たび
楽しむ
2004. 3. 13
たび(豆州)
沼津IC→三島大社→(修善寺)→(土肥)→(松崎町)→雲見→波勝崎→(下田)→(河津)→(伊東)→(熱海)→(小田原)→帰着
なぜ豆州と記したか?。多摩市一の宮の小野神社を訪れたとき、石柱に寄贈者の名前として「豆州君澤郡三島町××」と記されていた。なんとなく伊豆国の国府にも訪れてみたいと思っていた。
伊豆国の一ノ宮は三島大社であり、国分寺もこの近くにあった。ぜひ寄ってみたいという気に
駆られていた。
初めての土地であり探しきれなければ、少なくとも三島大社には参拝しよう。
行き
三島大社
3月1日は、朝からの雨であった。気温も上がらないと予想されている。まあのんびりドライブすことが目的だと考えればいいとスローペースでスタートする。
伊豆には一昨年の夏、一人旅している。この時は台風に遭遇した。
その時の様子はこちらを
前回とは「歴史」についての思い入れが違っているような気がする。できれば国府跡、国分寺跡を訪ねることが出来ればいいナと。
ルートを逆にして相模国の国府のあった大磯あたりを先に通ろうかと思ったりもした。
結局、欲張らずに三島大社に参拝できればいいと沼津ICに向かう。
三島大社は「旧官幣大社」である。ちなみに武蔵国の大国魂神社は「旧官幣小社」、一ノ宮は大宮の氷川神社である。
厚木から東名に入る。今回のドライブはスローを心がけなるべく走行車線を走る。そのためか年のせいか高速は単調な道筋であり眠くなってくる。足柄SAで休憩した頃には、雨が雪に変わっていた。
さて沼津ICからナビに頼りながら三島大社に向かう。左折すべき交差点をひとつ遅れるなどしながらなんとか大社の駐車場にたどり着いた。降りてみると満開の河津桜が目に入る。雨の中大社の中をグルリと回ってみる。「古道探訪」をはじめてから神社は本殿の方も覗くようになった。三島大社は「権現造りか」と言いつつ雨の中でシャッターを押す。
三島大社をあとにR136を南下し修善寺に向かう。国分寺跡を探したいという気と雨のなかちょっとしんどいかいう気持ちが交差して、楽しみを先に延ばそうと言い訳をする。
風光明媚な海岸
三島市内も国道1号線を越えると渋滞することもなく流れはスムーズである。
ナビには「高速利用:ON」とセットしておいた。韮山町にはいりまもなく右折を指示された。
伊豆中央道、修善寺道路と有料を走る。速くていいが、町並みを眺めることが出来ず面白みがない。
修善寺を過ぎ出口の交差点を右折し、しばらくは登り坂だが、そとの気温はかなり低いようで車内が曇ってくる。西伊豆バイパスの料金所では雪が舞っている。トンネルを抜けると雪は止み下り坂を土肥に向かう。
これからは海岸線を曲がりくねり入り江にある町並みと岬をまわるというパターンを繰り返し宇久須、田子、堂ヶ島、松崎の町を通り3時20分に目的地の雲見温泉の宿の駐車場に着く。三島から2時間弱、自宅からの走行距離は190km弱。
雪は降っていないが、寒々とした灰色の空気が漂っている。国道は高いところに架けられた橋で、階段を下ると入り江に流れる大田川という小さな川の両岸に家々が軒を連ねて建っている。川沿いに人がようやくすれ違うことが出来るほどに小道があり、地図を片手にしばらく行くと奥まったところに予約しておいた民宿があった。
「ごめんください」応答なし、入って勝手を覗くとおばあさんがなにやら調理をしている。予約したときに電話口に出たのはこのおばあさんか。
聞くところによると老夫婦と息子さんとで切り盛りしているそうだ。
温泉に入る前に集落をグルリとひとまわりして、気がついたが集落全体が大きさに差はあるものの旅館、民宿ばかりである。これほど多いということはシーズンになればかなりの観光客が来るのであろう。民宿の宿泊客は私ひとりであった。温泉につかり足を延ばし、海鮮料理を食べビールを飲んで「非日常」を満足した。
波勝崎の猿苑
帰り
翌朝、海岸を歩いてみると小船から身を乗り出し水中ガラス?で海中を覗いている人を見かける。「何を採ってるんですか」しばらくして私に気づき「あわび」。
今夕の食卓の上に並ぶのであろうか。漁業組合の直売所という建物がみえた、伊勢海老1kg、1万円だそうである。ほどよい大きさの物を2つ貰い娘たちへの土産とした。
後日、娘たちに聞いてみるとそれぞれ調理に悪戦苦闘したようである。こんな経験はすることがもうないだろうといってた。二人とも満足してくれたようだ。
宿を出発し数kmのところに波勝崎という岬があり、ニホンザルを放し飼いにしていた。人間が檻の中に入って猿を見物する。まさしく「猿の惑星」だ。駐車場から檻付きの建物まで苑のマイクロバスで向かう。車が建物の入り口に止まると猿たちがやってくる。人間が急いで建物の中に入り、扉を閉めてかんぬきをする。
大きい猿が扉を「あけろ」と言わんばかりにドンドンと叩く。ここには400匹がいるそうだ。はぐれ猿もいるらしく山の上で木の実を食べて生活しているという。
リストラにあったようで猿の世界も厳しいようだ。
下田、河津、稲取、熱川、伊東、途中に数回の休憩を取り小田原から厚木自動車道、東名経由相模原で娘に、さらに近くに住むもうひとりに土産を渡し旅は終わる。「あ~あ、つかれた、年かな」