楽しむ
05. 7. 21
ローカル線(八高線)で行く
はじめに
ローカル線ってどんな線だろうか。定義はあるのだろうか。JRでいえば時刻表に載っている「地方交通線」がそれに該当するのだろうか。
しかし1時間に2~3本しか走っていない線、電車ではなくデーゼル車、単線。近くにある私鉄の支線で単線で一駅区間しかない線もローカル線なのだろうか。時刻表-そういえば最近、時刻表を使わなくなった。パソコンに入っているソフトの方が便利である。古い時刻表を出してみると関東では「八高線」というのが近くにあった。
八高線は東京の西部の八王子市と群馬県高崎市を結んでいる。地図を見ると、関東平野の西の山すその丘を越え谷を渡って走っている。その線に乗ってローカル色を楽しんだ。
高麗神社への道すがら
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高麗川駅へ
八王子駅の一番ホームから午前9時26分発の八高線の電車に飛び乗った。今回は運良く待ち時間が少なかった。行く先はこの電車の終着駅、高麗川駅である。5月の下旬ににも八高線に乗った。二度目となると余裕が出てきて車外の景色を観察することが出来る。今回はそれほどローカル線ということを意識しないでいた。しかし単線であるため上りの電車を待たなければ発車しない。拝島駅では5分待った。ここには中央線直通の電車もあるが、オレンジ色の車両が多い。これはお下がりだろう。
拝島を過ぎると住宅もまばらになり森の中や畑が多くなる。自転車で駅まで来る人が多いのだろう駅前には整理をしているオジサンも見える。
金子という駅から埼玉県になる。東飯能駅は西武池袋線も乗り入れている。駅前にはかなりの数の住宅がある。
駅前から高麗神社へ
目的の高麗川駅に10時11分に着いた。狭いホームから改札口を出るとどんよりとした空が広がっている。右の方にペンシルのようなマンションが建っている。見渡しても高い建物はこれだけのようだ。
駅前には10台前後のタクシーが客待ちをしている。誰も乗る人はいないようだ。
下りの時刻11時45分を確認し、まっすぐ西に向ってのびている広い道路を進む。地図によればおよそ200m先に線路と並行した道がある。広い駅前道路に面し大型のスーパーが、少し間をおいてふたつある。先行投資なのだろうか。車も少ない。オバちゃんがバイクで歩道を走ってくる。ローカル色豊かだ。しかし新しい住民が増え、それにあわせ大型スーパーも出来つつある。古さと新しさが混ざりはじめたようである。
聖天院慰霊地の石像
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少し霧雨模様だ。遠くの山がかすんで見える。高麗神社はあのあたりだろうか。
手持ちの地図によると左折し、畑の間に住宅が点在するなかを走るそれほど広くない道を進むようだ。
道路沿いの庭の手入れをしているご婦人に高麗神社へ行けるか尋ねる。しばらく進むと神社の案内が電柱にあった。町の観光施設が立てた案内が道々に見うけられる。
見知らぬ目的地に向うときは所要時間を長く感じる。やがて道路が工事中で、その先に高麗川にかかる「出世橋」という橋が見えてきた。工事のオジさんに「なかなかいい名前だね」といいながら渡ると左手に高麗神社の駐車場と鳥居が見えてきた。
高麗神社と聖天院を訪れたが,高麗家住宅、巾着田など、このあたりには高句麗の雰囲気が色濃く残っているような気がする。次の列車の時間まであと40分位しかない。とりあえず駅に戻ることに決め急ぐ。
復路は意外とすんなりと30分もかからず戻れた。
児玉駅へ
児玉駅
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高麗川駅の八高線下りホームには3両編成のデーゼル車が独特の音を立てて止っていた。
車内は片側に二人掛けのボックスシート、反対側はひとり掛けである。よく見るとトイレもついていて、そこの部分は通勤電車のような向かい合ったシートになって部分的にシルバーシートも設けられている。
私より年長の男性が座っているボックスの反対に腰を下ろす。デーゼル車が動き出した。騒音が電車のそれとは違う。ときどきブレーキ用の圧搾ポンプだろうかグタグタと唸りはじめる。この車両だけかもしれないが、その振動に共振するようにガタガタと鉄板が揺れているようだ。
レールの長さも違うのかも知れない。電車区間ではあまり気にならなかった車輪が「繋ぎ目」を通過するときの音がここの区間ではハッキリとしている。カタカタ・コトン、カタカタ・コトン、在来線の寝台車に乗っていて耳にした音である。これを聞くと列車に乗っていると実感するのである。ウーン、まさしくローカル線だ。
ついでにローカル色豊かな駅の風景を記そう。「お手洗い」の表示が「便所・LAVRATORY」と書かれている。電車区間では人の姿を図案にしたもので表されているが・・・。何か新しいものを発見した(単なる変化に気づいただけだが)ように新鮮だった。
御岳山・鏡岩
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単調な車外の景色が流れていく。無人の踏み切りの警報機の鳴る音、キンコン、キンコン、コーンコーンコーン。ドプラー効果で警報音が変化する様子は在来線でしか味わうこと出来ない懐かしいものであるが今回は気がつかなかった。
12時40分、定刻どおり児玉駅着。上り列車の時刻を確認。15時14分、次は16時26分。
児玉駅から西へ
二番目の目的地、金鑽神社はここから西へおよそ4kmくらい、約4~50分と想定していた。徒歩時間を往復2時間、参拝時間30分として15時14分の上りのデーゼルには間に合うだろう。
webの地図を用意していた。児玉駅周辺と金鑽神社周辺の地図。駅から西へR462号線を通れば行きつくことを確認しておいたので、間の地図は用意しなかった。
児玉駅前にはタクシーもないらしい。同じ列車で下りた人が訪問先に電話しているようだ。さびしい駅前通りを西に200mくらい行くとR462号線が南北に走っている。南の方に児玉町の町並みが続く、呉服店、倒産した銀行の店舗などしばらく進むと仲町という交差点がある。R462号線はその交差点を右折する。
これから単純に歩けばいいというステップに進んだようだ。
国道は時たま車が通るくらいで歩いている人は見かけない。しかし歩行者はにとって幸いなことは車道との境目にブロックが置かれ歩道が確保されていることだ。
塩谷と云う交差点を過ぎる。周りには民家は少ない。交差点を右に行くと「本庄・児玉」インターに行くらしい。見ると田んぼの中を長く真っ直ぐな道が伸びている。
御岳山頂下の弁慶穴
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道々の看板などに目やりながらしばらく我慢して歩くしかないだろう。XXカンツリー、□□CC、ゴルフ場の看板の次に目に付くのが介護施設の看板だ。
この道は鬼石町というところに繋がっているらしいがそこは群馬県になる。
金鑽神社と御岳山へ
金鑽神社付近の地図によれば、大光普照寺と云うお寺が道の右側にありやや右に曲がる道の左手に神社がある。児玉駅から40分くらい歩いてもそれらしいパターンは見当たらない。このあたりには石材屋さんがかなりある。1メートルはあるだろうか大きな石材が積み重ねてある。
やや左にカーブする道を歩きながらそろそろ寺院・神社というパターンが現れてほしいと思いつつ、神川町というところに入った。遠くの山すそに大きな屋根が見えてきた。まもなくその屋根が大光普照寺「金鑽大師」だとわかる。右に大きく曲がるカーブの先に金鑽神社の大きな鳥居が見えてきた。帰りの列車は15時14分は諦め、つぎの16時26分にしてこの神社を15時過ぎに帰りの出発をしよう。
神社参拝後、拝殿の左側にある御岳山への道を登る。道は朽木が積み重なって出来ているからだろうか踏みしめるとクッションがいい。かなり急な坂であるが段々が造られ、周りにはアジサイが少し残っている、また石仏と句碑が数多く建てられているので、疲れると立ち止まり眺めながらひと休み。
途中に鏡岩という遺跡がある。これは中学・高校の教科書地図にも載っているが、案内には次のように記されている。
御岳山の中腹に約30度の勾配をもった顔面が幅5m、高さ9mにわたって赤褐色に光り、わずかの日射しでも鈍く輝いている。地質学的には『赤鉄石英片岩』という約1憶年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線が出来た時の岩断層活動の跡とされ、断層面が出来るとき強い摩擦力で岩面が鏡のように磨き上げられたものとみられ、摩擦方向に斜めに幾本もの筋が走っているのがわかる。貴重な地質学資料として昭和31年国の特別天然記念物に指定された。
伝説によれば高崎城が落城したとき火災の炎が明るく映ったと伝えられ、また月の光に反射し敵の目標となることから松明でいぶしたので赤褐色になったとも伝えられている。
この山は標山550m、尾根続きには御岳城跡のある城山もある。神流川、利根川沿いの北関東を一望できる。
上りのデーゼルが来た。
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御岳山の頂上近くにはのすぐ下には「弁慶穴」というところがあり、弁慶が入り口にある岩を動かしたという伝説がある。
城跡らしいところには石仏が数多く散ばっている、現在は70数体あるそうだが当初は88対あったという。頂上近くは岩場であり案内板に記されているとおり一望できる。
頂上からの眺望を満喫し、下山しているとき一組の老夫婦にお会いした。人に会わないだろうと思っていたがおもわずあいさつを交わす。
さて帰りは距離感もつかめているがとりあえず急ぎ足で駅へ向う。こんな道で雨にでも遭遇したら大変である。16時少し過ぎおよそ1時間で駅に着いた。駅のホームにある案内板には「金鑽神社:西に約6km」と記されていた。出発前、地図で4kmと思い込んだのが間違いだった。所用時間の実績で納得した。
上りのデーゼルが到着した頃には雨がぽつりぽつりと落ちてきた。
高麗川駅で15分待ち電車に乗り換え八王子に着いた頃は雨はかなりひどい降りになっていた。
19時過ぎに帰宅。少々遠かったがローカル線の香りを味わうことができた。