雑味館抄 <あいさつ> 2006. 2. 21
私のホームページ(ぞうみかん)は定年後「毎日が日曜日」の生活の中での自分の思いを記し、いわば定年後の自分史にしたいと思っている。
2005年1月大部分を占めた「母の介護」を卒業した。いままで息抜きでやっていた「美術鑑賞」、「映画鑑賞」、「ウオーキング」、「たび」などを自分の仕事として精神生命を鍛えて生きたい。その中で感じたことを「藝」、「楽」、「生」などのテーマ別に記すつもりです。


講演会のはじまる前(06. 2. 16)
圓窓師匠を聴く!
2月中旬、ある文化講演会で三遊亭圓窓師匠の落語を生で聴くことができた。
落語に入る前に講演をされたが、小学校の教科書にも落語が載っているそうだ。そのうえ時たま都内の小学校で先生をし、小学生に落語を教えているとか。
そのとき私は小学生に落語を教えてどんな意味があるのだろうといぶかったがあとで納得した。
そのほか圓生師匠から口伝してもらったようすなどの話があったが、現代人になにかかけているものがあるように思えた。
噺家であるから自分のメディアを熟知していて、「話す→聞く」ことの重要性を説かれた。「話す→聞く」ことにより「思い描く」ことができるという。
今の若い世代の人は「映像」優先であり「思い描く」必要性がないという。そういう機能が働かないと「思いやり」などの気持ちが育ってこない。小学生が落語をすることで思いやる気持ちが見えたと言う。私は何も出来ないで憂うだけだが、圓窓師匠はそのことを実践している。

私達の年代の者は文字の世界で育ち、映像は後に発達した。文字人間と映像人間と人種が違うのかもしれない。さらに最近の子供達はコンピュータに囲まれてバーチャルの世界で育っている。さらに何かの機能が働かないまた違う人種が現れたといってもいいかもしれない。
お釈迦様は人を区別するのはよくないとおっしゃっているが文明の発達は否応なしに人の大きなグループ化が進むのだろうか。


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