活きいき
2009.10. 27
随録( KY・ ・ ・ )
KYは場の空気を読めない・・・ということのようだ。 私は「場」だけではなく二人だけの場合でも気持ちを察することにも当てはまるように思う。 むかし察してあげればよかったというKYed(過去形)もありそう。
KY1
義父はこの10月で97歳になった、 ご本人は「98になった・・・」と言う。 昔の数え歳の習慣からであろう。
近くに住んでいる義兄や義弟が毎日のように訪ねているが朝夜は独りである。 おそらくひとりで食事をして後片付けするのだろう。 スゴイと思う。
先日、雷おこしなどを買い集めて送った、そして電話をかける、私 ”すこしばかりお菓子を送ったヨ、ポツポツ食べて”
義父「そんなに気を使わんでよか・・・」 九州弁がそこにある。 「なぁ~んもしよらん・・・庭の草取りばっかり・・・たい」 ”それでよかぁ~”こちらもつられてお国言葉が・・・。
前回までこちらから電話をしなかったが、今回はあえてこちら、まぁ元気そうだが耳もだいぶ遠くなったようだ。
さて、義父の言った「気を使わなくてもいい」というのが気になった。 数年前、娘と訪れたとき雷おこしをお土産に持参したら、喜んで食べてくれていた。 もともと質素な義父は自分で好物を買って口にすることはなくあるものを食べていた。 だから何がしか変わったものが手元にあればいいのではと思い、ときたま駄菓子を送るようになった。 私がそう思っているだけでホントは迷惑だったのかもしれない。 ふとそういう思いが心をよぎった。
相手の気持ちを読めないのでは・・・
KY2
20年くらい前単身赴任をしていたことがあった。 そのとき気を付けることとして、家庭持ちの人を自分の都合でお酒に誘うのはよくない・・・ということを何かの本で読んだ。 つまり自分が寂しいから呑み相手、話し相手を
つくるのは良くないということである。
最近の私の環境は当時とよく似て独り暮らしである、おまけに歳を取ったことが我がままになり人の気持ちを察することができなくなってきた。 当時の教えを心しなくてはと思うことがある。
散歩の途中で近隣の方と話しこむのはつつしもう。 余程のことがない限りこちらから訪ねて行って話しこむのは避けようと思う。
もし話をしなければならないときは午後のひととき2時間程度と心がけよう。
相手は他人様とは限らない家庭を持った自分の子どもたちや親戚に対しても言えそうである。
訪問したい旨を伝え日にちを確認しようと電話すると、その日その日も予定ありとのこと。 ウームやはり訪問はしばらく遠慮しよう。
私もかって自分の母親に対してそう思ったことがあった、もう少し距離を置いてくれないかと・・・。 今は立場が逆になり親戚や子どもたちもそう思うであろう。 自分では親切心や思いやりと思っていても、”空気読めないの?”と言われそう。
KYが不要なのは・・・
KYばかり気にしていては疲れてしまいそう。
裸足の王様・・・なら気遣う必要もないかもしれない。
現在の私には歩きのメンバーと一杯やるときは年齢は異なって先輩であっても対等のような気がする。 千円から二千円くらいを払って2時間くらい、クソの役にも立たないお喋りは気遣いの必要のない至福の時間である。
明日はその健歩クラブ、丘陵を歩くことになっているので参加人数が少ないかも・・・。
お喋りタイムは立川かな。楽しみだなぁ。