オーキング
08. 1.  25
ウオーキング(日暮里~田端) <東年協/健歩クラブ・イベント>
はじめに
夕焼けだんだん(谷中銀座)
日時:1月  22日(火)10時30分~13時00分
コース:JR日暮里駅→本行寺→経王寺→夕焼けだんだん(谷中銀座)→高村光太郎旧居跡→高村光雲遺宅→吉祥寺→天祖神社→駒込名主屋敷→駒込公園(動坂遺跡)→車庫跡公園→東覚寺(赤紙仁王)→芥川龍之介旧居跡→與楽寺(賊除地蔵)→田端駅(約5km)

今回のコースは、以前実施できなかったところの再トライである。
山手線一周の次のコース、田畑~巣鴨は昨年暮れ実施済みだ。

日暮里駅に10時集合のこの日は、先週に比べ楽な方である、それでも6時前に起床して8時10分のバスに乗った。京王線は女性専用車両が先頭(小田急線は最後尾だった)なので、急行の一番後ろに向かう。
席には座れなかったが、ギュウギュウ詰めにはならない。
前に座っている女性が調布駅でそわそわ、次のつつじヶ丘駅で降りた。ラッキー。
新宿駅から山手線外回りへ、今日の集合は日暮里駅北口。電車の最後尾に向かう。
16番線の中央各駅停車の電車はトラブルで動かない。やがて15番線に電車が入ってきた、あまり意識しなかったが新宿駅って16番線まであったのかと驚く。
時間帯によるのか座れた。向こうに立っている若者2,3人の話が聞こえてくる、日本語ではないようだ。 外国に来たという意識はないのかもしれない、屈託のない笑い声が聞こえる。

今日は少し寒いが天気も上々(午前中は晴れる予報)、田端、西日暮里と進むうちに日が入ってくる方向が動いていく。
9時35分改札口を出る、今日は多いなぁと思いつつ「おはようございます」、「おはようございます」・・・・。
 62名だそうだ。

本行寺から経王寺
日暮里駅は改装工事中だ。
構内から西口へ向かい、道路に出てすぐ本行寺、経王寺と並んでいる。
境内の松に雪つりがかけられていた。雪つりは二段になっている。
ウオーキングの翌日23日は都内でも雪が降った。
ウオーカーの皆さんはお賽銭を上げてお祈りしている。

62名の大勢だ、道路を横断するのも時間がかかる。寺社の参拝も最後の方までかなり時間がかかる。
今日のしんがりを勤めるMさん、旗をもってじっと待っている。
高村光太郎の旧居跡~光雲遺宅
しばらく歩いていると下り坂になった。
昔ながらの商店が左右に構えている。谷中銀座という。「夕焼けだんだん」の標が立っている。
こういう商店街は、買い物をする方は大変だろう。いろんなお店を回らなければ夕食の食材が集まらない。
でも昔ながらの対面販売は温かみがある。

不忍通りをを渡って、狭い道をいくつか曲がって警察庁の住宅工事を過ぎると、高村光太郎の旧居跡があった。
またしばらく歩くと、高村光雲の遺宅がある。
現在、子孫の方が生活されているという。
吉祥寺の境内にはお七・吉三郎の比翼塚
千駄木には旧安田楠雄邸庭園が東京都の指定名勝となっている。維持が大変らしいが、ある財団法人が管理しているという。
本駒込三丁目に入ると大きなお寺、吉祥寺の経蔵が見えてきた。

私が会社に入ったころ、職場の宴会のときよく聞いた唄がある。 「♪ここは駒込吉祥寺、吉さんを思えば・・・」一回り年長の先輩が箸をたたいてよく歌った八百屋お七の唄だ。
山門を入って本堂までかなり歩かなければならない。 本堂への途中に「お七・吉三郎/比翼塚」があった。
お七はたしか放火して、火あぶりの刑に処せられたと思ったが・・・。
蛇足ながら、比翼塚というのは相思相愛の男女の墓だそうだ。
車庫跡公園で昼食
本郷通りから天祖神社へ、近くに都旧跡の駒込名主屋敷がある。庭内に入れたが現在も民家として使われているようだ。
神社を通り抜け、駒込病院の側を通り動坂上へ。動坂は不動坂の略だそうだ。

都営住宅に囲まれた公園・車庫跡公園で昼食。
高層住宅を背後に、ちょっと落ち着かないが干上がった池の淵に腰を下ろす。
ここは都電の車庫があったらしい。 公園の一角に都電が置いてあった。
電車は厳重な囲いのなか、子供たちは乗ることも触ることもできない。たぶん怪我をされたら”管理責任” を問われるからだろう。
赤紙仁王(東覚寺)に祈願する
午後はまず田端二丁目の東覚寺へ、ここは赤紙仁王と言われているそうだ。
赤紙=召集令状? などと思ったが、もっと古くからのものらしい。
江戸寛永のころから、赤紙(病魔を焼除する火の色)を自分の患部と同じ箇所に貼って病気身代わりとして心身安穏を願ったという。

私もお二方と200円で赤紙二枚、蝋燭二束を頂き、阿像、吽像と拝んだ。
ご利益はいかに。
わが近くの不動尊、仁王門をくぐったところで線香を焚き、煙を患部に当てる。
どこでも受け付ける庶民の願い。
賊除け地蔵(與楽寺)にもお願い
最後は芥川龍之介の旧居跡となっていたが、私は確認できなかった。
田端一丁目に入り 画家の岩田専太郎の旧居跡らしいところを通ったが、車が止まっていて良く分からなかった。
つづいて広い境内にはいる、石柱に與楽寺と刻まれていた。
賊除け地蔵があるという。
いろんなご利益があるものだ。昔もそうかもしれないが物騒な今のご時勢、よくお願いをしておこう。

東に向かって歩くと大きなマンションの影に小さな公園があった。
1時を少し過ぎたばかり。
「おいおい、もう反省会か、昼を食わなきゃ良かった」

田端駅の南口と北口へ分かれる。
反省会参加16人は北口へ、お蕎麦屋さんに席が待っていた。 日本酒2升、焼酎3本、2時間でお開きお疲れ様。
5人は西日暮里まで行ってカラオケを、2時間でお開き。4時間のオプションを終え、F市のSさんと一緒の電車で帰る。
「先週も同じでしたね」


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