オーキング
07. 7. 23
ウオーキング(旧国境の川を歩く) <東年協/健歩クラブ・イベント>
日時:7月  21日(土)10時20分~14時20分
コース:小田急・町田駅→町田天満宮→青空広場→境川→西田スポーツ広場→定方寺公園→(熊野神社)→鶴間公園(昼食)→観音寺→五貫目道祖神→(圓成寺)→銀河歩道橋→グランベリーモール→田園都市線・南町田駅(約7.5km)

はじめに
昔は絹の道・・・町田街道
今回のタイトルは「旧国境(くにざかい)の川を・・・」とした、現在も旧国名はあちらこちらで目にすることがある。
相武台、武相四大・・・
明治維新後も旧国名が使われていた、今日のウオーキングは武蔵国と相模国を分けた境川、川の名前も国の境から名づけられたという、決して都県の境ではない。

7月に入って初めての”健歩クラブ”のウオーキングは3週間ぶりである。 私にとって自分で計画しなくてすむから助かる。
今日の集合は新宿:9時10分、小田急・町田駅:9時57分着。それにあわせて9時半ごろ町田に着くように準備した。
多摩センターから各駅停車に乗車するつもりだったが、早めの多摩急行に乗ることが出来た。各駅停車でいいのに・・・。
町田駅に9時20分ごろに着いた。エスカレーターを下っていると女性ウオーカーのOhさんの姿が見えた。、
今日のリーダーのMqさんに参加の手続きをする、東口を出たところに広場がありそこが集合場所と教えてくれた。

スタートは町田駅・・・
町田街道を歩く・・・
東口を出たところに赤いレンガを敷いた広場があった。
広場にはコンクリート製だがベンチも備え付けられている、ベンチの脚はちょっと変わっていて獅子の顔をしている。
通りに面したところにクスノキだろうか数本の木が並んでいた、私はその木に下のベンチに腰を下ろした。

どんよりした天気だが時おりさす日差しが痛みさえ感じるようにきつい。見上げ木陰であることをあらためて確認する。
広場のベンチには若者も座っていれば、片隅ではすでに飲み干したコップを置いている高年の男がいる。

道路に面した方に「絹之道」と彫られた石碑が立っている、側面にそれぞれ此方よこはま、此方はちお丶じと記されている。
通りは町田街道である、そうか絹の輸送は町田街道を通っていたのかとあらためて街道を見まわす。

まだわがクラブのウオーカーたちは見えていない。
目の前のベンチにリュックを背負った高年の方ふたりが座った、仲間かなと思って軽く会釈をするが反応が違う。手には三脚を持っている。話の内容から写真クラブに属し、講師の批評が厳しいと言っているようだ。

やがて、見覚えのある顔が続々とやってきた。
10時過ぎに集合、本日は36名。天候のせいかいくぶん少ないような気もする。
やがてリーダーに連なって町田街道を横浜の方へ向かって歩き始める。

まずは町田天満宮
狛犬は年代もの・・・ <町田天満宮>
町田街道には新しいショップや昔風の海鮮乾物を並べた店が混在している。こんなものを買う人がいるのか、商売になるのかと思うが、人が多いということはそれだけでも活力なのだろう。

大きな交差点をまがり横浜線に架かる歩道橋をわたる、町田天満宮が目の前に見えてきた。
説明板から引用しよう。
菅原道真公を主祭神に日枝社、飯綱社を併せ奉斎し天正年間にこの地に鎮座した。
菅原神社、南大谷天神とともに町田三天神の一社だそうだ。
併祭神の大山昨命は大津市坂本の日吉神社を総本社として、東京では赤坂日枝神社があり、山王様と呼ばれている。もうひとつ併祭神は宇加能御魂神は五穀の神として飯綱様と呼ばれ長野県飯綱山に本社がある。

天正年間といえば室町幕府が滅び、秀吉が天下統一し、そして18年には家康が江戸城に入府した。
これにあわせて関東地方が開発されていったのだろうが、この神社も地域の守り神の役目をになったのかもしれない。
境内参道にはお牛様、なで牛、狛犬が並んで迎えてくれる。
ここにも数体の狛犬が並んでいる。最近の狛犬は顔立ちがハッキリしているが、この面構えはかなり年代物と思う。制作年は台座の表面が崩れていて見えなかった。
境川について説明
境内の端には稲荷神社や地神塔などの石塔が並べられている。眺める間もなく出発の時間となった。

青空広場から境川へ
住宅の間の道路を抜け、まわりには中層の住宅に囲まれた広場に着いた。青空広場というらしいこの地の一角に公衆トイレの建物が見える。壁の一部がブルーシートで覆われている。その向うに4階建てのアパートが見える。
3ヶ月前ここで発砲事件があったという。
アパートに立てこもった男が発砲し、その銃弾痕が公衆トイレに残っているらしい。そのためにブルーシートで覆われているようだ。
このあと愛知の方でも立てこもり発砲事件があった。都内の東の方から来たウオーカーにとっては遠い場所での出来事だったようだ。

発砲事件現場からしばらく歩むと境川が見えてきた。
現在は都県境のシンボルとなっているようだ、川幅は20mにもみたないようだが、狭い川の向こうは神奈川県である。
境川畔の遊歩道
しかし地図を見ると都県境はこの境川を縫うように出入りしている。旧河川によって境が決められたらしい。川のこちら岸の住宅にも神奈川県相模原市と表示されている。
岸は両側ともコンクリート板が積み重ねられているが、川底に堆積した土砂に草木が生い茂っている。

リーダーのMqさんが旧河川の跡も案内してくれる。左へ右へ行ったり来たりしながら進む。
民家や公園に咲いている花を見るのも楽しみのひとつである。
緑地にはオニユリが、垣根にはムクゲが、白い花・名前を教えてもらったが記憶から消えてしまった。
団地の垣根に大きな赤い色のツバキの実がみのっていた。

道路の向うにこんもりとした森がある、その森への扉のように見える鳥居には天満宮の額がかけられている。
少々興味をそそられるが、道路は車の往来もあり、だいいち列を乱すことは出来ない。おそらく金森天神社であろう。
鶴金橋の交差点を進みふたたび境川の遊歩道へ出た。
遠く川下の方に家具屋の広告塔が見える、その近くに国道16号が走っている。

武蔵国鶴間と・・・
西田スポーツ広場、定方寺公園、(熊野神社)
野球場などがある西田スポーツ広場の近くでひと休み。
この西田スポーツ広場のあたりまでの対岸は相模原市だが、ここから下流の対岸は大和市である。 地図を見ると境界線が入り組んでなく川に沿った曲線である。おそらく河川の護岸工事をしたあと境界線を見直したのかもしれない。
おもしろい。

またまた川から離れ住宅街を通り、小ぎれいな定方寺公園に着いた。定方寺というお寺は町田市にはなく対岸の鶴間橋を渡ったところにある。なぜ離れてしまったのか興味の虫がうずきはじめる。
時刻は12時を回ってしまった、皆さんここで昼食かと腰をおろし始めた。
昼食は手洗いの設備がある鶴間公園までお預けだ。

街中の道を歩いていると向こう側に熊野神社の案内がたっている。そこには武蔵国・鶴間と記されている。
時間の都合でここはパスすることになった。残念!

鶴間公園
鶴間公園に到着
まもなく幹線道路国道16号(大和バイパス)に出て信号待ちとなった、少し遠回りすれば歩道橋があり待たずにすむ。昼食前で階段を登るエネルギーはなくなってしまった。

東急・田園都市線のガードをくぐれば広大な鶴間公園である、うっそうとした森や野球場、テニスコートなども備わっている。
草むらに座って食事をとりはじめるひと、森の中へベンチを探しに行く人たち。私も日差しを避けて森のなかへ入っていった。
朝の雨のせいかベンチは少し湿っている。

いつものオニギリがなくなってしまうと、森の中を歩いて乾いたベンチを探す。 敷物の上に寝そべって木々の梢を見ていると少々睡魔に見舞われてきた。
近くで幼い子供をあやしている若いお母さんの声が、ところどころ耳から入ってくる。 「おうちへ帰ってゴハンたべヨー」・・・。
このまま眠れたら至福と言うほかない。13時15分、集合まで5分だ。

午後はふたたび境川を下る、途中に河川標識が立っている、河川の管理事務所の境界線を示すものらしい。つまり東京都と神奈川県との境でもあり境川の東岸も横浜市となる。

観音寺・五貫目道祖神
横浜市 目黒交差点
もう少し歩いて 国道16号(八王子街道)と国道246号の交差点近くにある山号を鶴間山という観音寺に入る。境内には樹齢何百年だろうか幹周り4mくらいのイチョウの大木に圧倒される。

八王子街道に沿って国道246号との交差点に達した。ここは横浜市瀬谷区、246のガード下の信号には目黒と表示されている。
近くに目黒町があるという、その北には五貫目町。初めて歩きはじめて耳にする町名である。

その五貫目町に五貫目道祖神が国道沿いに立っていた。
表面は風化して素人が短時間に読み取るのは難しい。
説明には、この道祖神には安政三年丙辰八月と記されている、旧国道246の鶴瀬橋近くにあったが平成4年に大和厚木バイパス開通にともない現在地に移されたという。

大和厚木バイパスの歩道を東に向かって緩やかな坂を上がる。ふたたび町田市に入りやがてバイパスを跨ぐ銀河歩道という名の歩道橋が見えてきた。
歩道橋を渡って下ったところに日本最初の鋳鉄製水道管が青空展示されていた。
カルフールという店舗の脇を通って、いよいよ最後のポイントであるグランべりモールに着いた。

グランベリーモールで反省会
潤って口も滑らか・・・
グランベリーモールは 東急田園都市線・南町田駅のまわりにつくられた一大ショッピングゾーンだという。
アウトレット、シネマ、グルメ、何でも揃っている。ゾーン内のインフォーメーションから広告などすべて外国語で書かれている。
チャイルドを連れたヤング・ペアレンツが・・・、思わず書き方も合わせなければと思った。
私はちょっとめまいを起こしそうになる。

コースの事前下見をしたリーダーのSさん、Mqさんが反省会の場所をおしゃれなグルメショップに確保されていた。
男性14名に女性もアルコール抜きで参加されていた。
私はUさん、Iさんの間に腰を下ろした、どなたかが「今日はUさんの89回目の誕生日です」と紹介する。
みんなが拍手。
Uさん「このあと、家内と食事に行きます」

5時過ぎに溝の口で反省会の反省会、私も久しぶりにマイクを握った。
阿無法比。  (I’m happy)


ウオーキング