年くらいである。今日見てきた石塔石仏などは150年も経っている。はたして150年経ったときモノレールはどうなっているだろうか。
どこかの博物館の写真コーナーに姿が残っているのかもしれない。
  


随録