ウオーキング
05. 4. 21
古道ウオーク(奥州古街道)
奥州古街道と小山田の里~義経と小山田一族~
歴史古街道団
昨年10月多摩ニュータウン地域の古街道、文化遺産の研究と啓蒙を目的とした歴史古街道団というのが発足したと地域コミュニティ紙が伝えていた。その団体が主催する歴史探検ウオークという催しに参加した。このウオークは有料で、今回は「奥州古街道と小山田の里part1」となっている。歴史古街道団が発足された以降、周辺の探検ウオークが開催されているようだ。
<<付記>>講師説明のキーワードをメモし記憶と写真から道中記を以下に記しているが細部は誤りがあるかもしれない。
ルート
コミュニティ紙によるウオークの案内には次のように記載されていた。
日時:4月 10日(日)9時45分~16時
小田急唐木田駅→大妻女子大→多摩よこやまの道→鎌倉道→子豚池跡と奥州廃道踏み跡(東京国際カントリー内)→奥州廃道跡→小山田緑地→大泉寺と流鏑馬参道→山中の代官坂→巡礼古道→巡礼地蔵→嘉永の地神塔→唐木田駅 行程約5km
私も多摩よこやま道、そこからつながる小山田の大泉寺など何回か歩いているが、子豚池跡、踏み跡、代官坂、巡礼地蔵などは初めて聞くものであり楽しみにしていた。
スタートまで
集合場所の唐木田駅前に着くとかなりの参加者がいる。ひとりで立っている年配の方に話しかける。このKさんはウオークの経験者だそうで会員になることを薦められる。とりあえ参加費を払って資料を貰う。A3大8枚からの手作りで古道、廃道のルート、エピソードなどが記されている。これは後でじっくり楽しめそうだ。
鎌倉道の位置
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講師ガイドのM氏は古街道研究家で歴史古街道団の団長だそうだ。以前購入した書籍「鎌倉街道の伝説」の著者でもある。ウオークの道道で立ち止まりいろいろ説明があり私にとって未知の情報が得られ、かなり楽しみなウオーキングであることは確かだ。
奥州廃道を探り小山田城址へ
唐木田駅を南に500mくらい進んだところにある大妻女子大の脇に多摩よこやまの道の東端入り口がある。
講師は「右手の崖上には鎌倉道と奥州古道(常盤ルート)が交差する場所があり、道標の馬頭観音があった。今は車が通っているが昭和の始めまでは、小山田へ行くには峠道を越えねばならず、荷物の運搬には困難だった大変だったため、切通しが作られた。
ニュータウンの建設でその切通しの周りの山も削られ面影はなくなった。」という。(写真は話を聞き私が想像して加筆したものである。)
講師ガイドのMさんは子供の頃からこのあたりまで遊びに来ていたそうだ。
畑の右に奥州廃道があった・・・
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資料の中にはこの土地に昔から住んでいる人がニュータウンの建設により変わり行く前の姿をスケッチしたものがある。
ニュータウンの新しい住民は与えられた居住区に当然のごとく住まい、車で往来し便利な生活を営んでいるがその削られ、埋められた山川には先に住んでいた人々の無念も一緒に運び去られたのだろう。以前そんな恨み節のような文言を遷宮させられた神社の境内にあった碑で見たことがある。
ウオークの方はゴルフ場の脇にある鎌倉道と重なっていたであろう山道を南に向かう。幕末の頃から八王子と横浜の間に絹の道があり、絹織物を運んだそうだが、織物は一旦八王子に集荷していたのでこのあたりの農家はこの鎌倉道などを使って運搬していたそうだ。
子豚池跡というのはゴルフ場内で養豚からそのように呼ばれていたとのこと。近世の庶民の生活を知ることもできる。
道がちょうど峠になってこれから小山田の里に下るあたりに奥州廃道と交わる点があったという。さらに講師は道の傍らのガケの固くなった地層を指差し中世人の踏み跡だという。
途中小山田緑地の広場で昼食と休憩である。駅前で知り合ったKさんと隣あって腰を下ろす。参加者を見ると私より年配の方もかなりいる。
午後、ゴルフ場の中にある公道を通り、「あのあたりに奥州廃道があったと推定される」と説明を聞きながら坂を谷戸に下る。
奥州古道・常盤道のあった<押越>
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このあたりの小川の底は鉄分で赤く酸化している。「軟鉄を採っていたはずだ」と聞く。やがて大泉寺というお寺に着く、山門の前は満開の桜の花見客であふれている。ここに小山田城があった。
奥州古道・常盤道
大泉寺の門前のかなり長い参道で流鏑馬が行われていたという。大泉寺城ともいわれる小山田城はかの大田道灌もお気に入りだったそうだ。地政学的に要衝だったのだろうか。
鶴見川の南岸を進み△△家という旧家の側を通り、やがて押越(おっこし)というところから脇道に入り尾根の方に向かう。地図を見るとここに石仏があったが(いつの間にか)消滅したと記されている。この山道は正山寺裏尾根古道というらしいが、また奥州古道(常盤道)ともいうらしい。常盤御前の伝説があるそうだ。ということは常盤道とは常盤御前からの由来か。ここから2kmくらい南に町田市常盤町という地区がある。その地名から付けられた名前かと思っていたが、いやその地区の名前も常盤御前に関連しているかも・・・。
その常盤道を登っていく途中で講師ガイドのMさんがもう一つの古街道も見せたいと言って右にまがる脇道に行く。
途中に大きな屋敷があり説明によれば甲州□□家とかかわりがあるのではないかという。
もう一つの古街道は代官坂と呼ばれているところだ。
代官の隠し道脇の供養地蔵仏
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八王子代官の隠し道
八王子代官衆の隠し道、鎌倉道の支線の機能をもち相州隠し道とも言われているらしい。道はかなり険しい上り坂となり道幅は2mもないだろう。道は半円の底に位置し周りは雑木林に覆われている。右の土手の上に石仏があるといい少し休憩となる。
講師「ここのあたりは国道が予定されていて、いずれこれらの古街道、石仏なども消えてしまう運命にある。何とか残したいものだが・・・都知事に話をして何とかしてもらいたいと思っている」と熱く語る。
木々の間に巡礼供養地蔵仏という石仏があった。このお地蔵さんも消滅してしまうのだろうか。
道の傍らには廃車が何台か捨ててあった。石仏の見ている前で捨てたのだろう。いつの世にも無法者はいるのだろうが、だんだん悪質になっている。悲しいことである。
やがて視界が広がってきた、ニュータウン開発中らしい土盛がある場所に出てきた。路傍には嘉永の地神塔であるという説明がなければ石の塊としか見えなかったかもしれない小さな塔があった。
やがて奥州古道跡が右手の崖の下にあったという台地の上を歩き、出発地近くの馬頭観音があったという場所に出てきた。
私にとって充分楽しめたウオーキングだった。