オーキング
05. 10. 21
ウオーキング(in新宿・中野区の水辺)

はじめに
日時:10月15日(土)9時30分~
コース:京王線・新宿駅→淀橋→神田川遊歩道→神田上水公園→せせらぎの里公苑→妙正寺川遊歩道→哲学堂公園→たき火の歌発祥の地→新井薬師→紅葉山公園→幡ヶ谷駅(約11km)

新宿中央公園近く
京王電鉄の沿線ウオーキングの秋バージョンその2であるが、残念ながら今年はこれで終わりである。
前の晩、年間のスケジュールでコースを確かめ、今回のコースに神田川、妙正寺川と記されているので、「あれ、たしか、前回も妙正寺川のほとりを歩いたが、同じような雰囲気だろうか・・・」と。

歩きながら、スタッフの作業(現地で矢印の貼り付けと撤去)を含めコースの設定などご苦労様に感謝する。というのも回を重ねるたびに神社・仏閣、公園などの見所がダブってくるわけであり、新たなルート探しが大変だろうと思う。 公園ではトイレ休憩、弁当が食べられるところが必要である。
最近のコースは、沿線から多少離れたところがルートに含まれるようになったような気がする。といっても距離は10キロ前後である。ちなみに今回は約11kmだった。

神田川遊歩道へ
新宿駅に9時半少し前に着いた。新宿駅のような大きな駅は受付をどこでやっているか探すのが大変である。何回かこの駅でのスタートがあったが新線駅の改札前で行われていたのでそちらにむかった。
神田川に架かる淀橋
見当たらないのでJR口のインフォーメーションで尋ねる。案内の駅員にリュックを背負ったオバサンが話しかけている。
ようやく受付にたどり着き地図を貰ってスタートする。西口の動く歩道の側を都庁の方に向う。土曜日とはいえ、スーツ姿の人が歩いてくる。リュック姿の年寄りが大勢歩いているのは眼に留まるのかもしれない。
中央公園の手前を右折し青梅街道まで進む。「成子天神下」交差点から青梅街道を300mくらい歩いたところの神田川に「淀橋」がかっている。

この淀橋というのは三代将軍徳川家光が名づけたといわれているそうである。それより前、この橋は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」といわれていた。このあたりの中野長者といわれていた鈴木九郎が自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐れ、手伝った人を殺して神田川に投げ込んだ。九郎と橋を渡るときには見えていた人が、帰るときは姿が見えなかったことからその名がついたという。
鷹狩にこの地を訪れた将軍家光はこの話を聞き、「不吉な話でよくない、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるように」に命じたそうである。

神田上水公園
井の頭池を源に流れる神田川はところどころ散策路、遊歩道が、公園緑地が設けられている。淀橋から遊歩道が整備され木々も植えられ住宅と川に挟まれた狭い土地に都会のオアシスを作り出している。
新宿区立の神田上水公園は遊歩道より少々幅が広いという程度ではあるがベンチや水の流れなどが設けられて、都会人を癒しているようである。
遊歩道に面した住宅にも手入れされた草花が咲き私の目を楽しませてくれる。

早稲田通りの交差点「小滝橋」から川の左岸を歩き、地下に落合水再生センターがある「せせらぎの里公苑」で休憩を取る。水再生センターは昭和39年に稼動したそうで、地上は庭園のほか落合中央公園がある。
足は西武新宿線の下落合駅を右手に見て踏み切りを越え、新目白通りに出た。200mくらい歩いて、狭く少し坂になった道に入っていく。ウオーキング地図によればゴールまで8kmだそうだ。
大通りと違って歩道がなく時たま行き来する車に気をつけながら歩かなければならないが、昔ながらの町並みにホッとするものがある。
しばらくすると右手に「六天坂」と記された表示木が立っている。第六天の祠 が建っていたためその名がついたらしい。
妙正寺川
右手の方は坂になっていて辻々に一の坂から八の坂まで、坂の名前が表示されている。真ん中あたりの四の坂あたりに林芙美子記念館がある。
西武新宿線が走っている側の道に、さらに歩くと妙正寺川に出た。

妙正寺川から哲学堂公園へ
妙正寺川というと9月はじめの集中豪雨を思い出す、都会の中の川はコンクリートで固められ水の逃げ場がないのか想定以上の降雨があると溢れるようだ。写真のように公共施設の地下には調節池と称した人口ため池が設けられている。
この辺りでは川が区境になっているようだ。まもなく中野区立の哲学堂公園に着いた。 右手に菖蒲池をみて進むとうっそうとした林の中に岩で囲まれた池が見えてきた。池の名を「心字池」といい、「理性島」にわたる小さな橋の名を「概念橋」という。頭が痛くなりそうだ、細い道から石段を上がっていくと風変わりな建物が見えてくる。

この公園についての資料があった。それによれば、明治37年4月に哲学者で東洋大学の創立者である井上円了博士が和田義盛の遺跡である豊玉郡野方村大字江古田小字和田山のこの地に四聖(孔子、釈迦、ソクラテス、カント)を祀る三間四面の小堂(四聖堂)を建立したのが公園の起源である。
その後、国家社会に報いるため精神修養的公園とし、哲学や社会教育の道場として逐次、哲理門、六賢台、三学亭、宇宙館などの建物などが整備された。井上博士は大正8年講演旅行の途中、中国の大連で亡くなった。昭和19年、東京都に寄贈され文化的修養公園として公開された。

四聖堂(哲学堂公園)
その四聖堂のまえに井上博士のレリーフとともに次のような一文が刻まれている。
心を養う公園
幕末に井上円了先生は新潟県下の寺院で生まれ東大の哲学科で学び、世界・宇宙・人間を見つめる新しい心の必要を感じ、その思いから明治20年東洋大学の起源である「哲学館」を設立して教育により新しい考えを創り出す人を育てようとした。全国の半数以上の市町村に身を運び世界と心のあり方を説いた。そそ謝礼と寄付によりこの公園を建設し、公共の利用を志し人々の心を養う場として「哲学堂」と名づけた。没後80年を記念してその願いを記す

四聖堂に上がってみると釈迦の涅槃像があり側にお花が活けてあった、思わず座って手を合わせる。
昔の人は偉かったというか公園を教育、修養の場としたのだ。現在、公園は野球場、テニスコート、遊具広場なども備えられているようだ、これらを整備しないと区民からソッポを向かれるのかもしれない。
資料には39の「哲学堂の名所」として哲学関、哲理門、常識門、髑髏庵、鬼神窟、時空岡などが記されている。 凡人には疲れそうな名所だが、いつかまた林の中をのんびりと歩いてみようかと思う。

新井薬師⇒紅葉山公園⇒六号通り
再び神田川を渡る
ウオーキングのルートは四村橋の信号を直進、ゴールまであと6kmとなっている。新井薬師前駅に向かう道をすこし外れて西武新宿線の線路を渡り住宅街を進むと「たき火の歌発祥の地」と書かれたところに出た。
この歌の作詞者である野村七蔵は岩手県生まれだそうだが、北原白秋に師事し児童詩を残したそうで、「たきび」のうたを作った昭和5、6年から13年間この地に住みあたりを散歩し詩情をわかせたという。
「かきねのかきねのまがりかど・・・」詩のように一角には垣根が続き、ケヤキの大木がそびえていた。
「たきびだ  たきびだ  おちばたき・・・」
つかの間の時間、昭和のはじめにタイムスリップしたようだ。

新井薬師参道に戻り、薬師に参拝しひと休みさせてもらう。さてこれからゴールの幡ヶ谷駅まで5kmくらいだろ。新井薬師には昨年の秋にも私鉄のリレーウオークで訪れた。そのときはもうひとつ西の中野通りを歩いたが、今回は薬師柳通りという道を南に向う。
中央線をくぐったあたりに紅葉山公園というこじんまりとした公園で保育園の運動会をやっていた。公園内にはSLが展示されている。青梅街道を渡り500mくらい進んだところに神田川に架かる新橋がある。ギボシのついた欄干が眼を引く。橋を渡ったところは弥生町二丁目と表示されていた。弥生式土器が発見された弥生町かと勘違いしたが、そちらの方は文京区であった。
しばらく行ったところに川嶋地蔵尊というお地蔵さんが見えたが、むかし正蔵院というお寺の境内にあったものを移したという。
このあたりを六号大通りというらしい。見上げると信号機に「幡ヶ谷北三」と表示され、もうまもなくゴールと思いつつ歩を進める。
本日の歩行距離はおよそ19km。


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