雑味館抄 <あいさつ> 2007. 6.  25
私のホームページ(ぞうみかん)は定年後「毎日が日曜日」の生活の中での自分の思いを記し、いわば定年後の自分史にしたいと思っている。
2005年1月大部分を占めた「母の介護」を卒業した。いままで息抜きでやっていた「美術鑑賞」、「映画鑑賞」、「ウオーキング」、「たび」などを自分の仕事として精神生命を鍛えて生きたい。その中で感じたことを「藝」、「楽」、「生」などのテーマ別に記すつもりです。


町内パソコンクラブ 高尾山へ  
町内パソコンクのメンバー<山頂下>
( 6月 23日)
  町内パソコンクラブ、と言ってもメンバーは4人、隔月に近くのファミレスで”お喋り”するのが主な活動。
そのメンバーのひとりKaさんと先日の懇親会で隣に座ったときハイキングの話をした。

さっそくKaさんのプランで高尾山の話がまとまり、23日に出かけた。
この日は予想されていた雨が早朝には上がり、午後下界では30℃を超える気温となった。
しかし いつもひとりで登る高尾山で知り合いとお喋りしながら、木洩れ日のなかを歩く爽やかさを満喫することができた。  
つづきは・・・


遺跡の跡にマンションが・・・  
  毎日、配達される新聞に入っている折り込み広告、私はspamメールと同じように家に入れる前に回収ボックスへいれる。
しかし、そのマンションの広告には目を引きつけられた。建築中の場所が多摩ニュータウン19住区の最南端と記されている。

ここに縄文のムラ(No72遺跡)があった
06年3月21日撮影
昨年3月ごろこの場所を訪れていたからである。この場所は「多摩ニュータウンNo.72」と番号が付けられた遺跡の跡なのである。

縄文早期(約1万年前)の住居跡が発掘、さらに縄文前期(約6500年前)の住居跡が10軒、縄文中期(約5000年前)の住居跡340軒、大規模なムラだったそうだ。
連続していたか分からないが、5000年の長い間縄文人が住み続けていたとも考えられる。

そこの上に現代人がマンションを建て住みはじめる。
多摩ニュータウンは建設されて40年、もうオールドタウンと呼ばれるようになってきた。
現代人はこの地に何年間住み続けられるだろうか。
ふとそんなことを考えると、効率を求め続ける現代人の生き方が悠久の時間のなかの縄文人のそれに比べ小さいことのように思えた。

最近の更新情報

WHAT’S NEW
高尾山(町内パソコンクラブ 6月)


CONTINUE

ウオーク・フォト(朝夷奈切通/陣馬~高尾)期間限定版は終了
今月の記念日



ゲストブック
書き込むときはゲストブックにログイン
見るときはゲストブックの表示


雑味館抄<あいさつ>