オーキング
07. 11.  12
ウオーキング(史跡めぐり/鎌倉) <東年協/健歩クラブ・イベント>
日時:11月  7日(水)10時~15時
コース:鎌倉駅→銭洗弁天→源氏山公園(昼食)→葛原岡神社→史跡亀が谷坂→岩舟地蔵→海蔵寺→鎌倉駅(約5.5km)
(予定にあった浄智寺はパス)本日の参加者45名
はじめに
私は鎌倉の史跡めぐりは2回目の参加である。史跡を見るのは好きであるが、遠方ではなかなかひとりで行こうという気になれない。参加を強制されれば出かける。

我が住まいから比較的近いところの多摩丘陵にも古の鎌倉街道山ノ道、鎌倉街道早ノ道、鎌倉道古代官道、軍事戦略鎌倉道などが走っていたらしい。
現在の鎌倉街道もあり鎌倉とは縁が深いようだ。

8時過ぎに家を出て1時間40分くらいで鎌倉駅に着いた。
横須賀線の車窓から見えた風景から鎌倉は三方を山に囲まれた天然の要害だったとあらためて思った。

銭洗弁天

鎌倉市役所で説明:ここに昔も役所があった。
御成隋道をくぐり法務局の事務所近くから右折し狭い道に入る。
狭い道を、小学生の列も一緒になる。
登り坂の手前でひと休み。やがて着いたところは銭洗弁天。
岩のトンネルと木製のならんだ鳥居をくぐる。
七福神社、上之水神宮、下之水神宮・・・

源氏山公園

銭洗弁天からふたたび急坂を登る、源氏山公園に着く。
頼朝さんが迎えてくれここで昼食だが、時刻は11時15分、山頂まで行くことになった。
山頂には「七福尊神」と刻まれた小さな石祠が立っていた。

頼朝像のある広場で昼食をとる。
小学生のむれ、中学生のむれ 思い思いにお弁当を食べている。

日野俊基卿墓

葛原岡神社の少し南に日野俊基卿の墓がある。
この人は後醍醐天皇に仕え、文章博士だったという。
倒幕を計り、発覚後この地で亡くなったそうだ。

墓前には生花が供えられ600年以上も昔の人ではないように思える。

葛原岡神社 (くずはらおかじんじゃ)

神社名に「が」は入らないそうだ。
この地は葛原が岡(くずはらがおか)という。
祭神は日野俊基卿。平成18年に12月に遷宮したそうだ。ウオーカーの中には詳しい人がいて、檜の香りがすばらしいと言っていた。
南側に「十月桜」が輝いていた。

魔去ル石

葛原岡神社の鳥居の前に「魔去ル石」があった。
魔が去るように願いを込め盃をこの石に当てて幸せを勝ち取りましょう
「魔が去る」転じて「勝(まさる)」。初穂料 一枚 百円

何の変哲もない石のようだが、実は・・・

亀が谷(かめがやつ)坂

”かめがや”ではなく最後に”つ”がくっ付くらしい。鎌倉の谷は”やつ”と表音するようだ。
鎌倉七切通のひとつ。
広辞苑にもそのように記述されている。

写真は切通しの峠あたりで見上げたところ。
車は通れないが、バイクが盛んに往来している。近道なのだろう。

岩舟地蔵堂

頼朝の娘の大姫を供養する地蔵堂との言い伝えがある。
舟形の岩座の上に立っていることから、そう呼ばれるようになったとか。

現代人たちが 扉の隙間から覗いている。

海蔵寺

臨済宗の古刹 山号「扇谷山」。 
扇谷上杉氏の保護を受けて栄えたが、後に建長寺派となったそうだ。

門前右の道端に「底脱の井」がある。

十六の井

海蔵寺の境内に岩窟がある、
その一角に弘法大師が掘ったといわれている16の丸穴は水をたたえている。
中は暗くて16個を数えられなかった。 (有料)


海蔵寺から今上ってきた道を戻り、横須賀線をくぐり岩船地蔵堂から南へ向かう。
途中左折し小町通の手前の公園で解散。私は小町通の人ごみを縫って鎌倉駅へ向かった。


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