オーキング
08. 2.  8
ウオーキング(近代建築をめぐる) <東年協/健歩クラブ・イベント>
はじめに
贅沢な(?)”静寂”
日時:2月  6日(月)10時30分~13時40分
コース:東京駅→日本工業倶楽部会館→東京銀行協会ビル→和田倉噴水公園→法務省赤レンガ棟・法務資料展示室→日比谷公園→国会前様式庭園・日本水準原点標庫→内堀通り→千鳥が淵公園→東京国立近代美術館工芸館→北の丸公園→地下鉄・九段下駅(約5.5km)

都心を歩くことが少ない私はこの日のウオーキングを楽しみにしていた。
しかし、天気予報はこの日だけが曇り。曇天では写真をとっても映えないが、とりあえず雨が降らないこと を祈りつつ降水確率が下がっていくのを喜んでいた。
当日になるとところにより雪が舞うという。
朝6時に起床し最寄り駅8時52分の急行に乗車、雪も雨も降っていなかった。ウオーキングが中止になったらこのコースを歩いてみるか、などと思いながら集合場所東京駅丸の内側北口改札口を10時前に出る、すでに大勢の参加者が見えた。
Ogさん「家にいてもやることがないんだよ」だって。
集合時刻は10時15分、15分という設定についてあとで提案者のOhさんに苦労話を伺う。
大先輩のFさんの顔も見える。

本日は52名だって。

日本工業倶楽部会館 大正9年(1920)

東京駅から小雨に白いものが混じっている中を新丸ビルの前へ。
現代的な高層建築に囲まれて明るい茶色の5階建てのレンガ造りが見える。 屋上にはふたつの像が立っている。
その向こうには機能的な現代のガラス張りのビルが・・・・、 現代の建物は立方体でいかにも無駄がない。なぜか冷たく感じられるのは小雪のせいばかりではないようだ。

時の首相:原敬。この年、国際連盟に正式加入。経済恐慌、日本最初のメーデー、第7回オリンピック参加、明治神宮造営。
東京銀行協会ビル 大正5年(1916)

日比谷通りに出る、角に優雅な建物が見える。
しかし実際は現在のビルの表面1,2階が大正年代の様式を貼り付けられているようだ。
昔の建物は2階建てだったとか。優雅。

このあたりは都市銀行が軒を並べている。日本の金融の中枢なのだろうか。

この年、首相の大隈重信が要撃される。日露新協約、夏目漱石、上田敏没。
法務省赤レンガ棟  明治28年(1895)

和田倉橋を渡り、噴水のそばを通る。
この時ちょっとした事件がおきる。
内堀通りを越え皇居外苑へ。

騎馬の一隊がやってくる。初めて見たが儀仗隊なのだろうか。
桜田門を出ると法務省の赤レンガ棟が見えてきた。
展示室を見学する予定だったが、諸条件で中止となった。残念。

この年の首相は伊藤博文。下関条約調印、市街電車(京都)、にごりえ、たけくらべ(一葉)
旧日比谷公園事務所  明治43年(1910)

裁判所の角をまがり日比谷公園に入る。
ここで昼食の予定だったが、小雪のちらつき中で公園での昼食は無理だ。それに少し時間も早い。
公園の北側に旧管理事務所があった。建物は今、別の目的で使われているようだ。 隣の建物はチャペルだそうだ。
園道に開園(明治36年)当時に造られた鋳鉄製の水のみがある。馬も水飲みに使ったそうだ。

時の首相は桂太郎。  大逆事件、韓国併合、白樺創刊、彫刻家萩原守衛没。
日本水準原点標庫 明治24年(1891)

国会前の信号を渡って国会前庭洋式庭園へ入る。
少し高台にブロックを積み上げた物置のようなものが見えた。この中に水準原点があるという。
標高24.4140mだそうだ。
平均海面は明治6年から長期にわたって観測した結果だという。 維新の混乱期にも地道な活動が続けられた。
弁当を持参していなかった私は憲政会館のレストランで3人のおねえさま方に同席させてもらった。

帝国議事堂炎上、足尾鉱毒問題、五重塔(露伴)、ニコライ堂落成
東京国立近代美術館工芸館 明治43年(1910)

三宅坂の交差点から内堀通りを歩き英国大使館の前、千鳥が淵の交差点を渡って堀の淵を。
そこかしこに雪が残っている。
最後のポイント工芸館の赤いレンガが見えた。工芸館は65歳以上は入場無料だそうだ。
展示されている工芸品、私には縁のないものだった。
しかし、建物の美しさは心に響くものがある。

雪はまだ降り続いている。

ゴールは当初予定の九段下駅からここ工芸館前となり解散。
竹橋駅へ行くグループと九段下駅へ行くグループに分かれる。
”寒い日は早く帰ろう”私は九段下駅から新宿線に乗った。

古い建築物には人に対する優しさがあるように思う。現代の建築物も100年経ったときそう思われるだろうか。
また少し歴史を勉強させてもらった。
建築物の年ごとの出来事は「日本史年表」吉川弘文舘2003年によった。


ウオーキング