たび
楽しむ
2010. 6. 18
たび(・・・そして長崎へ)
2両編成のシーサイドライナー
ようやく・・・
12時42分「快速シーサイドライナー」はハウステンボス駅をディーゼルカー独特の空気を圧搾する音を響かせながら走り始める。
りうクンもママもデーゼルカーは初めてであろう。 私の住まい近辺では八高線の高麗川駅と高崎間をディーゼルカーが走っているが、そこまで行くことはない。
ついでながら、気動車ということも聞くが現在は存在しないガソリンカーなども気動車に含まれる。 このシーサードライナーは「キハ66系」、「キハ200系」が使用されているようであるが、キハのキは気動車のキである。
シーサイドライナーは通常2両編成のようだが、乗車したのは3両編成で、車内は通学の高校生などが乗っていてかなり混んでいた。 真ん中の車両に乗ったが、私は後ろの車両に移動し進行方向右側の座席を確保した。 右手に大村湾の風景を想像したからである。
トントントトン・・・床を叩くような電車では味わえない振動は暖かい日差しとともに眠気を催してくる。 窓の外は青い海原が見えたかと思うと岬の緑に変わり、時おり民家がポツンポツンと点在している。 入り江に沿った国道をときたま車が走っている。 喧騒の世界が想像できないゆったりとした風景だ、命の洗濯をするとはこういうことを言うのかもしれない。
「最初はグー、あっち向いて・・・」りうクンも退屈そうだ。
ハウステンボスのあたりは・・・
早岐瀬戸、左が針尾島
ハウステンボスは針尾島につくられている、北は佐世保湾、南は大村湾に接し、ここ早岐瀬戸と針尾島の西に位置する針尾瀬戸がふたつの湾を繋いでいるという。
川のように見えるこの早岐瀬戸も美しい海で運河のようである。 針尾瀬戸には西海橋という海を渡る橋がある。 昭和32年(1957)、中学校の修学旅行でこの橋を渡った。 昭和30年に出来たこの橋は、海に架けられた橋が少なく東洋一といわれたそうだ。 小雨の降る中を小走りに渡った記憶が微かに残っている。
右手に大村湾を見ながら、10分ほど走ると駅に停車し少しの乗客が入れ替わる。 川棚、彼杵(そのき)、竹松、・・・聞き覚えのない駅名である。 客の乗降がなさそうな駅でも停車することがある。
ここは単線、下りのディーゼルを待つのである。 りうクンやママは電車好きだが新幹線や都会の電車しか乗らないから、単線や、ディーゼルカーを知らない。
大村湾をバックに走る
まぁ、東京で奥多摩に行けば単線にめぐりあえる・・・五日市線、八高線、また西武多摩川線は単線だ、単線は対向する電車を待つ面白みもある。
さて45分くらい乗っただろうか、大きな町に着いた。長崎空港の最寄りの大村駅である。
昨日長崎空港からハウステンボスに向かうとき、シーサイドライナーかバスにするか決めていなかったという。 快速シーサイドライナーとはいえ本数が少ない。 ぐうぜん高速船に乗り合わせたが、どれも所要時間は1時間くらいらしい。
さてさて、まだ気動車の旅は半分くらい残っている。
10分もすると諫早駅に着いた。
諫早駅から長崎駅までの間は長崎本線でもルートがふたつあるようだ。 旧線は海岸線に沿って長与駅を経由する、新線は喜々津駅を通過すると長いトンネルに入る。 あたかも別の路線のように見える。そして長崎市の浦上あたりで合流する。
想像するに旧線のほうは古い年代に作られたためトンネルを短く、複線にする土地が確保できなかった。新線はトンネル技術も進歩し長いトンネルも問題なく作れるようになった・・・のだろうと。
長崎駅で「白いかもめ」を
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14時06分長崎駅に到着! ふたりは「白いかもめ」をバックに写真を撮っている。 ついでながらこの電車は「白いソニック」用の車両、外見はフロントガラスのあたりに違いがあるそうだ、青色(ソニック)と黄色(かもめ)。 2年前、やはりソニック用の電車が長崎駅に配車され、ママはりうクンに”長崎は「かもめ」なのにソニックが来ている”と言われ説明に困ったという。
さっそく・・・市内へ!
日本二十六聖人殉教の地へ・・・
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ホテルは長崎駅から少し北に歩いたところのベストウェスタンプレミアホテル、私には覚えられそうにない・・・。
チェックインのあと、ママが日本二十六聖人殉教の地へ行って見たいという。 ここは一昨年訪れたことがある、思い出しながら坂道を登って行く。
クリスチャンにとっては聖地なのかもしれない、私はそれほどの感慨は生じない。 資料館はパス。
坂を下って本蓮寺へ、勝海舟寓居の跡だ。 一昨年最初に訪れたところである。 山門は原爆で消失したまま、礎石だけが残されているのが痛々しい。
観光案内図を片手に後藤象二郎宅跡を探す、大河ドラマを見ているママの希望だ。 私は案内図の「じゃがたらお春の碑」にも興味を引かれたがその説明を容易に出来るか自信がなかった。
りうクンは黙って街並みを見ながらついて来る。 案内図に記されている金屋町、興善町を街角の表示と見比べる。
お気に入り?
街角に「向井去来生誕の地」の石柱が立っている。 俳人で松尾芭蕉の弟子たったとか。 私は以前、藤沢周平の小説「一茶」を読み俳人達の生活について多少なりとも知りえた。 一茶は継母との折り合いが悪く幼いときに故郷を出た、芭蕉も部屋住みだったそうだ。 俳句を読みながら食べるというより、食べるために必死だったようだ。 さて去来は・・・。
後藤象二郎宅の跡を見つけ、何となく歴史の一端に触れたように思われるから、史跡巡りも面白い。
時刻は五時をまわっている、西国の夕刻は遅い。 そろそろ空腹を覚え始める。 市内路面電車が通る道へ下って長崎駅を通り抜けホテルへ。
途中小さな公園に陶器製の乗り物SLを見つけたりうクン・・・、「遅くなるよ、帰ろう!」なかなか言うことを聞いてくれない。
夕食は夜景を見ながら・・・
そもそもこの旅行はママの観光応募からはじまった。 みごと一泊食事つきに当選だという。 せっかくだから?、ついでだから? ハウステンボスに一泊のあとはこのホテルに連泊したあと小倉のホテルに一泊とあいなった。
デザートを・・・
そんなこととはつい知らず、りうクンはエレベーターに乗って15階のレストランへ。 そしてお子様ランチを。まあ、あまり好みでないかもしれないデザートも・・・。
かくいう私はこういうレストランのコース料理や会席料理は苦手なのだ。 というのは持病用の「XXX錠」という食前に服用
する薬は食べ物が入力されるのを前提にしている。 チビチビと出てくる料理にはどう対応していいか分からない。
映画ゴッドファーザーⅢでアル・パチーノ演じるマイケル・コルレオーネがその症状を起こし神父に助けを求めるシーンは強くまぶたに焼き付いている。
しばらく経つと何事もなかったように夜景を見ながらワインを楽しむ。 りうクンもママもそれなりに楽しんだのかもしれない。 そしてりうクンはあくびを抑えきれなくなってきた。
<以下次号>