雑味館抄 <あいさつ> 2006. 2. 11
私のホームページ(ぞうみかん)は定年後「毎日が日曜日」の生活の中での自分の思いを記し、いわば定年後の自分史にしたいと思っている。
2005年1月大部分を占めた「母の介護」を卒業した。いままで息抜きでやっていた「美術鑑賞」、「映画鑑賞」、「ウオーキング」、「たび」などを自分の仕事として精神生命を鍛えて生きたい。その中で感じたことを「藝」、「楽」、「生」などのテーマ別に記すつもりです。


Kさんにお茶をよばれる(06. 2. 11)
パソ遊友!!
町内のシニアでパソコンを楽しんでいる人たちの集まりができた。その後メールをやり取りしているKさんからお茶を飲みにいらっしゃいとお声がかかった。老親の介護、ケータイ、パソコンの話などあっという間に時間が過ぎた。

「カンジザイボサツギョウジンハンニャハラミッタジショウケンゴオンカイクウドイッサイクヤクシャリシシキフイクウクウフイシキシキソクゼクウクウソクゼシキジュソウギョウシキヤクブニョゼ・・・・」
毎朝の読経が日課になって1年が過ぎた。今では諳んじて声を出せるようになった。母の一周忌を自前でやろうと思い昨春から毎日お経を上げるようになった。 自前でやろうと思うきっかけは、我が家の墓所は霊園にあり、お寺との関係が希薄だからである。6年前、家内の葬儀のときは同じ宗派のお坊さんに遠方から来ていただいた。近くにも同じ宗派のお寺はあるだろうが、緊急のコンタクトは難しい。昔と違ってまあいいかとなってしまった。

お経と言ってもいろいろあるそうだが、手短なのは「般若心経」で、これは短くていい。仏教家のH氏の本のなかに 私の家の宗派は「般若心経」を読まないということが書いてあった。母の葬儀のときは、戒名は同じ宗派のお寺から頂いたが、葬儀屋(実はお寺さんだった)に頼みお経もその宗派のものにしてもらった。そんな程度だから、まあいいじゃないかと思っている。
きっと私は我が家の仏壇に受け入れてもらえず、流浪の魂となるだろう。


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