田端文士村記念館
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大龍寺 (正岡子規)
田端駅北口の近くに田端文士村記念館がある。入館料無料 1階の展示を見て、資料を頂く。まぁ、こんなに多くの文士たちが住んでいたのか と。現代風に言えば、文化の発信基地であったのだろう。 記念館を出て、室生犀星の旧居跡と説明版が立っている5丁目5番地を通る。 犀星は田端に転入したあとも田端内を数回転居したという。地図には5ヶ所に犀星の名があった。 狭い道をいくたびか折れ曲がり、八幡神社のとなりに正岡子規の墓所がある大龍寺に着いた。 |
優雅な景色を眺めながら昼食を・・・<六義園>
街中の小さな公園で休憩。 本郷通りへ出て、駒込駅の方へ向かう。 六義園の染井門から入園、広い園内は自由行動、昼食時間である。 私「どこにしましょうか」 Mさん「どこで食べたって、同じだよ。コンビニのおにぎりは・・・」 私「今日はお箸で食べるんですよ、わたくし・・・」 渡月橋を通って島に渡り、対岸の妹山を見ながら食事・・・。 食後は広い園内をぐるりとまわる。 |
妙義神社
染井門に集まる。 ふたたび、本郷通りを進んで駒込橋をわたる。 通りから、狭い道に入るとまもなく妙義神社。 、 高御産霊神、日本武尊、神功皇后、応神天皇が祀られている。 白雉2年(651)に白鳥社と号したこの神社は区内最古だそうだ。 境内はそれほど広くない、都内ではあまりり広く取れないのだろうか。 階段を登りたくない方もいるようだ。「また下りてくるならここで待っている!!」 ここで小休止。 お隣には中央聖書神学校、いろいろな神を受け入れる日本。 |
染井神社から染井霊園へ
神学校をぐるりとまわる、西福寺と染井神社が並んでいる。 西福寺には、「染井吉野の里」の石碑が立っている。 この地がソメイヨシノの発祥の地だそうだ、山桜と異なることがわかり1900年に命名されたという。 西福寺のお隣に染井神社がある。 少し離れて染井霊園、ここには二葉亭四迷(長谷川辰之助)、岡倉天心、高村光雲のお墓がある。 この都営の霊園は最も規模が小さいらしい。しかし道は狭く車時代以前に作られたことを思い起こさせる。 |
芥川龍之介 (慈眼寺)
霊園の少し西に慈眼寺というお寺があり、芥川龍之介のほか、日本最初の銅版画の司馬江漢、吉良方の上杉家の臣・小林平八郎の墓がある。 龍之介の低い墓石は意外に質素である。芥川家の墓と刻まれた墓石の隣におとなしく佇んでいた。 「金さんの墓は?」というご婦人がいた。 「誰が演じた金さんですか?」などと言いながら狭い墓所から抜け出す。 |
本妙寺 (遠山金四郎、千葉周作)
慈眼寺の脇の片側に民家がある道を通る。 ウオーカーのご婦人がおっしゃる。 「いくら有名な方のお墓かもしれないが家のそばでは・・・」 「お墓のところには高い建物は建てられないから、日当たりがいいかも・・・」 お隣のお寺、本妙寺の山門をくぐる。 ここの墓所もかなり古い墓石が多い。 文士とは異質だが、千葉周作、遠山金四郎のお墓がある。遠山景元から金四郎に改名したとか。お墓は東京都指定旧跡となっている。 どちらも江戸時代らしい風格が感じられる。 |
とげぬき地蔵
中央卸市場・豊島市場の横から白山通りへ出る。 「今日は高岩寺(とげぬき地蔵)に着いたら解散します」あとはご自由に・・・という心配り。 私は名前は聞いたことがあっても来たことはなかった。 「とげぬき」は病気治癒にご利益があるとか、高齢者ばかりではなく老若男女が参道を埋めつくしている。 山門の陰に立っていた托鉢僧の衣が輝いて見えた。 |
XXXちゃんの”原宿”
門前町は「おばあちゃんの原宿」と言われているそうだが、お店が並ぶ長い商店街には出入りする人が絶えない。 歳末の飾りつけも、買い物を両脇にかかえた人、暮れの風物詩だ。 はじめて来たのでJR巣鴨駅がどこだかわからない。 都営三田線の巣鴨駅の入り口が見えてきた、もうすぐだ。 |
ウオーキング
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