活きいき
2008. 7. 13
随録(汚れも晴々)
白内障の手術を受けるため、6月25日に入院し7月5日に退院した。その間の様子をメモし残しておきたいと思う。
今回の白内障手術を受けるキッカケは、今春花粉症治療のため訪れた近くの眼科医院の「そろそろ手術した方がいい」という言葉だった。
当日、術着に着替えて待つ
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タイトルの「汚れも晴々」とは帰宅後、窓ガラスの汚れやあちこちのくもの巣もよく目に付くようになった。結果上々、気持ち晴々ということを表したもの。
手術(右)前日・・・(6月25日)
25日(水)は11時までに眼科外来の診察を受け13時半に病棟に案内してくれることになっていた。
娘ふたりが同道してくれることになり、長女の車を待っていた。 ちょっと遅れて次女を乗せてやってきた。
入院先は永山駅の近くにある日医大多摩永山病院、平成3年から緑内障のために通院している。
この日18時に夕食、19時に入浴をすませる。 あっという間に消灯時間の21時がやってきた。
手術前日は抗炎症などの点眼薬を2種類、2時間おきに4回用いなければならない。
点眼薬を複数用いるときは5分くらい間をおかなければならない。 このことは以前から承知していたのでさほど苦にならないが、数が多くなるとなかなか・・・。
さて問題は消灯時間、ふだんの就寝時間は11時過ぎ、2時間も早い消灯はつらい。 入院中は睡眠に悩まされ続けた。
夜半、起きていると2時間毎に巡回する看護師さんに「どうしました・・・」と言われる。
手術当日の点眼表・・・
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手術中の右眼は・・・(6月26日)
病院での生活がはじまった。 8時に朝食、私は午後手術なので朝食は1/2の量である。
手術室から看護師さんがやってきて説明をしていく。私は午後の2件目だそうだ。 11時過ぎから30分毎に3種類の点眼薬、散瞳が2種類と抗炎症、だんだんまぶしくなってくる。
午後になると手術着に着替え、点滴をはじめる。
病棟の看護師さんが車椅子に乗せて、中央手術室に降りていく。
この日は長女が付き添ってくれた。
手術用のベッドに仰向けに寝かされ、心電図、血圧計、パルスオキシメーターが取り付けられる。
まわりには看護師、インターンらしい若い男性がいる。 やがて主治医のA先生の声が頭の方から聞こえる。
術後は・・・
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毎月の外来診察してもらう先生だ、右側から部長のN先生の声も聞こえる。 こういうとき聞きなれた声は安心するものだ。
やがて右眼に麻酔点眼し、注射もうたれたようだ。顔をシートで覆われ右眼の部分だけが開かれている。 やがて強烈な明かりが右眼を照らす。
手術している眼で何が見えるのだろうか。 水晶体を削り取っているのだから焦点は合わない赤や青の明かりだけが見えた、よくSF映画でワープするときいろんな模様の色がまわっているがそれに似た感じである。
手術は40分くらいで終わるが、いつまで続くのか不安もある。 先生の「眼内レンズを取って・・・」と言う声で
”ああ、そろそろ終わりかな”と思う。
終わった瞬間、天井に取り付けられている器具の輪郭が見えた。 感動した瞬間だった。
車椅子に乗せられ退室するとき、私はなんどもお礼の言葉を発した。
手術後1時間の安静を取ればあとは自由で、15時過ぎに遅い昼食(延食という)をとる。
術後(右)1日目・・・(6月27日)
ある日の夕食、なかなか・・・
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この日から術後のケアがはじまる。食後に服用する2種類の抗炎症薬、3種類の抗炎症の点眼薬を4回用いる、この点眼は3ヶ月ほど続けなければならないという。 このほか私は緑内障の2種を点眼する。
点眼薬は冷所保存のもの室温保存のものがあり、点眼は私にとって格闘でもある。 点眼するとき手術した眼を開くわけだが、あらためてテーブルの上の点眼表が明瞭に見えるのは驚きだった。
そしてときどき室外を眺めてみる、まだ手術していない左目と見比べてみる。
午前8時の朝食、ここの病院では運ばれてきた食事を事前に看護師さんがひとつひとつ読みあわせをしてチェックしている。 さて、通常の人は1800kcalだそうだ。 ちょっと量も多いような気がする。
午前8時40分から眼科外来で診察、視力検査、裸眼でふたつ目くらいまで見えた。
午後3時過ぎ、看護師さんがシャンプーをしてくれた。 眼にシャンプーや水が入るのを避けるためだ。ありがたいことです。
術後(右)2日目・・・(6月28日)
この日、栄養士さんに栄養指導を受ける。 手術前の血液検査でコレステロール、肝機能、血糖値も高いようだ。 うーむ、なかなか・・・。
分かっていても難しい。
入院していると決められた時間に、決められたカロリー、栄養の食事を取る。 間食はしない、アルコールは摂取しない。 健康になりそうだ。
腕輪には名前、年齢・・・・・・
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看護師さんに「食事の調査で、アルコールを飲むに○しておいたので、ビールでも付いてくるのかと思った・・・」とつい冗談を言う。
午前中、シャンプー。 午後から首下シャワー。 わざわざ首下と断りがついている。
術後(右)3日目・・・(6月29日)
今日は日曜日、面会の時間も13時からと長い、隣の談話室が賑やかだ。
昼間は退屈この上ない、次女に差し入れてもらったkids用の本を眺める。ただし左目を使ってのこと。
病室は5階にあり1階まで階段の上り下りを繰り返す。 スリッパは危険だ要注意。
術後(右)4日目・・・(6月30日)
ベッドが硬いせいばかりではないが不眠が続くので
入院当初、2種類の眠剤を服用してみた。 効果がなく変えてみたところ覚醒せずに歩いていた。諦めて眠らなくてもいいやと思うことにする。
午後、看護師から左目の手術が一日延期したことを知らされる。
当初の予定では2日に左目の手術をするはずだったが、緊急手術が行われるといい一日延ばされた。 えっ、それじゃ5日(土)の退院は延期になるのだろうと少々がっかり。 日曜日の退院はないから月曜日かな、あるいは火曜日かな。
術後(右)5日目・・・(7月1日)
あいかわらず、右眼は点眼薬と格闘。
掃除をしてくれるHさんに「よく見えるようになった? 内科じゃなくて外側だからいいよ」と慰められる。
手術(左)前日・・・(7月2日)
今日から左眼が「手術前日のモード」となり、抗炎症の点眼薬、右眼も抗炎症などの点眼薬だが一種類多い。
午後の診察で右眼の眼帯を外してもいいと言われる、ありがたい極みだ。 裸眼で見るわけであり、今までの眼鏡は使えなくなる。 6月14日に山に行ったとき滑落し眼鏡を飛ばしたことが思い出される。
午前中シャンプーをしてもらい、午後首下シャワー。 夕方薬剤師さんがやってきて薬の説明をする。
当日(左)・・・(7月3日)
左目も無事に・・・
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手術室の看護師が来て説明があり「手術は14時から、20分前に部屋に入る」と。
この日は手術当日の点眼表をもらい、例によって9時過ぎから30分毎の点眼である。 右眼は術後の点眼表、間違わないように・・・。
11時ごろ点滴針の挿入、12時ごろ術着に着替え、予定通り点滴をはじめた。この日は歩いて手術室に入る。
手術室には音楽が流れている、前回はクラシックだったが今回はロック系。
看護師さんの指示に従いベッド上で仰向け、両手を固定され器具を装着。「2回目だから落ち着いてますね」と血圧計を見てそう言う。
ピッ、ピッと定期的に音が聞こえる。 「心音ですか」と尋ねる。私は自分の心拍を聞いたりするのは苦手だ。
前回と同じようにA先生、N先生がついて始る。 二度目だから落ち着いていられるか、そうはいかない。
前と比較し、”えっ、そんな話しないでよ”などと思う。 私の中では先生の眼内レンズを取って・・・という声を聞くのがポイントだったがなかなか言わない。 ”インジェクター”という用語が聞こえ、そのうち「次の患者さん よんで・・・」という声で終わったと思う。
さて天井の器具の輪郭は見えるか・・・、見えた、みえた。
術後(左)1日目・・・えっ、明日退院?(7月4日)
朝8時40分眼科外来に行って診察、視力検査を受ける。
私が最も気がかりなことは緑内障の点眼薬をいつから使えるかということである。 気がかりなことは医師、看護師に尋ねるに越したことはない。
それよりも術後4~5日くらいで退院と思っていたから、「予定通り明日退院してOK」という言葉に驚いた。 うれしさと大丈夫かなという気持ちが交差する、経過、ケアができていることからそう判断されたのだろう。
夕方、薬剤師さんが退院後の点眼薬を持ってきてくれる。 次女夫婦が荷物を持ち帰ってくれ、残りはリュックに最小限をつめるだけになった。
術後(左)3日目・・・退院(7月5日)
昨日同様、朝外来に出向いて退院の診察を受ける。
娘ふたりが迎えに来てくれる、リウくんも来てくれベッドの上でチョロQで遊ぶ。10時半ごろ請求書が届けられた。
支払いに降りていくとき、リウくんが私の手を引っ張って歩き出す。 そうだ、久しぶりなのだ。
私は初めてだったが、会計窓口ではデビットカードも可能だった。現金を用意する必要もなくわずらわしくない。
あ~あ、久しぶりの娑婆だ。謝々。