オーキング
05. 9. 21
ウオーキング(in杉並の緑)

はじめに
スタートは区民センター
京王電鉄の沿線ウオーキングの秋バージョンが始まった。今回は杉並区の緑地・公園・神社・仏閣をまわるコースである。
このところの季節は朝夕、涼しく昼間は日差しによっては暑い。秋と夏が同居しているようだ。ウオーキングに興が乗ってくると汗をかきそうだが、電車のなかでは涼し過ぎるかもしれない。半ズボンはやめ、上もシャツを重ねて出かけた。相変わらず電車は冷房が効いている、長ズボンでよかったと納得。

日時:9月17日(土)10時00分~
コース:京王井の頭線・高井戸駅→善福寺川緑地→田端神社→大田黒公園→妙正寺池公園→妙正寺→観泉寺→井草八幡宮→善福寺公園→井の頭公園駅(約9.5km)

善福寺川緑地⇒大田黒公園
乗換えの明大前でも、年配のご婦人方がリュックをしょってUVカットのスタイルで ぞろぞろと井の頭線のホームに向っている。たぶん今日のウオーキングに参加する人たちだろう。10時少し前に高井戸駅に着く。
善福寺川緑地
この駅も初めて下車する。改札口の外に出てみるが、ウオーキングの受付が見当たらない。どうも受付は環八通りを渡ったところの地域区民センターの広場らしい。井の頭線は市街地を走っているためなのか駅前などが狭く受付をセットできないのかもしれない。
今日のコースを表した地図を貰って出発する。ちなみに万歩計はすでに6200歩となっている。 地図には「交通信号を直進」、「突当りを左へ」、「XX郵便局を右へ」と細かく記入されている。その上、実際の左折、右折の場所には 矢印を記した紙が貼り付けてある。終了時刻になると取り外しに回るらしい。毎度のことながらご苦労様だと思う。 私は近視が強い上に老眼が入っているので手元の地図を見るのが億劫である。だいたいリュックを背負ったそれらしい人の後をついていく。
狭い道を幾度か右や左に曲がり、善福寺川緑地に着いた。コースの見所として善福寺公園の池から流れ出た水は善福寺川となり中野区との境界付近で神田川と合流し隅田川に注いでいる。遊歩道は善福寺池から約10kmの神田川合流地点まで続いている。 と記されている。
少し北へ歩いたところに田端神社という社があった。祭神は菅原道真公だそうで旧田端村の鎮守様だった。創建は応永年間(1394~1427)とかなり古く、社伝によれば品川左京の家臣が京都の北野神社の分霊を祀り、かっては北野神社ともいわれたそうだ。
スケッチする人々<大田黒公園>
明治42年村内の天祖社、稲荷社、子の権現社、山神社を合祀し、それぞれの祭神がここに祀られている。なかでも大国主命は足痛、腰痛に霊験有りとご利益の返礼として奉納された小槌が多数残っている
そうだ。

住宅が立ち並ぶ間の狭い道を進む。
中央線の荻窪駅に程近いところに大田黒公園がある。この公園は杉並区立であるが、音楽評論家の大田黒元雄氏の屋敷跡を公園化したものだそうだ。
大田黒氏(1893~1979)は昭和7年から昭和54年に逝去されるまでこの地で音楽活動をされ過ごされたという。この公園の面積は8972平方m、そのうち2679平方mが寄付され、昭和56年に開園した。
園内は樹齢百年を越えるイチョウ並木、ケヤキ、アカマツ、シイノキなどの巨木がうっそうと茂っている。数寄屋造りの茶室、レンガ色の記念館、蔵が保存されている。記念館は昭和8年に建築され、当時としては珍しい西洋風建築だそうだ。
この日の園内には池の周りで、記念館などをスケッチする人が多くいた。水周りの岩に腰を下ろせば都会の喧騒から離れ時の流れを忘れることができるに違いない。

妙正寺池公園⇒井草八幡宮
狭い道は危ない!
中央線に架かる天沼陸橋を渡り、北へ4~500m進むと天沼八幡神社に着いた。「新編武蔵風土記稿」多摩郡天沼村の条に「百五十坪、中谷戸の鎮守云々」と記されており天正年間(1573~1591)の創建という。祭神は応神天皇で境内末社に大鳥神社、稲荷神社、須賀神社、金山彦神社、日枝神社がある。
天沼村は江戸時代に赤坂の日枝神社の社領だったので日枝神社を末社として奉斎したそうだ。
神社をあとに歩は北へむかい、住宅や商店が並んだ狭い道を進む。道は車がスムースにすれ違うことが出来ないほど狭い。日常ここで車を運転している人は何事もなく通っているように見える、そこにウオーキングの人たちが通るから大変だ。
車が通っていないときはウオーカーは道いっぱいになって歩き、後から車が来ていても気がつかない、歳を取ってくるほど危ない!。
気をつけよう自分の体と、相手への思いやり。
いくつかの角をまがって妙正寺川に出た。この川は9月4日だったか、東京に降った豪雨で氾濫し近くのマンションの一階が浸水したとニュースで伝えていた。その地はもう少し下流かもしれない。
善福寺川も妙正寺川もコンクリートや石によりそれほど深くないU字形につくられている。川というよりむしろ水路といったほうが適切だ。都会の川はかわいそうだ。

そんな川べりを進み妙正寺公園に着く。園内にある妙正寺池の周りをひとまわりする。池のなかには水鳥、鯉、亀が共存している。水辺にヒガンバナが咲いていた。もう秋がそこまで来ている。
この公園は昭和38年に開園した、公園の池はかっては湧き水であったが現在は井戸からくみ上げ、利用されている。
妙正寺の山門
公園を出て少し南下し妙正寺の山門の前を西に向う。山門にはススキが穂を出している。妙正寺は山号を法光山という日蓮宗のお寺で、十界緒尊を本尊とし鬼子母神、大黒天、弁財天などが祀られている。1352年妙法寺池のほとりに堂を建てたのがはじまりだそうだ。
さてここからしばらく真っ直ぐに伸びた単調な道をすすむ。この時間になるとかなり日差しもあって汗が滲む、道の南側の日影をもとめて歩く。
環八通りを越え 「荻窪病院前」という信号を右折する。地図ではその信号の左手に「桃井原っぱ広場」と記されている。古い地図を見ると自動車メーカーの事業所名が記されている。このあたりの地名は今川という。戦国武将の今川義元とゆかりがあるようだ。まもなく 宝珠山観泉寺というかなり大きなお寺が見えてきた。ここには今川義元の子、氏真が眠っているそうだ。都指定旧跡になっていて今川家累代の墓がある。氏真は父の義元が桶狭間の戦いで戦死したあと、出家し文化人として多くの歌を残しているという。

善福寺公園⇒井の頭公園
井草八幡宮の楼門
観泉寺をあとにし、またまた単調な長い道がつづく。1kmくらい歩いただろうか青梅街道に出た。「井草八幡前」と書かれた交通信号の標識の向うに大きな灯篭が見えてきた。うっそうとした木立に覆われた北参道を歩いていく、かなり立派な神社だ。楼門をくぐると招神殿、神楽殿がみえ、右手に神門があり その先に拝殿が見える。境内の略図によれば西の早稲田通りに接した八幡幼稚園もかなり大きい。
境内、周辺の地域からは石器時代の住居跡が数多く発見され、土器、石器が発掘されている。この辺りは古代から人々が住んでおり、善福寺池を中心として宿駅として栄え、中世初頭ころまで交通の要衝としてオアシスとしての役目ももっていた。 またこのあたりで「井荻ウド」の名で育ったウドは東京の名産となったそうだ。

井草八幡宮は古地名の遅井(おそのい)八幡宮ともいわれたという。祭神は八幡大神:応神天皇である。
文治五年、源頼朝が奥州藤原氏征討の途次、祈請し霊験を得て報賽のため松樹を手植し奉献した。その松は「天然記念物ー井草八幡の松」であったが昭和48年に枯れてしまったそうだ。
八幡宮の南、二・三百メートルのところを善福寺川が流れ、すぐ上流に善福寺池がある。池は上の池、下の池とふたつあるが、上の池までは行かなかった。
井の頭池、三宝池(石神井公園)とともに武蔵野三名池だそうだ。
善福寺公園を出てゴールまであと2kmくらい、武蔵野市の住宅街を南下し中央線の高架をくぐり五日市街道を、さらに井の頭通りを横断し井の頭公園にたどり着く。ようやくゴール。 帰宅後の総歩数は29000歩、二日分は歩いたかな。泡般若がうまい。


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