活きいき
2009.10. 16
随録(前・中・後)
前・中・後
旧国名には「前・後」が付くものがあった、私の生国は豊前。 おそらくトヨのクニを分割しなければならなくなったときに「前・後」を付けたのだろう。 三分割のときは「中」も用いたようである。 越の国は越前、越中、越後。
三分割された備前、備中、備後は面積はそれ程でもない吉備国は大国だったのだろう。 陸前、陸中、陸奥の場合は「後」でなく「奥」が使われている。 もともとこの国は陸奥だった、そして分割はずっと後世になってからのようだ。
都に近いところから「前・中・後」の順である。 「後」は最後である。
ところで私も含めて老後という。 老後というのはどうも「老いの後」つまり「そのあとは無い」ような気がしてならない。 言うならば老いている時は、「老中」の方が適しているように思うのだが・・・。
「老いて・・・後」と言う意味らしい。 ウィキによれば定年後死ぬまでとある。
とまぁどうでもいいことを考える最近だが、無意識のうちに行った行為が記憶から欠如することが多くなったからである、自分でも吃驚するくらいである。
こんな場合である、人と話をしながらあるカードを差出し貰ってしまった後・・・”あれっ、貰ったっけ?”。
歳のせいなのかはたまた認知症のはじまりなのか。
ライフワーク・・・
先日、健歩クラブの先輩Hさんから「見残しの塔」という小説を借りて読んだ。 作者は今年90歳の女性であるが、平成2年頃に書こうと思い立ったそうだ。 そして調査取材に14年、執筆4年、完成するまで1年を要したという。
始めたのが古希を過ぎてからである、取材中の平成9年から数年間ある県の歴史博物館で「中世史」の講座を受講されている。 こういうことは素養がなければ出来ないことではあるが、歳を重ねてからのライフワーク挑戦には頭が下がる。
「古希にも達しないものが老後なんて・・・」とお叱りを受けたようである。
ついでながらその小説について記すと、山口にある瑠璃光寺の五重塔の建立にかかわった青年の成長をモチーフにした物語であるが、もうひとつ新田義貞を祖にもつ若き女性の物語が若狭の国からはじまる。
とはいえ時代が鎌倉時代、青年は幼いとき日向の椎葉の山村で育った。 綿密な調査で描かれており隠れた歴史そのものである。
描かれている景色が私も幼いとき山村で育ったので重なって見えた。 しかも物語に出てくる日田は、一度しか訪れてないがかって私の本籍地であり懐かしく思えた。
・・・すばらしい本に出会えたと思う、山口の瑠璃光寺を訪ねてみたいという気が湧きつつある。
老後をいかに・・・
ワークのない老後は日雇いのようなもので朝の後片付けをしながら ”今日は何をするか”
子供の頃父から聞いた話が記憶の片隅から思い出されてくる。
・・・食事をする暇もない忙しい旅人が川屋を借りてオムスビを頬張っていると、ポトンと落としてしまった。 しまったと思ったが旅人は考える。 「まてよ、このオムスビも食べたところで、どうせ行きつく先は同じだ!」 とひとり言をつぶやきながら残りのオムスビを落としてしまった。
まぁ、私も同じことを考えている。 朝飯食って、昼になってまた食らう。 パスしてもいいじゃないか。
そうは思いつつ、14日は近くの医院に電話して季節性インフルの予防接種(高齢者)を希望する。 「お気をつけていらっしてください」と有難いお言葉。 窓口に保険証などを提出、「高齢者の方ですか? お住まいは八王子ですか?」 せっかく保険証を出したのだから見りゃ分かるだろう ”それを見て!” すると生年をパソコンに入力して計算している。 (嫌味な老後だ)
10月上旬は台風18号の来襲などで天候が不順だった、雨の日は出かける気になれず籠もることになる。 年寄りが籠もるのはよくない。
9日のウオーキングでは53名が新浦安駅に集まった。 台風などで外出できなかったことの反動なのかも知れない。
昼食をいっしょのMさんとお話しを・・・”高齢者になって何かのグループに入っている事は良いことかもしれませんね”
”歩くことで健康を維持できて病院へ行く回数が減れば医療費の削減につながるんですね” なぁ~んて。
健歩クラブで少しのウオーキングとお喋りが心身の活性化に役立つのではないかと期待している。