ウオーキング
06. 2. 1
ウオーキング(in高尾山麓・冬景色)
はじめに
陵南公園も冬景色
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日時:1月28日(土)10時30分~
コース:高尾駅→南淺川遊歩道→陵南公園→武蔵野陵墓地→小仏関所跡→高尾梅郷→御室社→高乗寺→高尾天神社→高尾駅(約8km)
今年最初の京王電鉄の沿線ウオーキングは1月28日、東京でも寒い地域である「高尾山麓の冬景色を楽しもう」ということで始まった。幸いこの日の午前中は多少、風はあったが暖かった、午後になると予報どおり強い北西の強い風が吹いた。
高尾は八王子市でも西部に位置し、私が住むところは東端である。距離はあるが、最近高尾山などに出かけ、ちょくちょく訪ねているが、ちょっと外れたところに新しい発見があった。
ウオーキングの最中にうしろの方から話し声が聞こえてくる「高尾って八王子市にあるんだ?。高尾市かと思ってた」
都心の方から来た人かもしれないが、東京は広い!!。
いつものように高幡不動駅から電車に乗った、ホームで風除けに待合室に入ると、おばさんが今日のウオーキングの予定表を見ていた。尋ねると、昨年は寝込んだので久しぶりの参加だという。
高尾駅から武蔵野陵墓へ
御陵参道のピラカンサ
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京王線・高尾駅に近づくと車内は年配のリュックもったオッサン、オバハンが多く残っている。たまに登山姿の中年も見かける。
駅を出て町田街道を北へ甲州街道を渡り南淺川遊歩道に出る。南淺川は小仏川、案内川、初沢川が合流したもので、市内の元本郷町で北淺川などと合流し、日野市・落川で多摩川に流れ込んでいる。
八王子市には「元」が頭につく町名がいくつかあり、「元八王子」もそのひとつで、八王子城下だったという。昔の八王子という意味で「元」がついたらしい。
平成の大合併で市町村名が消えていくが、いわれのある名称を簡単に消し去っていいものだろうか。
なんて思いつつ川べりを歩き、橋を渡ると陵南公園に入った。この公園は昭和39(1964)年の東京オリンピックのとき、自転車競技が行われたそうだ。その後昭和43年に都立公園として開園したという。公園には陽だまりを求めて、お年寄りが輪になって談笑していた。
広大な武蔵野陵墓地
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公園の北側の道は武蔵野陵墓地への参道になっている。ウオーキングのマップによるとかって多摩御陵とよばれ・・・と記されている。
私も多摩御陵の呼び名になじんでいる。たしか甲州街道の入り口の交差点には「多摩御陵入口」の表示があったと思う。
かっては多摩陵、多摩東陵だったが、平成になって武蔵野陵、武蔵野東陵がつくられた。敷地は47万平方kmだそうだ。広さと鬱蒼とした自然の木々が静寂さに加え荘厳さを醸し出している。
ウオーキングは広大な陵墓地の脇を通っている庶民の生活道路を南西に向って進む。
小仏関跡へ
春まだ遠い小仏川
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初めて通るこの道をしばらく進むと、まもなく数年前に出来た高尾街道をくぐり廿里町だ。ウオーキングのオッサンが連れの人に「にじゅうり」と教えていた。
標識には「トドリ」とカナがふってある。私も10年位前はなかなか覚えきらなかった。十は「ト」、廿は十十であり「トト」。それが「トド」に変化したものらしい。
鳥取村だったともいわれているらしい。地名はおもしろい。
駅前から伸びている古い高尾街道を横断し南淺川沿いの遊歩道、川の北岸は雪が残っている。まもなく甲州街道に出た、中央線のガード下をくぐりしばらく進むと西淺川の三叉路、手前に「小名路(コナジ)」というバス停がある。昔は字名だったようだ。
現在はバス停にその名を残している。
右に曲がると旧甲州街道である、国道20号ができ車による往来の時代になるまでの人馬の時代はここが甲州道中だったという。
道幅も狭くバスなど大型車がすれ違うときは待機している。その道を700mくらい行ったところに小仏関跡がある。
小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関とも呼ばれた。武田・今川・織田などの有力氏が滅ぶと麓に一度移され、北条氏の滅亡により徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移され整備された。関所には4人の関所番がいて、明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)まで通過できたそうだ。
入り口にはモウが・・
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昨年12月中旬、小仏峠を通りこの道を高尾駅まで歩いた。峠の麓まで車が行くことが出来るが、その先は急な山道となっている。距離的には大垂水ルートより短いが、新しい道中は何故ここを通らなかったのだろう。
近くを流れる小仏川のほとりを甲州街道にむかう。左手には梅園があるが、楽しめるにはもう少しかかりそうだし河原には雪が残っている、春はまだ遠いようだ。
高尾天神社へ
甲州街道を高尾山口駅の方に少し進むと「旧高尾登山口」の標識がある。少し手前に「侠客関東綱五郎住居跡」と記された石柱が建っていた。私はその道に疎いが、関東綱五郎は清水次郎長の子分だったとか。森の石松の「寿司食いねえ」のなかに出てくるそうだが、その人が高尾に住んでいたんだってねぇ。
甲州街道を渡り、京王線のガードをくぐり石段を登ったたところに御室社という社がある。縁起には享和三年(1803)再建されたもので、御室社(大己貴命)、山王社(大山昨命)を祀り、稀に見る湯花の神事が行われると記されている。
一面雪野原の高尾天神社
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ウオーキング・マップや現地の案内紙では次の目的地へ山道を通るようになっているが、現場に立っていた案内の人が雪が凍っていて危険だから回り道をした方がいいとおっしゃる。
甲州街道を駅のほうに戻り途中から狭い道に入る。この道は以前通ったことがあり、駅にいけることは確かだ。
リタイヤすべく歩いていると仏舎利塔のようなもの、霊堂が見える。近くに行ってみようと歩いているうちにウオーキング・ルートの高尾天神社の参道に着いた。このあたりは北斜面で急な石段は雪が凍り付いている。慎重に一歩一歩、たどり着くと境内は一面、雪野原だ。
少し離れたところに菅原道真の銅像が建っていた。大正から昭和の初期にかけて建造されたようだ。銅像の高さ4.8m、台石などを含めた総高さ14.5mだそうだ。
神社名を記した石柱の側には比較的新しい牛の像が横たわっていた。これも眷属なのだろうか。
本日のウオーキングは8kmと短い距離だったが、気象条件、雪道などに気をつけたためか少々疲れを覚えた。歳のせいかな。