夕焼けだんだん(谷中銀座)
|
本行寺から経王寺
日暮里駅は改装工事中だ。 構内から西口へ向かい、道路に出てすぐ本行寺、経王寺と並んでいる。 境内の松に雪つりがかけられていた。雪つりは二段になっている。 ウオーキングの翌日23日は都内でも雪が降った。 ウオーカーの皆さんはお賽銭を上げてお祈りしている。 62名の大勢だ、道路を横断するのも時間がかかる。寺社の参拝も最後の方までかなり時間がかかる。 今日のしんがりを勤めるMさん、旗をもってじっと待っている。 |
高村光太郎の旧居跡~光雲遺宅
しばらく歩いていると下り坂になった。 昔ながらの商店が左右に構えている。谷中銀座という。「夕焼けだんだん」の標が立っている。 こういう商店街は、買い物をする方は大変だろう。いろんなお店を回らなければ夕食の食材が集まらない。 でも昔ながらの対面販売は温かみがある。 不忍通りをを渡って、狭い道をいくつか曲がって警察庁の住宅工事を過ぎると、高村光太郎の旧居跡があった。 またしばらく歩くと、高村光雲の遺宅がある。 現在、子孫の方が生活されているという。 |
吉祥寺の境内にはお七・吉三郎の比翼塚
千駄木には旧安田楠雄邸庭園が東京都の指定名勝となっている。維持が大変らしいが、ある財団法人が管理しているという。 本駒込三丁目に入ると大きなお寺、吉祥寺の経蔵が見えてきた。 私が会社に入ったころ、職場の宴会のときよく聞いた唄がある。 「♪ここは駒込吉祥寺、吉さんを思えば・・・」一回り年長の先輩が箸をたたいてよく歌った八百屋お七の唄だ。 山門を入って本堂までかなり歩かなければならない。 本堂への途中に「お七・吉三郎/比翼塚」があった。 お七はたしか放火して、火あぶりの刑に処せられたと思ったが・・・。 蛇足ながら、比翼塚というのは相思相愛の男女の墓だそうだ。 |
車庫跡公園で昼食
本郷通りから天祖神社へ、近くに都旧跡の駒込名主屋敷がある。庭内に入れたが現在も民家として使われているようだ。 神社を通り抜け、駒込病院の側を通り動坂上へ。動坂は不動坂の略だそうだ。 都営住宅に囲まれた公園・車庫跡公園で昼食。 高層住宅を背後に、ちょっと落ち着かないが干上がった池の淵に腰を下ろす。 ここは都電の車庫があったらしい。 公園の一角に都電が置いてあった。 電車は厳重な囲いのなか、子供たちは乗ることも触ることもできない。たぶん怪我をされたら”管理責任” を問われるからだろう。 |
赤紙仁王(東覚寺)に祈願する
午後はまず田端二丁目の東覚寺へ、ここは赤紙仁王と言われているそうだ。 赤紙=召集令状? などと思ったが、もっと古くからのものらしい。 江戸寛永のころから、赤紙(病魔を焼除する火の色)を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代わりとして心身安穏を願ったという。 私もお二方と200円で赤紙二枚、蝋燭二束を頂き、阿像、吽像と拝んだ。 ご利益はいかに。 わが近くの不動尊、仁王門をくぐったところで線香を焚き、煙を患部に当てる。 どこでも受け付ける庶民の願い。 |
賊除け地蔵(與楽寺)にもお願い
最後は芥川龍之介の旧居跡となっていたが、私は確認できなかった。 田端一丁目に入り 画家の岩田専太郎の旧居跡らしいところを通ったが、車が止まっていて良く分からなかった。 つづいて広い境内にはいる、石柱に與楽寺と刻まれていた。 賊除け地蔵があるという。 いろんなご利益があるものだ。昔もそうかもしれないが物騒な今のご時勢、よくお願いをしておこう。 東に向かって歩くと大きなマンションの影に小さな公園があった。 1時を少し過ぎたばかり。 「おいおい、もう反省会か、昼を食わなきゃ良かった」 |
ウオーキング
| |
---|