オーキング
08. 1. 2
お礼詣で(高幡不動・大国魂・谷保天)  
はじめに
  高幡不動尊の参道 
高幡不動尊の仁王門
  私は神社仏閣を見るのは好きな方であるが、人が込み合う時期は避けている。
初詣にはここのところ行ったことがない。
そこで暮れに”一年の感謝をこめて”お礼参り(詣で)することにしている。
いつやらの総理大臣のように、一年のうちでどこかで参拝すればいいと・・・。

高幡不動尊には12月24日、高尾山に行った帰りに寄った。
大国魂神社と谷保天満宮には12月27日に出かけた。

高幡不動
この日、相模湖から小仏峠を通り小仏城山、高尾山と歩いた。
かなりの距離を歩いたが帰りの電車ではあまり疲れを感じず居眠りもしなかった。
「お礼詣で」のことが気がかりになっていたからかもしれない、 高尾からの帰り高幡不動尊に寄ることはそれほど回り道ではない。

仁王門から入ると、元旦を迎える準備中であった、特大の賽銭箱が設置されていた。
境内には露店がこれからの書き入れどきの下準備という雰囲気でムコウハチマキのお兄さんが忙しそうに動き回っている。

私は不動堂の段を上がって今年一年の無事を謝した。
来年のことを祈願することはしない。最近、そんな欲張りなことは虫が良すぎると思うようになった。
今が無事であればそれでいい。

さてここから駅に戻ってモノレールに乗るのも面倒になってきた。川崎街道を歩いて高幡十字路で右折する。
高幡台団地への坂道を上り、湯沢の谷へ下る。百草団地への坂を上って竜が峰を通ってふたたび下る。
峠をふたつ越えた気分である。
ひと仕事終えたからだろうか帰宅した後も意外と疲労感はなかった。(高尾山を含めて26000歩。)

大国魂神社
  大国魂神社の参道
  大国魂神社の拝殿
昨26日は年賀状を出し、車の12ヶ月点検を終えた。ひとつづつ”仕事”をこなしていく。
27日のひる前、今年最後のお墓参りに出かける。お墓の中の住人も新しいお花があれば気持ちよく新年を迎えられるだろう。
1時過ぎに府中へ向かう、最寄り駅までバスで行けば10数分だがトレーニングのつもりで35分くらい歩く。

久々の府中市、欅並木通りへ出てみるが年の瀬のせわしさは感じられない。
ショッピングセンターの前の広場にはご年配の方があちらこちらにたむろしている。”嗚呼、高齢化社会だなぁ”と思いつつ通り過ぎるが、そういう方が目に付くのはホントに多くなったのか、はたまた自分がその年齢に達し、そう意識で見るから多く感じるのか。

旧甲州街道に立ってみる、行きかう車もそれほど多くない。大鳥居をくぐり大国魂神社の参道に入る。
ここを歩いている人も少ない。人々は忙しくまだ年末の気分に浸るほど暇じゃないのだろうか。
後日、コミュニティ・ラジオを聴いていると境内で鍋、釜、神棚など(昔の)生活用品を並べた年の瀬の”市”が開かれると言っていた。
現代は24時間、いつでも、ほしいものは手に入れることができる。

境内の随神門をくぐる、「お炊き上げの場所が変わった」という張り紙があった。
拝殿の前で”今年一年の感謝”をこめて手を合わせる。
30年前、我が家は府中の西の外れに住んでいた。そのときもこの大国魂神社にはたびたび訪れた。 年の瀬も・・・。
これから国立市谷保まで歩こう、ついでにその昔住んでいたあたりを通ってみようと思う。
先ほどの隋神門を出てすぐ左折し、府中街道を渡り南武線を越え鎌倉街道に出た。

新駅の建設!!
  この当たりに新駅か?・・・<府中5小>
鎌倉街道をしばらく歩く、分倍河原駅への道を渡る。
T電気会社のビルの横は広い空き地だったが、ショッピングモールを建設している。
分倍河原駅に近くには大型商業施設がないからいいのかもしれない。
この手のモールはあちらこちらに広大な空き地を見つけてつくられているが、雇用が生まれ消費が活発になり、モノが、カネが動くと言うことは経済にはいいことなのだろう。
しかし動きが活発すぎて、グローバルすぎて大切な足元のことも考え、取り返しのつかないことにならないようにしたいものだ。

~なんてことを考えながら歩いていると、光明橋という交差点に来た。
まっすぐ進めば、むかし勤務していた会社がある。
私は足を右に向け、南武線の踏切を渡る。
自転車に乗ったおばさんが来た、体をよけていると頭を下げて通り過ぎていった。
最近、避けてあげてもそれが当然といった顔をして通り過ぎるのもいる。いや”礼”を言うということを知らないのだろう。

八雲神社の手前で左折し住宅街の狭い折れ曲がった道に入る。
”この当たりに確か道があったはず”昔の記憶を辿りながら歩く。 アパートや住宅などは新しい装いをしているが道は狭いままだ。
南武線の下、本宿トンネルの北側の鎌倉街道が見えてきた。昔通り慣れた道を探したが見つからない。
この当たり一帯が区画整理されているようだ。線路のそばに道路がつくられつつあり、それに向かって直角の道が建設中である。
30年前に住んでいた借家を含め付近の家がなくなっていた。
そういえば南武線の新駅ができると聞いたことがあった。

谷保天満宮
  谷保天満宮の森に飛びあっがったサギ?
  谷保天満宮の拝殿
府中市西府町の住宅のなかの道路を西に向かう。
やがて南武線が甲州街道をくぐるあたりに出てきた。
一旦甲州街道に出て狭い歩道を西へ。この当たりの車道も車線の幅が狭い。
国立府中へのインターへ通ずる分岐点を越える。その道は昔、インターへだけつながっていたが現在はバイパスの機能を持っている。

冬の日暮れは早い、陽が林の下の方に点滅して見える。その林は谷保天満宮を包んだものだった。
この神社を訪れるのは一年に一度か二度、めったに来ることがない。
境内の参道には迎春の横断幕が張られている。もう新年を待つばかりのようだ。
このお宮は参道から崖を下ったところに鎮座している。昔は入り口は崖の下にあったそうだが、甲州街道が崖の上を走るようになったためこのような様相になったという。

白いサギのような大きな鳥が舞い上がり大木の枝に止まった。
谷保天満宮は菅原道真公を祭ったもの、大きな眷属の牛がピカピカと光っている。もう一体石で作られた眷属も控えている。
ここでも一年の無事を感謝しつつ手を合わせた。

これで仕事が終わった。
さて我が家に向かわなくてはならない、境内の南側に小川が流れている。
そこに狭い昔ながらの道が曲がり続いて見える。もしかしたら昔の甲州街道はここを通っていたのかもしれない。
田んぼのあぜ道のようなところを歩いていると先ほどのバイパスに出てきた。
かなり広いその道を横断し、一宮への道路に出た。
後はひたすら歩くだけである。

府中四谷橋を通って
  多摩川には水鳥が羽を休めて・・・
この道路は府中四谷橋というつり橋を通って日野市、さらに多摩市一ノ宮へ通じている。
この道路の右手に府中西高校がある。
40年前に府中西府に住んでいた頃、前の家に小学校の先生の家族がいた。
その先生とこの西高校ができる前の空き地でテニスの練習をやった。
先生には小学生で1年くらいの女の子がいた。もう40代になるだろう。

40年前の光景を思い出しながら夕暮れが迫る道を急ぐ、 やがて見慣れた四谷橋に達した。
リタイヤ直前ーもう6年くらい経つがーこの四谷橋が徒歩通勤の経路だった。
四谷橋から川原を見下ろすと水鳥たちが点々と見える、水は冷たくないのだろうかなど馬鹿のことを思う。

この橋の南詰から我が家まで3kmくらいだ。”四時半には家に着くだろう”と計算しながら 足のピッチを上げる。
大栗川の側道に入ってさらにピッチを上げていると、ご婦人に呼び止められた。
「ずいぶん、お足が丈夫のように見えますが・・・」
「歩くのが健康の秘訣だと思っております」
ご婦人はショッピング。カーを引っ張って近くのスーパーに買い物の途中だとか。
「むかし、目白に住んでいたんですよ」と言いながら娘のころ力仕事をしたと言って、手を見せてくれた。
たしかに節々が太くなっている。
さらにいろいろとご家庭のことをおしゃべり始めた。
”こりゃ、4時半には帰り着くのは無理だナ”
しばらくお相手をしていると、ご婦人は89歳だとか。自分で家事もやっているそうだ、それも元気の源かも。
傾聴ボランティアというのがあるが、人の話を聴くのは難しい。

予定より10分遅れで帰宅した。まぁ、いいか。(31000歩)


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