きいき


2009. 7. 14
随録(小暑雑感

真夏日に・・  練馬駅 09.7. 7
ちょっとショック・・・
 前回の目黒ウオーキングの帰り、最寄駅で下車しバスに乗ろうとしたとき、低床バスなのどういうわけか四つん這いになってしまった。 アルコールが入っていたからだろうと慰める。
 二日後に近くのスーパーに買い物に出かけた帰り、コンクリートの階段を上りかけたとき、バランスを崩し手をついてしまった。 このときは両手の買い物袋がかなり重かった・・・から?
今まで、こういうケースで転んだことはなかった、受けた精神的なショックは大きかった。 足腰の筋肉は鍛錬しているつもりである。 まだまだ、そういう歳ではあるまい。 もしかしたら神経系統がおかしくなってきたのだろうか。
 まぁ、いずれ訪れるであろう老化現象・・・。
 「ちゃんと、帰った?」、練馬駅に集合しているとき、おばちゃん(お姉さまといおうか?)おふたりに 聞かれた。 続く言葉が「だいぶ酔っているようだったが・・・」
「ちゃんと帰りましたよ、渋谷か新宿からにしょうか考えて、ちゃんと井の頭線に乗りましたよ」
「でも、あの後どこで何の飯、食ったか覚えてないんです、コーヒー飲んだのは覚えています」
 反省会、カラオケの後、三人でとんかつ食べた後、コーヒーを飲みに行ったようです。

CM、広告、PR、宣伝・・・
 市場経済社会に生きているのだから、いかにすばやくサービス、商品を知ってもらい・・・、わかるよ。
しかし、あのNHKでも最近やたらとスポットCMが多いと思いませんか。 時報の前は番組のCMが多い、お知らせという名の下に。  それだけではなく「BS・・・」、「FM・・・」と言っては若いタレントさんがニッコリ。 その分だけ気象情報は手抜きせざるを得ない。
 映画をよく見るが、CMが流される放送(民放)はほとんど見ない、オリジナルの20%~30%はカットされているからだ。
 新聞には、どっさりチラシが折り込まれる。 本紙のなかも広告がたっぷり、捲れどもめくれども広告のページ。 記事のあるページだって下の方1/3は広告が占める。 まぁそうしなければやっていけないのだろうか。
 私だけだろうか、歳を取ってきたせいだろうか、CMや広告の内容に興味が湧かない。 商品の内容を手っ取り早く知るのは広告だろう。 そこに書かれていることを見ると、さも自分にも当てはまり効果が期待できそうに感じるのである。
 老後の生活を田舎で・・・、毎日服用しているとお肌が・・・、そういうキャッチコピーに出会うと自分もそうなるのでは、そうなるのだ、と思い込んでしまう。
 10年前、家内が余命半年と宣告されたとき、広告に載っていたサメはガンに罹らない、だから軟骨で奇跡の回復という文字にすがったことがある。
 人づてにあそこのものはいい・・・、PRしなくても売れ繁盛する、そういう世の中が懐かしい。

まもなく夏恒例の・・・
 昨日はぼんの迎え火、15日はぼん。 我が家は月遅れの「ぼん」だから7月はやらない。
8月になってもお盆の飾りをやるのが面倒になってきた。 毎朝念仏を唱えているから、毎月墓参しているから、改まってやらなくても許してくれるだろう、なんて勝手に思っている。
 終戦記念日になると、決まってそれらに関連したドラマや映画が放映される。 それらの中には被害者としての日本が描かれることが多い、われわれ庶民はいつも被害を受ける立場だから、それらを見て涙を流す。 しかし加害者としての行為を記録したものはあるのだろうか。
 数ヶ月前のジョー・オダネル軍曹が被爆後の長崎を記録した写真についてのドキュメントが放映されていた。 強烈な衝撃だった1枚の写真は10歳くらいの少年が弟の死骸を背負って火葬の順番を待っている姿だった。 私より7歳くらい年上だろう、とても他人事には思えない。  また、撮影者の軍曹は禁を犯して人を撮りつづけ、フィルムを数十年封印していたという。
 イラク戦争を題材にした最近のアメリカ映画2本を見た。
「告発のとき」、「さよなら。いつかわかること」 前者はイラクから帰還した息子が失踪し、それを探す元軍人の父親。 後者はイラク戦争に従軍した妻が戦死し、幼い娘にそれを告げなければならない父親の苦悩。 私には理解しがたい戦争の影を描いている。
どうしてイラクで死ななければ・・・そういう思いの若者の「核を使って・・・」の言葉は・・・。
 覚めた言い方をすれば、戦争をしかけた側の悲劇じゃないかと言えるかもしれない。
 本当の被害者は誰なのだろうか、考えさせられる。 

よく使う民鉄は・・・
 京王線である。 トップページで大江戸線について記したが、京王線にも記さなくてはならないと思うようになった。  沿線に住む住民として最近はこの鉄道のありように疑問を感じる。
 他社の東急、西武、小田急、京成などはターミナル駅で地下鉄やその先の私鉄と相互乗り入れを拡大している。 新しい地下鉄副都心線は東武、西武と乗りいれ、将来は東横線に乗り入れ計画がある。
京王線は都営新宿線と相互乗り入れを実現しているが、これ以上の拡大は出来ないだろう。 京王線の軌道幅(ゲージ)が他の規格と異なるからだ。
関東ではだいたい3種の規格が採用されている。新幹線、京急、京成などの標準軌、JR在来線、その他私鉄の狭軌、それに京王線の路面電車軌。
 京成線も路面電車の規格だったのを2ヶ月間で標準軌に変えたそうだ。 今では京成、都営浅草、京急と相互乗り入れが出来ている。 経営者の先見の明があったといえる。
 京王線は一歩間違えたばっかりに沿線住民に不便を強いることになっている。

復刻本を・・・
 いっとき漢字検定についてのニュースがメディアを賑わしていた。 私はご多分に洩れず漢字は苦手である、検定を受けてもいい結果は出ないだろう。 
しかし、新聞や実用書を読んでる限りにおいてはそれほど不便を感じない。 それでも手元に広辞苑や漢和辞典を置いている。
辞書無しで新聞が読めるのは常用漢字として制限された範囲で使われているからだろう。 この歳になると新しく記憶しようと思っても無理であり意欲もないが、あまり規制してしまうのはいかがなものかと思うことがある。 
 娘が学生時代に買った名著の復刻本を開いてみた。
短編が多いという芥川龍之介の「羅生門」、「鼻」などを読み始めた。 一行すらすらと進まない、見たような漢字と思っても読めない、意味不明。 辞書が手放せない。
芥川は大正時代の人、当時の人はこういうのを何の苦労もなく読んでいたのだろう。 その方面が苦手な私は居眠りをしながらひと時を過ごしている。


隋録