贅沢な(?)”静寂”
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日本工業倶楽部会館 大正9年(1920)
東京駅から小雨に白いものが混じっている中を新丸ビルの前へ。 現代的な高層建築に囲まれて明るい茶色の5階建てのレンガ造りが見える。 屋上にはふたつの像が立っている。 その向こうには機能的な現代のガラス張りのビルが・・・・、 現代の建物は立方体でいかにも無駄がない。なぜか冷たく感じられるのは小雪のせいばかりではないようだ。 時の首相:原敬。この年、国際連盟に正式加入。経済恐慌、日本最初のメーデー、第7回オリンピック参加、明治神宮造営。 |
東京銀行協会ビル 大正5年(1916)
日比谷通りに出る、角に優雅な建物が見える。 しかし実際は現在のビルの表面1,2階が大正年代の様式を貼り付けられているようだ。 昔の建物は2階建てだったとか。優雅。 このあたりは都市銀行が軒を並べている。日本の金融の中枢なのだろうか。 この年、首相の大隈重信が要撃される。日露新協約、夏目漱石、上田敏没。 |
法務省赤レンガ棟
明治28年(1895)
和田倉橋を渡り、噴水のそばを通る。 この時ちょっとした事件がおきる。 内堀通りを越え皇居外苑へ。 騎馬の一隊がやってくる。初めて見たが儀仗隊なのだろうか。 桜田門を出ると法務省の赤レンガ棟が見えてきた。 展示室を見学する予定だったが、諸条件で中止となった。残念。 この年の首相は伊藤博文。下関条約調印、市街電車(京都)、にごりえ、たけくらべ(一葉) |
旧日比谷公園事務所
明治43年(1910)
裁判所の角をまがり日比谷公園に入る。 ここで昼食の予定だったが、小雪のちらつき中で公園での昼食は無理だ。それに少し時間も早い。 公園の北側に旧管理事務所があった。建物は今、別の目的で使われているようだ。 隣の建物はチャペルだそうだ。 園道に開園(明治36年)当時に造られた鋳鉄製の水のみがある。馬も水飲みに使ったそうだ。 時の首相は桂太郎。 大逆事件、韓国併合、白樺創刊、彫刻家萩原守衛没。 |
日本水準原点標庫 明治24年(1891)
国会前の信号を渡って国会前庭洋式庭園へ入る。 少し高台にブロックを積み上げた物置のようなものが見えた。この中に水準原点があるという。 標高24.4140mだそうだ。 平均海面は明治6年から長期にわたって観測した結果だという。 維新の混乱期にも地道な活動が続けられた。 弁当を持参していなかった私は憲政会館のレストランで3人のおねえさま方に同席させてもらった。 帝国議事堂炎上、足尾鉱毒問題、五重塔(露伴)、ニコライ堂落成 |
東京国立近代美術館工芸館 明治43年(1910)
三宅坂の交差点から内堀通りを歩き英国大使館の前、千鳥が淵の交差点を渡って堀の淵を。 そこかしこに雪が残っている。 最後のポイント工芸館の赤いレンガが見えた。工芸館は65歳以上は入場無料だそうだ。 展示されている工芸品、私には縁のないものだった。 しかし、建物の美しさは心に響くものがある。 雪はまだ降り続いている。 |
ウオーキング
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