ターミナル雑感
活きいき
2009. 4. 5
随録(ターミナル雑感)
「terminal」を辞書で引いてみると、「鉄道の終着駅、終点・・・・」という意味も記されている。
しかし通常ターミナル駅といえば、新宿、渋谷、池袋駅などが思い出される。 山手線では終着駅ではなく私鉄の終着駅、終点からターミナルと呼ばれるのだろうか。
むかし「終着駅」という映画があった、タイトルから哀愁を感じさせる。
私が12歳の頃公開されている。 当時のイタリアものはそういう雰囲気の映画が多かったように思う。
(1)
わが住まいの近くにも私鉄小田急多摩線の終点「唐木田駅」があるが、終点であって終着駅というイメージはない。 いずれ横浜線の相模原駅まで延伸されるといわれている。 もうひとつの私鉄京王相模原線は橋本駅が終点で横浜線に乗り換えできる。
ターミナルとはいわないようだ。 2025年にリニア・モーターカーによる中央新幹線が開通するれば、相模原駅か橋本駅にその駅ができるらしい。 もう終点は終着駅という哀愁みを帯びた雰囲気はなく単なる乗換えのポイントでしかない。
(2)
写真は何年か前に九州を訪れたときに立ち寄った門司港駅である。 JR九州鹿児島本線の北の終着駅である。
私が物心ついたときは関門トンネルはあった。 トンネルが出来る前はこの門司港駅は門司駅と言われここで連絡船に乗り換えて本州に向かったという。
少し西に関門トンネルと、近くに駅ができると乗換駅はどんづまりとなってしい、寂れた終着駅となってしまった。 現在は昔の建物がレトロとして人集めに貢献しているようだ。
終着駅のプラットホームはカタカナのヨの字形になっていることが多い。 そして線路が空間に入り込んでいる。たぶん両方のホームから乗降できるようにしているからだろうか。
そして古く造られたホームは低く列車のステップが段になっていた。 私にはこの低いプラットホームがなんとなく哀愁を感じるのである。
列車が終着駅に近づくと線路のポイントを通るたびにガタンガタンという音を発しながら、目的のホームへの線路を選びながら、速度を落としていく。
これは列車でなければ味わえない雰囲気である。
(3)
今では牽引される列車は少なく、電車となってしまった。 そして電車の床はフラットでホームとの段差は少ない。
私がよく利用する京王線の新宿駅はターミナル駅だ、しかし終着駅とは思えない。 ホームはカタカナのヨの字形になっていて、電車はカーブしたホームに囲まれた線路を、きしみ音を立てながら入っていく。
降車側のドアがつづいて乗車側のドアが開く、一斉に乗客は感傷に浸る時間も与えられず、その必要もなく吐き出されていく。
移動手段が速くなり、列車から電車へ変わり、向かい合って座ったボックス席から、同じ向きに座る座席になった頃から乗り物は単なる移動手段となってしまったのだろう。
何も考えずにある地点から別の場所へワープするだけの道具になったようだ。
リニア・モーターカーが実用化されると、乗り物は音もなく滑るように走るのだろうか、大阪まで1時間で行かれるようになると新幹線を懐かしく感じるようになるかもしれない。
(4)
古い映画の「旅情」を引っ張り出して見ていると、キャサリン・ヘップバーンが胸をときめかせて列車の窓から顔を出してベニスの風景を眺めている。 列車は音を立てながら終着駅にたどり着いた。
2004年の映画「ターミナル」は東欧の国からNYケネディ空港にやってきた男(トム・ハンクス)が祖国のクーデターでエア・ターミナルから出ることができず、そこの従業員に支えられながら生活をはじめるというハートウオーミングなストーリだった。
ターミナルという意味合いも時とともに変わっていくようだ。
私は4年前、母を介護しているときターミナル・ケアという言葉を使ったことがあった。