ウオーキング
07. 5. 28
ウオーキング(小貝川フラワーカナル)
<東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
日時:5月 21日(月)10時30分~14時30分
コース:常磐線取手駅⇒(バス)山王局前→山王神社→二三成(ふみなり)橋→第5~第2の花園→手作り郷土賞受賞記念碑(昼食)→花のメルヘン広場→小貝川橋→藤代駅(約7km)
久しぶりの参加
取手駅前 特急ひたちの最後尾が見える
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4月終盤は2回、5月に入って体調を崩し3回を不参加だった。
前回の5月16日はそのつもりで前夜から準備していたが目覚めるとその気になれず取りやめ。というわけで久しぶりの参加となった。
この日の集合は9時に上野駅。5時過ぎに起床し7時過ぎに家を出た。
最近はこんなに早く家を出ることはなくなった。
この時間帯の電車はそれほど混んでいなかった。しかし新宿駅に近づくと駅の手前で信号待ちと称して停車する回数が多くなった。毎日このように遅れるのかこの日だけなのか分からない。
JR新宿駅のホームに立って到着した電車からはじき出される人、乗り込む人、人。
先日TVで東京と地方の問題を取り上げていたのを思い出しながら、ホントに何でこんなに集まるのだろうかと思う。
上野へ行くのをやめて取手へ直行しようと、日暮里で常磐線に乗り換える。上野出発9:17分、取手着9:58分着のペースより遅い。バスの出発が10:30分となっているがそれには間に合うだろう。
関東鉄道・常総線
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私は取手に10時10分少し前に着いた。改札を出るとリュックを背負った人のグループが見える。
私ともうひとかたが現地集合となった、あわせて51名だそうだ。
小貝川を目指し・・・
守谷駅行きのバスに
51名の団体さんが乗り込んだので超満員である。一般の乗客も数人が乗っている。
発車まで30分近い間がある、座っているウオーカーのおばさんと話をする。その方はお話の内容から小田急線の沿線にお住まいのようである。30分も待つことはないとおっしゃる。
私は「なんせ東京の西のはずれからですから、ここまで2時間半以上かかりました」と。
千葉県の東京寄りに住んでいるMさんがおっしゃるには「私が奥多摩に行くようなもんですよ」
ナルホド!!
山王神社
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ここ取手駅から私鉄の関東鉄道の常総線というのが走っている。
・・・・JR東日本だって民営化されたのだから”私鉄”のはずだから、JR以外を私鉄とわざわざ言わなくてもいいはずだが・・・。
その路線名の常総とは常陸と下総をつないでいるという意味だろう。はて取手は茨城県であり=常陸だと思っていた。後で調べてみると取手あたりは下総の国だった。
下総と常陸の旧国境は今日歩く小貝川のようだ、下妻の南で西に入り込み結城、古河を含めて南下しているようだ。
埼玉県の岩槻あたりは武蔵国である。ついでに国境のことを記す、おそらく旧国境は時代によって移動したようである。
学校で使う高等地図によれば旧国境は茨城・埼玉の県境、千葉・埼玉の県境と同じところである。
江戸時代以前では栗橋は下総国に属していたらしい。
旧国境は川にそっていたようで、古利根川あたりを南下していたと思う。
ある資料には隅田川が旧国境だったと記されていた。
というわけで常総線は常陸の下館と下総の取手をつないでいる路線なのだ。ナットク。
小貝川とフラワーカナル
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実はあとで小貝川の堤防を歩きながら、この川がどこに流れて行くのか2、3人の方とワイワイやったのである。
知らない土地のことには新たな興味心をそそられる。
バスを下車する山王局前に着いた。街並みには田舎町らしい大きな屋敷が並んでいる。
フラワーカナル
フラワーカナル・・・、カナルとは運河という意味らしい。すると”お花の運河”ということになる。
バスの進行方向に歩く、道路標識に「直進6km藤代、右折3km国道6号、左折谷田部14km」と記されている。今日のゴールは藤代であるから少なくとも6kmは歩くことになる。交差点を左折しまもなく山王神社というそれほど大きくない社があった。入り口に石祠が並んで祀られている。
「北三夜供養塔」、「琴平大神」と刻まれているのが読める。
神社の横を抜け堤防をかけあがると河川敷に赤い花が群生しているのが見えた。ここがフラワーカナルらしい。
一面ポピーの赤い運河
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ウオーキングの案内には”かって氾濫を繰り返し暴れ川と言われた小貝川は花の運河に生まれ変わり、春はポピー秋はコスモスに覆われる”と記されている。
コンクリートで舗装されて堤防は遊歩道、サイクリングロードになっている。
河川敷に降りてはなのそばに行ってみる。
真っ赤、よく見るとピンク、オレンジ色もあるが一面赤い帯がつづく。
赤いポピーのカナルはみごとと言うほかない。しばらく歩くと赤い帯が途切れるがまた現れる。
県道取手つくば線が小貝川に架かる二三成(ふみなり)橋から藤代町までの河川敷には、このようにところどころ花が植栽されている。案内板にはXX町子ども育成会、XXX町老人会などと記されている。
堤防の斜面にところどころに赤いポピーが咲いている。種子が風に飛ばされたのであろうか。
田植えを待つ水田のなかに石塔が・・・
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河川敷のなかの遊歩道わきに石祠がポツンと立っていた。こんなところにあるのかと思いながら覗いてみると水天宮の文字が刻まれている。昔の人は度重なる川の氾濫から水田を守ろうとしたのであろうか。
堤防に上がってみると、田植えを終えた田んぼやこれからというのもあった。田んぼの真ん中に石塔が立っていた。水天に関するものかもしれない。
水田は河川敷と同じくらいの高さである、今のような立派な堤防がなければたびたび洪水に見舞われていたのかもしれない。
時刻は12時近くになっている、まもなくスポーツセンターなどが広がる施設にやってきた。体育館やフィールド、野球場などに囲まれて小高い丘になっている。その丘の上に日時計が作られていた。
皆さんはそれぞれグループをつくって木陰に座りはじめた。私は丘の上に上がって日時計を眺める、日時計の回りには石柱が円を描いて立てられている。
今日は陽射しが強い、日時計の影はもう12時を過ぎていた。
ウオーカーの男性がやってきた、その方は今回が初参加とのこと。
昼からもポピーを・・・
丘の上の日時計
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体育館のかげに座っているFさんと話しながらコンビニのオニギリを頬張る。
Fさんは私と同じ会社にいたそうである、ただ20歳年長なのであっていたかどうかわからない。このウオーキングには杖をつきながらも毎回参加されているようである。
そこへ初参加の男性がやってきた、Fさんと私は向うの丘に登っていく最年長のUさんの姿を見つけその男性に教えてあげる。「昨年、米寿の祝をやったんだって、山のときも参加している」と。
午後1時に午後の部がスタート、小貝川の畔に沿ってポピーを見ながら川下へ下る。
Tさん、Mさんと川の流れはどちらに向いているのだろうか、流れる先はどこだろうかと議論しはじめた。
私はケータイで検索してみる、利根川に合流すると記されていた。利根川は取手に来る時に渡ったのだから小貝川が南東に流れるのはおかしいと言う意見がでた。
私は流れは歩みの方向つまり南東だと思っていたが、川の水面に立つさざなみが北西の方を向いている、川の流れもそちらのようでもある。川の傾斜が少ないので水の動きが少ないのであろう。
ご婦人のウオーカーが「この川は運河なんですか?」むかし氾濫したことがあるというから運河ではないだろう。
そう答えながら一定の川幅といい、流れが少ないことから輸送船が往来していたかもしれないと思った。
ワイワイガヤガヤ話しながらのウオーキングは楽しいものである。
犬と散歩をしている婦人に尋ねる。しかし結果に納得しない人もいる。
残念だが納得させるだけの説明が出来るほど情報を持っていない。小貝川は鬼怒川と並んで東の方を流れ、鬼怒川
の方が先に利根川に合流している。
江戸時代は利根川の流れは東京湾に注いでいて、このあたりの利根川は常陸川と呼ばれていたそうである。
なかなか面白そうである・・・
反省会は・・・
14時過ぎに藤代駅に着いた。取手駅で下車して反省会だそうである。
反省する人は手馴れたものである、駅ビルの中の方角を熟知し「あっち、あっち」。
今日は9人、楽しいおしゃべりの1時間半が過ぎた。
3人が反省が足りなかったと北千住で下車した。私は”もう充分反省しました”とUさん,Iさんと一緒に帰った。
阿無法比。 (I’m happy)