オーキング
08. 1.  18
ウオーキング(千葉・臼井城址) <東年協/健歩クラブ・イベント>
はじめに
臼井城址から眺めた印旛沼
日時:1月  17日(木)(京成上野9時23分発)10時30分~13時40分
コース:京成上野駅⇒京成臼井駅→長源寺→阿多津の碑→八幡宮→天満宮→大田図書の墓→臼井城址→実蔵院→雷電の碑・雷電の墓→京成臼井駅(約5km)

今日は千葉県・佐倉市の臼井城址、私は絶対参加しなければならないという気持ちがあった。
欠席すれば千葉県在住の尊敬する先輩から「それ見たことか」と言われないためである<冗談>。
しかし朝のラッシュ時間帯を乗り越えなければならないことが大きな課題である。

集合場所は京成上野駅、現地集合場所は京成臼井駅。多摩センターから小田急線から千代田線乗り入れの多摩急行で上野へ向かうか、京王線から都営地下鉄により本八幡経由で京成線に乗るか二つのルートのいづれか迷った。
小田急の多摩急行は1時間に2本しかない、京王線で行くより30分早く出なければならない。座っていけるだろうとこちらを選んだ。

5時起床、意外に寒くなかった。TVの気象情報では千葉市で雪が降ったと報じていた。外に出ると郵便受けにはうっすらと雪が積もっている。
7時27分モノレールに乗車、7時43分の多摩急行を待った。
小田急多摩センター駅は始発駅の次であり、座れるだろうと思ったが既に空席はなかった。
代々木上原までギュウギュウ詰めの状態が続く。
8時55分少し遅れて千代田線・湯島駅着、地上に上がる、冷気に身が縮む。不忍池から水鳥の甲高い声が聞こえる。

階段を下って改札口の前に参加者数人が集まっていた。本日は37名だそうだ。

長源寺
およそ1時間弱の電車の中も参加者との談笑で時の経つのを忘れる。
10時17分、京成臼井駅着。遠くの住宅の屋根の上は雪で真っ白だ。
千葉県・F市在住のOさん、Mさんにあいさつ。「来ましたよっ!!」
北口の住宅街を通る、道路の日影や車の上には昨夜からの雪が残っている。

坂道を登ってまた下る、長源寺についた。山号を龍澤山という。
屋根の上や、頭巾を被ったお地蔵さんの頭も白い雪が・・・
阿多津(おたつ)の碑
狭い道をいくどか曲がり、臼井小学校の正門に達した。
ここは長島茂雄氏が卒業したところだそうだ。正門脇の塀に名前を刻んだ石板がはめられていた。 この門塀は氏が寄贈したものという。

今日のリーダーのひとりHさんに話を伺うと、「いやぁ、下見のときに道を間違えた」と言う。
まぁ、よくぞリードしてくれると感心する。
畑の一角に「碑」が斜めに立てかけられている。この地の説明には「阿辰」と書かれていた。
碑の隣にお墓があった。
臼井八幡神社の御神木
県道から分かれてやや狭い道路を歩く、内水面水産試験場という施設がある。
印旛沼の水質を試験しているとか、今日はパスだそうだ。 八幡台の住宅へのゆるい登り坂を進む。 住宅の台地に囲まれたくぼ地に社が鎮座している。近くには古いお墓らしい石塔が立っていた。

公園で小休止のあとしばらく歩くと、うっそうとした森に囲まれた臼井総鎮守八幡社があった。
境内には今では枯れてしまった大樟が御神木として保存されている。
臼井城主の興胤が1338年に八幡社を祀り植えたものだが、115年前に枯損したそうだ。
太田図書の墓
臼井城址は公園になっている、そこへ続く道の傍ら少し高くなったところ(土塁)に大きな石塔が立っていた。
太田図書の墓だ。
図書(ずしょ)は太田道灌の弟、1478年ここ臼井城を攻めたときここで討ち死にしたという。 530年前のことだ。

ついでに記す、太田道灌は「山吹」と江戸城で有名だが、たしか伊勢原市に首塚があった。
500年前将兵が関東一円を走り回っていた・・・。
「わーあっ・・・」という下っ端の叫び声が聞こえてくるようだ。
臼井城址
臼井城は1114年に築城され、約450年間臼井氏が治めたが、1593年焼失した。
城跡は本丸と二の丸が残っている、二の丸から本丸へ向かうところには土橋の面影を残している。
ウオーカーの大半は本丸の方に向かい三々五々腰を下ろし昼食をとりはじめた。

土塁、空掘りには昨夜から降った雪があちこちに残っている。
風が多少吹いているが日差しが暖かさを包んでくれる。
城址は高台となり、崖の下には住宅が見える。その向こうには印旛沼の青い沼面が広がる。いい眺めだ。
臼井城址の桜は・・・
私も木々を背に枯れ草の上に敷物を置く。
「Mさん、今日はお箸で食べるんですね」
何回か前から冗談を言っている。私もそうだがいつもコンビニのオニギリだから 、今日はパック入りの弁当だ。

早々と済ませると、私はそれほど広くない公園内を歩き回った。
空堀、土橋、土塁には大きな木が数本並んでいた。

城址の端には桜の木があった。芽を探してみるといくぶん膨らんでいる。
やはり春は待ち遠しい。
雷電為右衛門の碑
午後は、京成臼井駅への帰路だが予定になかった”実蔵院”と”雷電の碑”に寄って雷電の墓へ向かう。
「ここはやけにアップダウンが多いね」
八幡台、臼井台、稲荷台などの町名が多い。

坂を上ったかと思えば階段を下る。休憩のための公園は丘の上にある。
雷電の碑は住宅が並ぶ小さな公園の一角にあった。実物大の手形に自分の手を重ねてみる人もいる。
お墓はまた別の所にある。
雷電為右衛門は江戸時代の力士だが出身は信州だとか、この地は奥さんの出身地と説明があった。

京成臼井駅の西側には聞き覚えのある居酒屋チェーン店の看板がビルの中ほどに見えた。店が開くのは夕方から。
東側のそばや屋さんで反省会が始まった。最年長のUさんの「・・・上等兵でした。」の話に耳を傾ける。
帰りは本八幡から都営新宿線に乗るつもりでいたが、船橋で途中下車し反省x2会に出席。

F市に住むSさんと帰りはいっしょだ。誰かがいると心強い、 乗った電車は本八幡を通り過ぎた。
青砥で降りて浅草線で東日本橋を経由し馬喰横山へ都営新宿線に乗れた。
と書いてもすんなり行けたわけではない。 朝のルートを探しているとき、東日本橋から青砥のルートが表示されて記憶に残っていたからだ。
20時過ぎに帰宅。 遠くのときはお酒も控えめにしておこう。<反省>


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