オーキング
07. 8. 20
ウオーキング(佐倉・歴史館と朝顔) <東年協/健歩クラブ・イベント>
日時:8月  14日(火)10時30分~14時
コース:JR・錦糸町駅⇒佐倉駅→鏑木小路・武家屋敷→ひよどり坂→麻賀多神社→くらしの植物苑→姥が池(昼食)・佐倉連隊訓練用12階段→国立歴史民族博物館→京成佐倉駅駅(約4.5km)

集合は錦糸町駅ホーム
お盆で人が少ない? 佐倉駅前
いつもながらスケジュール表を手にしたとき、”ここは遠いナァ”とか、”朝の通勤時間帯をどうやって行こうか”などと思う。
このスケジュール表を見たときも、佐倉は遠い!、集合場所が錦糸町!、でも歴史民族博物館は行って見たい・・・、しかも真夏の8月14日。
プラスマイナス、気持ちが揺れている。
13日の夕刊に「お盆休みでガラガラの東京駅前」の写真が出ていた。
14日も通勤時間帯とはいえ、もしかして空いているかも。

朝7時52分、もう通勤時間帯は過ぎているのかもしれない。半ズボンに半袖のシャツ、リュックを背負って電車に乗る。
一瞬、数人の乗客の視線を感じた、お勤めの人にとって”遊びに出かける奴は・・・”なのかも知れない。そんな感じだった。
久しぶりに都心方向に出かける。入り口の近くでつり革に掴まっていると端に座っているオッちゃんがあたりをキョロキョロ見ている。そろそろ降りるのかなぁ。
東府中で、座席を確保できた、まぁ何とラッキーなことか。

”彫刻通り”を歩く・・・
新宿のJRへの乗換通路も立ち止まることなく歩ける。やはりお盆休みなのだぁ。
中央線快速でも座れた、いつもこうありたいもの。
御茶ノ水で乗換え、9時ごろ錦糸町駅着。隣の快速ホームにはもうだいぶ集まっている。

快速エアポート成田で佐倉へ・・・
真夏の猛暑が続く中のウオーキング、いわゆる熱中症に注意が必要だ。しかもこのクラブ高齢の方が多い。
私は、万一ということもありうるのではと心配していた。
集まった参加者は40名。まぁ、このクソ暑いのに・・・。
伺うとどなたも「家に居ても暑いから・・・」と言う返事。

9時28分の成田空港行きの快速に乗った、車内の座席はほぼ埋めつくされている。最高齢のUさんは席があったようだ。
武家屋敷の方角へ
私は都内に住んでいらっしゃるが高尾山によく出かけると伺っていたOさんと立ち話をはじめた。
先週も景信山へ出かけたと言う。朝一番の電車に乗って出かけたが、高尾からのバスの始発はずっと後だったとか・・・。
一度歩きましょうとおっしゃる。

話が弾んでいるうちに千葉駅に着いた、乗客が入れ替わりお蔭で座ることが出来た。
総武本線にはいると沿線の風景がガラリとかわる。山あいに田んぼが広がっている。
いわゆる田舎の景色だが、眺めているとなんとなく心が安らいでくる。

さて佐倉についてだが、私は40年前になるが2年位のあいだ、その先の鹿島によく出張した。
その佐倉を通り、佐原で下車しバスに1時間ほどゆられ、牛堀、潮来などを通って行った。
出張先は鹿島の街からタクシーで20分ほど砂丘の上にあった。
当時は鉄道もなかった、鹿島町も鹿嶋市と、潮来も市になっている。40年も経てばいろんなことが変わる。
武家屋敷の通り
25歳の頃が思い出された。

薬師坂を登り武家屋敷、ひよどり坂を下って・・
JR佐倉駅は駅前に中層マンションが建っているがそれ以外高い建物はない。
空が広く感じられる。
今日の空は雲もいくぶん浮かんでいて少しは日影をつくってくれるかもしれない。

ほとんど人通りのない駅前の通りを真っ直ぐ北の方角に進む。通りにはところどころ女性像の彫刻が建っている、ここは彫刻通りと名づけられているようだ。
”まぁ、ひとつの彫刻の街といったところでしょうか”。
たしかこの街は長島さんの出身地だったと思う。

雲が多少出ているとはいえ暑さは変わらない、私は折畳傘を広げる。
今日のリーダーは女性のSさん、歩行距離も短めに設定してあると話されていた。
真夏は短い方がいい、そしてチョクチョク休憩し、水分タイムが必要だ。

ひよどり坂を下る
今日唯一の上り坂だそうだ、鏑木町の木々に覆われた薬師坂を登る。そして坂の前後で休憩。
坂を上りきった所を曲がると武家屋敷の通りがあった。
かやぶき屋根の「旧XX家住居」、石標が立っている。このような武家屋敷が数軒あるようだ。
やがて道の行き止まり、竹林に覆われたひよどり坂を下る。昼間でも薄暗い、女性の一人歩きは・・・、いや男だってか細い者は避けたほうがいいかもしれない。

道端には朽ちた竹の皮が敷き詰められていて、なんとも言いようのない日影の臭いがする。
坂を下ったところでひと休み。

今下ってきた坂道を右に見ながら木々の影を歩く。見上げると淡紅色のムクゲが数輪ちりばめられている。
住宅の間の狭い路地をいくたびか曲がり麻賀多神社へ向う。

麻賀多神社・・・
麻賀多(まかた)神社
神社は鏑木町という地区にあった。広大な緑に覆われた境内は涼を求めるには最適である。
緑陰の風が足もとを心地よく流れる。
麻賀多神社の略記には概ねこう書かれている。

祭神は稚産霊命 (わかむすびのみこと)
「稚」は若い、「産霊」は形成するの意、若いものを育てあげるという神徳を表している。
人・作物・事業等の生成、発展を加護する神で、お稲荷様の親神にあたる。
由緒
麻賀多という社名は、1050年ほど前の「延喜式」の下総の項に名前が記載されている。
佐倉の総鎮守産土さまで、昔から崇敬されてきた。
徳川時代は佐倉城の大手門近くに位置しているので歴代の城主、家臣もあがめた。
現在の社殿は天保14年藩主堀田正睦が再建、境内正面の石垣は明治初年最後の藩主正倫が奉納したもの

拝殿のすぐ後ろに巨木が立っている。
境内には市の保蔵木に選定されている。
いちょう、しい、それぞれ樹齢800年、300年だそうだ。
境内をでて西に向う、途中、丸型の郵便ポストが見えた。 古い町並みには古いものがあってよく似合う。

くらしの植物苑で伝統の朝顔を
これが「変化朝顔」でしょうか
ふたたび宮小路町にもどり比較的広い道路を西に向う。
佐倉中学校あたりの道路には大手門があったそうだが、これから先が城内なのだろう。
西の空には入道雲が沸き立っている、すこしの日影を求めて道の南側を歩いている人もいる。
しばらく歩くと「くらしの植物苑」の入り口にたどり着く。ここは国立歴史民族博物館の施設になっている。団体入場料50円(一般100円)は今朝徴収済みである。

今の時期「江戸を咲かす・伝統の朝顔」展が開催(7/24~9/2)されている。ついでに記すと4月頃は「伝統の桜草」。11月頃:「伝統の古典菊」、12月から1月にかけて「冬の華・サザンカ」が計画されている。

園内には、大輪、小輪、いろんな色彩の朝顔が展示されている。植栽にあまり関心がない私でも興味をそそられ見てまわり、その彩に暑さを忘れてしまう。
変化朝顔を江戸時代後期にブームとなったそうだ、大輪は明治以降に盛んに栽培されたという。
無弁花(がくだけ)の朝顔は2005年に歴史民族博物館で発見されたそうだ、写真の朝顔には「無弁花牡丹・青/並葉・紅紫/切先牡丹」と記されていたようだが、紫色のは花弁ではないのだろうか。なぜ牡丹というのだろうか。

苑内には温室や花壇もあり、瓢箪なども植栽されていた。

佐倉城址公園・姥が池畔で昼食
このあたりは城内町と呼ばれているが、佐倉城の中心に近づいたようだ。林に入り坂を下ると空掘の跡がある。
空掘ということは山城ということになるのだろうか、先ほど歩いた武家屋敷あたりから少し高台になっているようだ。

坂を下ったところに姥が池があり、池の湖面を睡蓮が埋めつくしところどころ白い花が見える。昔は杜若の名所だったとか。
姥が家老の娘を池に落としたことを悔い身を投じたことからその名が付いたという。
池の中からときどき「ボウ、ボウ」というカエルの鳴声が聞こえてくる。
池の畔の木々の下で腰を下ろして昼食タイムとなる。

このあたりは池を中心に盆地のようになって、真ん中に遊歩道がつくられている。南の方にコンクリート製の奇妙な建造物が見えた。
幅2mくらいの12段の階段で頂上は奥行き1mくらい。遊具にしては手すりもない。
旧陸軍の訓練施設だったらしい。階段を駆け上がった兵士は向こう側に飛び降りたのだそうだ。戦後はコンクリート製のため壊すのが大変で、そのまま残ったらしい。
昭和戦争の頃、暑いさなか重装備した兵士が上官の”進め”の号令で駆け上っていたのだろうか。

国立歴史民族博物館へ入る
私も、ものは試しとその階段を登ってみた。階段の上り幅は狭く上には手すりもない、もし幼い子供が登って落下したら、市は今新聞を賑わしているモンスター・ペアレンツにクレームを受けるかもしれないと思った。

国立民族歴史博物館
午後姥が池の近くに集合し点呼をとられる。
池の畔を周って少し高台にある東屋の脇を通って本丸跡に行った。本丸跡は何もなく芝生の広場だった。
二の門跡、一の門跡などを通って、馬出し空掘の近くに国立歴史民族博物館の入り口があった。
この博物館は大学共同利用機関法人・人間文化研究機構が運営し20年になるらしい。
素直でない私はなぜ「民族」という文字が入っていなければならないのか官僚の縄張りを考えてしまう。こういうのは短い単純な方がいい。
英語ではNational Museum Japanese Historyとなっている。

私は一度は訪ねてみたいと思っていたが何せ遠いのがその気持ちを萎えさせていた。
博物館は主に五つの展示室がある。
第1展示室:旧石器時代から奈良時代
第2展示室:平安時代から安土桃山時代
第3展示室:リニューアル中だが、江戸時代
第4展示室:日本人の民族世界、生活空間、生活様式
第5展示室:19世紀後半から1920年代まで

今日の見学時間は1時間程度、取りあえず旧石器時代から見はじめた。
中学生らしい少年たちが若い先生に引率され、さかんにメモを取っている。
縄文人の姿を模した人形もある。
断面が見られる箸墓の模型も展示されている。
魏志の倭人伝には邪馬台国の卑弥呼の墓は径百余歩と記され、それほど大きい墓は見つかっておらず 、この箸墓がそれではないかといわれているそうだ。
展示品はなかなか興味がつきない。
しかし余りに短時間に見ていると”消化不良”を起こしてしまう。もういいやという気分になった。
いつの日かじっくり見学できたらいいなぁと思った。

反省会はファミレスで
歴史民族博物館を出て京成佐倉駅へ向い解散。
反省会と称し女性を含め10数名がもとの道を戻りファミレスに入った。
三つのテーブルに別れそれぞれワイワイガヤガヤ。
ファミレスだからか、アルコールは余り置いてないようだ。すぐ売切れてしまった。

4時3分、京成佐倉駅を出発。私は世田谷にお住まいのIさんと本八幡駅で乗換え橋本行きに乗った。
都営地下鉄区間は各駅に停車、京王線に入ると急行に変身。我が家には18時半に到着。
2時間半の乗車は長かった。


ウオーキング