オーキング
06. 5. 1
ウオーキング(in神代・深大寺)

はじめに
ウオーキングの受付
日時:4月22日(土)10時00分~
コース:調布駅→布多天神社→神代植物園グリーンギャラリー→深大寺→神代水生植物園→深大寺城址→調布市立野草園→祇園寺→国領神社→古天神公園→フローラルガーデン(約9km)

2006年度の最初の京王電鉄の沿線ウオーキングは4月22日、調布駅から深大寺、神代植物園などをまわるウオーキングであった。

布多天神から神代植物園へ
スタートの受付は、調布駅南口となっていた。電車を降りて南口の改札に向っていると「ウオーキングの受付は北口に変わりました」とハンドマイクで知らせている駅員さんがいる。人が来るたびにしゃべり続けるのは大変なことである。”ご苦労様”と思いつつ北口の改札を出る。
神代植物園の正門付近
北口を出たところにブルーののぼりが立ち、人だかりがあるが受付らしいものが見当たらない。
参加者らしい人に尋ねると横断歩道を渡った向うだという。
急に設定変更したので準備不足かな、と思いつつ受付をすませマップとカードを貰う。
まず最初は布多天神、「天神通り」という駅からのメーンロードから一歩横に入った商店が立ち並ぶ通りを天神さんへ向う。
甲州街道の信号の向う、真っ直ぐのところに天神の参道がある。昔はこの道がメーンの通りだったのだろうか。
マップには布多天神について延喜式神名帳に載る古社。平安時代に近郊の長者が天神社にこもって布を織り、多摩川にさらし調えた白布を朝廷に献上した。天皇がこの布を「てづくり(調布)」と名づけたことからこの地を調布と呼ぶようになったと記されている。
なるほど、このあたりは布に絡んだ地名が多い、調布のほか、布田、染地、染屋など。
延期式神名帳が編纂されたころ(10世紀前半)には布多天神は現在の布田5丁目の「古天神公園」のあたりにあったという。
布多天神の西側、大学との間の狭い道を北に向う。ウオーキング・マップにはゴールまで約8kmと記されている。まだはじまったばかりだ、これからどんな景色を見せてくれるのか。
深大寺の山門
中央自動車道の高架をくぐり、御塔坂という交差点をまっすぐ武蔵境通りを歩いて野川に架かる橋を渡る。しばらく歩いたところで右に曲がり神代植物園の正門に向う。植え込みのつつじの花がキレイだ。
植物園へは入らず公園通りを渡ったところの「グリーンギャラリー」に入る。ここは庭園見本園で、植物や草花を植栽したり、育成したりするところだそうだ。名前を知らない植物も多くあり、見物と知識の吸収が一度に出来そうである。
入ったところに今咲いている植物の名前札がぶら下がっている。

アカメガシワ、スノーフレーク、ハナニラ、サルビアグアラニテイカ、クレマチス・・・
樹木と草花のちがい、そりゃ木と草だろうと思っても説明できない。
草とは、木に対応する名称で、専門的には「草本(そうほん)」という。一般的に組織は堅くならず、茎は一年から二年で枯れてしまう。イネ、ススキ、タンポポ、スミレ、イタドリなど。
樹木は草に対する言葉で専門的には「木本(もくほん)」といい、組織が堅く木質化して、何年も残るようなものをいう。サクラ、リンゴ、スギ、ケヤキ、ハギなど。
どー、わかった?少しは賢くなった?

フジの花、ミツバツツジなどが華やかである、「深山含笑花(ミヤマガンショウ)」という中国名の木花が咲いていた、花びらは大きくハクモクレンのように見えた。モクレン科だそうだ。

深大寺へ
門前のにぎわい
ひとしきりギャラリーの中を見て歩きまわり、自由広場の側にある総合体育館へ向かう。ここの屋上はフィールドのように緑が多く植えられ小山のようになっている。丘のようになっている屋上を下って公園通りを横断し深大寺への細い道を下っていく。
元三大師堂というお堂の段上に「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」というインドの僧侶の木像がある。医学にも通じていて数多くの病人を救ったそうだ。悪いところをなでると病気平癒の霊験があるという、頭部がピカピカに光っている。
あっちこっち触っていたら「欲張るな!」と言われた。(うそ)
めずらしいクマガイソウ<調布野草園>
山門をくぐり門前へ出でる、そばや、甘味処・・・ずらっと軒を並べている。近くのお店で「そばぱん」を買う。そば粉が入った蒸しパンらしいが大きな饅頭ともいえる。小川の前の椅子に掛けて少し早い昼食としよう。
門前通りを東の方へ歩いていくと神代水生植物園がある。はなしょうぶ園と田んぼがあるが、はなしょうぶはちと早いようだ。園内の遊歩道をぐるりとまわって深大寺城跡があるこんもりとした森の中に入っていく。
この城跡は昨年の今頃訪れたことがある。一段高いところの休憩所でリュックを下ろす。土塁や空堀に囲まれた本丸に相当する第一郭、少し高くなったところに櫓台があり、一段下がったところに第二郭があったそうだ。

春草や兵どもが夢の跡    うん  ?

水生植物園を出て深大寺通りから三鷹通りの坂を下り、マップは中央自動車道の手前で左の階段を上がるように指示している。木立の中の道は公園のようだ、池ノ上神社という社の横を抜け階段を降り、中央自動車道をくぐりぬけると調布市立野草園がある。このあたりを深大寺自然広場というらしい。
園内にはあやめ、ふじなど見慣れた野草のほか、アマドコロ、クマガイソウなど珍しい野草も見ることができた。クマガイソウはいわゆるレッドブック、絶滅危惧種Ⅱ類に指定されているそうだ。

祇園寺を経てガーデン「アンジェ」へ
自由の松<祇園寺>
自然広場を出て南に下っていく、佐須街道を少しばかり西に歩き柏野小学校の信号を再び南に折れる。左手に こんもりした背の高い木々が見える、寄ってみると佐須神明宮という形は小さな祠がある。祠と少々不釣合いと思える再建を記念した碑が立っている。
道路を隔てた祇園寺というお寺には板垣退助が自ら植えた「自由の松」がある。
明治41年、自由民権運動の犠牲者を追悼する慰霊祭がここで行われ自由党総裁の板垣退助が手植えした松だそうである。
板垣はこれに先立つ慶応四年三月、官軍東山道先鋒督府参謀「乾退助」として近藤勇率いる甲陽鎮撫隊と甲州勝沼で戦火を交えた。
そうだ。
のどかな田園と住宅の間の祇園寺通りを甲州街道まで進む、ゴールまでおおよそ2km弱となった。
甲州街道に架かる歩道橋を渡ると「国領神社」がある。ここには「千年の藤」と呼ばれる古木がある。この神社も鎌倉時代には多摩川の近くにあったらしいが、洪水のため現在の地に遷座したそうだ。甲州街道のすぐそばにあり、巨木の藤の木は車の洪水でかわいそうだ。また遷座しなければならないかも?。
千年藤<国領神社>
下布田という交差点を左折し、歩道が人ひとり立つのが精一杯の狭い道を歩く。
こういうところは住人で慣れた人はスイスイ歩いているが、すれ違うには車道に降りねばならず、車は車でお互いに気をつけながら進んでいる。なんとも気を使う道である。旧甲州街道、京王線を渡り、地蔵前という交差点を右にまがる。

しばらく進むと、私にはうれしい説明板が建っていた。風雨にさらされたためだろうか文字がかすれて読み取りづらい。国の指定史跡である「下布田遺跡」だそうである。段丘上にあった2500年前の縄文遺跡だ。
何とか読めるようにしてくれ。
斜め左の方に幅狭い道が「品川道」である。武蔵国府と東海道の品川あたりをむすび、物資、人の往来があったという。
近世には多摩川上流から、いかだとして木材を運んだ運搬人がこの道を通って帰ったというところから「いかだ道」とも呼ばれたそうだ。
白山神社の前、古天神公園を抜け、角川映画撮影所、日本映画発祥の地を過ぎる。ここは以前歩いた道である。ゴールは近い。


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