活きいき
2009. 4. 30
随録(念仏・・・雑感)
昨年暮れだったか、仏壇の中を整理していると父が、その後母が使っていた経が記されているものが出て来た。
「仏説阿弥陀経(カナ付き)」と「教会衆勤行法」である。
阿弥陀経は発行年月日は不明だが価格は30円となっている。 カナのルビが付いているがとても手が付けられない。 後者は明治40年の発行、ひらがながついていて4ヶ月も読んでいると何とか読めそう。 明治40年は1907年、父は3歳だった。発行されて102年になる。
父が成人して買ったものか、発行直後に買ったものであれば、購入者は祖父だろうか。
句読点は『。』や『、』ではなく『。』『」』でしかも規則性がない。
『」』が句読点代わりに使われてのにびっくり。 面白いものだ。
我が家は浄土真宗だと思っていたが、それには浄土宗総本山の朱印がある。
もともと浄土宗だったが、近くにお寺がなくて浄土真宗に代えたのだろうか。 まあ似たようなものだが。
67歳になったのを機に仏説阿弥陀経に挑戦してみようかと思っている。
(1)
4年前に母が他界したときから毎朝、仏前で般若心経を口にするようになった。 そのとき何かの資料で浄土真宗では般若心経を除外しているらしいと知ったが・・・。
門前の小僧何とやらで、1周忌の折はそれで済ませた。 家内の7回忌も自己解決できた。 親類が近くにいないわが家の法事では、形式にとらわれず自己の気の持ちようだと言い訳をつぶやきながら済ませている。
毎朝の念仏、家内の月命日あたりの墓参が供養といったところである。 念仏を唱えたり、その内容を考えたりしていると心が落ち着いてくるのはなぜだろうか。
般若心経に出てくる言葉、有名な
色即是空 空即是色
存在は空(無) 空が存在。 身体五感すべて空、生老病死も空だと教えている。
私は高校1年のとき一般化学の授業で先生が質量不変の法則では死によっても何も変わらない・・・と話されたとき
「死」というものが怖いと感じたことを憶えている。
般若心経にいう空をその当時知っていたらどう感じただろうか。 歳を重ねることで、そして身近な人間の死を経験することで、なんとなく自分のものになったのかもしれない。
(2)
最近私の念仏は教会衆勤行法に記されているものである。 これは法然(源空)教えの趣旨が記されているらしい。
ちょっと気がかりなことは、南無阿弥陀仏を唱えていれば・・・ということである。 余計なことを考えずにそのことだけを念じよ、と言っている。
建暦二年、鎌倉時代だろうか、おそらく無知な(?)民衆に対して件の念仏さえ唱えていれば浄土に行ける・・・。と教えたのであろう。 当時の民衆の様子が想像できるようだ。
私はそれでも現世でも参考になると思うところがあると思う。
罪人なりとても疑うべからず・・・・
自身は煩悩具足せる凡夫なり・・・
にはじまり
十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生の生まれるゆえなり・・・
現在に当てはめれば西方浄土を求めることは、物的な豊かさを夢見て右往左往することだろう。 それは罪深き人をつくるということ・・・、まさに毎日の新聞の社会面、TVを賑わしている状況をいい当てている。
罪は十悪五逆の者も生ると信じて小罪をも犯さじ・・・
小さい悪行を犯していると・・・、車の通らない場所での赤信号も守るようにしょうかな。
南無阿弥陀仏
(3)
この間の新聞には大阪で幼い子供がベランダに締め出され結果的に殺害されたと報じられていた。
私の幼いときと比べてみる、何歳だったか定かではないが、父親から夜間戸外に締め出された記憶がある。
言うことを聞かなかったからだと思う。
私は子供の頃はそれほどワルガキではなかったが、中学生のとき教師のビンタをよく食らったし怒鳴られもした。
現在の考えでいけば、虐待だし、暴力行為になるだろう、しかし現代のような陰湿さはなかったと思う。
複雑な環境になってしまった現世、人がついていけなくなってしまい小罪から大罪を犯すようになってしまったのだろうか。 私にはコワくて住みにくい世の中である。
(4)
念仏とは少々離れるが、ある教えに「自分自身の考えで見ているから周囲に気に入らぬことが多くなる」と記されていた。
いくらお経を唱えていても、近くの電車に乗って学生の騒々しい話し声、強烈な香水の臭いにはイラダってくる。 ああ、まだ修行が足りぬワイ。
先日、TVの番組で低所得者の老人ホームに入居している人の実態を報じていた。 入居者の諦観には涙を誘うものがある。 ここにも言葉とは裏腹の格差社会が存在している。
別の時間の番組では、認知症のお年寄りが介護保険そのものを知らず、必要と思っていない。
いっそのこと格差はつき物、老後はこんなものですといってくれた方が諦めもつく?。
江戸時代の姥捨て山の方がまだ「心」があったように思う。
(5)
4月下旬、昭和45、6年当時同僚だったI氏の訃報が届いた。 彼は私より5歳くらい下だったので、一瞬「えっ・・・」と言葉が詰まった。
入社して3年くらい経ち故郷に帰っていった、その後どういうわけか年賀状の交換が続いた。
一昨年の賀状には、定年退職を迎えたこと、・・・これからは信州の自然のなかでゆっくりと春秋を歩みたい・・・と記されていた。 あまりに早い死にこみ上げる涙を禁じえない。
ご冥福を祈る。
付記
右の写真は車籍と記されている鋳物で出来たプレート、知人からあずかった。 SLに付いていたものだろうか。 鋳物で手に取るとずっしりと重い。 鉄の塊のSLだから、少々重い物が付いていても影響なしということだろう。
現在では車両の塗装も重いという時代、隔世の感がある。
車籍という用語も初めて耳にした、このプレートを付けていたSLは解体されたのだろうか。
南無阿弥陀仏