ウオーキング
06. 8. 21
ウオーク(多摩よこやまの道Ⅱ)
はじめに
赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ 万葉集
はじめて通る遊歩道
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私は万葉集と聞いただけで、横を向きたくなる。新国語要覧を見ると20巻、約4500首あるという。
民衆の哀歌が最もよく表れているのが東歌と防人歌だという、なかでも防人として東国のものが九州北岸の警備に送り込まれた。かれらは再び故郷に戻ることはなかった。
防人の歌は巻20に採録され、この歌もそんな防人の歌で巻20・4417という。
作者は豊島郡の上丁椋椅部荒虫の妻、宇遅部黒女だそうだ。
多摩ニュータウンは丘陵を開発して造成された人工の街であるが、その丘陵には平安、鎌倉の時代から街道が縦横に走っていたらしい。そしてその尾根をむかし人は多摩の横山と詠んだそうだ。
多摩よこやまの道という遊歩道が西の方に2km弱ほど延伸され7月に開通したという。
今までの遊歩道の東端は京王相模原線若葉台駅に近い多摩東公園から多摩・町田市境の尾根筋を通り西端は小田急多摩線の唐木田駅から南へ500mほど行った大妻学院近くまでのおよそ7.5kmの遊歩道だ。
以前にも何回か歩いたことがあった。距離、マップはこちら
地形的には尾根状のところに位置し、分水嶺になっており北は多摩川水系、南は鶴見川水系である。
尾根状のところはむかしは国境に現在は市境となっている。
北側の多摩市は多摩ニュータウンとして開発され、近くにはその名の通り”尾根幹線道路”が走っている。
棚原の館跡は・・・ <馬頭観音があった所から>
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延伸されたよこやまの道は大妻学院の南側を市境沿いに西にのびている。
昨秋ここで工事をやっていることは知っていたがなかなかオープンされずにいた。この7月にオープンしたことを知った。
さっそくといいたいところだがこの暑さである。なかなかその気になれずにいたが18日夕刻から出かけてみた。
よこやまの道の延伸部分にも旧跡の説明標や旧道、古道を記した地図が備え付けられておりじっくり見れば2時間以上かかる。
この記も参照させてもらった。
棚原の館跡
遊歩道に足を踏み入れ緩やかな登り道をすすむとビューポイントの標識がある。生い茂った草を分け入りと眼下に小田急電鉄の車庫、遠くに多摩センターの建物が目にはいる。
今は谷底のようになっているがかっては小高い丘があり、戦国時代には棚原の館(棚原城とも言った)があったそうだ。
その館には島崎某という常陸の国出身の武将が住んでいたとか。
ここのビューポイントには明治40年建立の馬頭観音が平成10年まであり、橋本道、原町田道、八王子道、府中道と刻まれていたという、近隣へのつながりがあったのだろう。
ここの遊歩道の脇にはさらに時代を上ると京都と奥州を結んだ奥州古道(常盤ルート)の痕跡があったらしい。
なぜ(常盤)なのか、町田市に常盤という地名がありそこを通っているから、常盤というのかなと思っていた。ところが源義朝の夫人であり、義経の母である常盤御前の伝承がこの近くにあることからこの名前がついたらしい。すると町田市の常盤という地名も常盤御前にちなんでいるのだろうか。
大妻学院キャンパスの西側に出ると尾根幹線道路への車道が見えてきた。この車道はしばらくよこやまの道と並行して西進するがやがて行き止まりとなるが、右手の方に新しい道路を建設されている。左側は個人の畑が並びその奥は樹木林がうっそうと続いている。
畑の隣に施設が運営しているらしい菜園がありその横に山道が見えてきた。
代官坂
昼間も薄暗い代官坂
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よこやまの道から少し外れるが寄り道をして山道に入ってみる。すぐ脇に石塔が立っている、地神塔で嘉永□二年というように刻まれている。
嘉永二年は1849年、150年以上も昔の出来事。しばらく進むと道はうっそうとした大木に囲まれ薄暗くなっている。山道の脇には不法投棄禁止の表示がされているが、家電製品の遺体が晒されている。このあたりは市境で山林のためか不法投棄が多いようだ、家電製品のほか、自転車、オートバイ、乗用車もあった。
道は下り坂でこのまま進めば町田市小山田の大泉寺の近くに出る。
さらに坂を下ると左手に地蔵仏が見えてきた。仏前には大きな碗に何か入れてあった、お賽銭もかなり見えた。今でも人々が手をあわせるのだろう。この道がどうやら江戸時代に巡礼の道として歩かれ「武相観音巡礼道」と呼ばれたところらしい。
この道は鎌倉道の支道としても使われ、八王子代官衆の隠れ道だったと聞いたことがある。それゆえこの坂を代官坂ともいうそうだ。
ふたたびよこやまの道に戻るべく代官坂を上る。
影取池(伝承地)
代官坂からよこやまの道に出たここのすぐ北方向にいまは盛土となっている、北側には大手の金融機関のビルが建っている。その南にはかって影取池という池があり、池にまつわる伝説があるそうだ。
開発がすすむ尾根幹線通り
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その昔深い森と影取池があり、旅人が水面に影を映すと姿を消してしまうので大蛇のしわざではないかと、また南北朝時代に落城した小山田城を抜けだした奥方の浄瑠璃姫が十三人の侍女とともにここへ来て昔話に花を咲かせたあと入水したことの祟りではないかと噂された。
江戸時代にお坊さんが供養すると水面に霧が立ち笑みをたたえた姫と侍女たちは昇天したという。
併走する車道も行き止まりとなり、よこやまの道は北の方に向きを変えるがこのあたりは未整備で仮の歩道がつくられている。左手の栗林には黄緑色の小ぶりや、濃い緑の大粒の栗が秋の到来を告げている。
仮設の遊歩道は少し上り坂になり、右側の建設中の道路がだんだん下がっていく。道の向うには三菱東京UFJ銀行、大和證券の建物が並んで見える。
金融機関の建物そのすぐ西には尾根幹線道の交差点があり、近くには量販家電店、量販薬店が並んでいる。交差点をはさんで向こう側には造成された空き地にクレーン車が立ち新しい施設を建設している。
ここはよこやまの道の展望広場となっていて、尾根幹線道路を行きかう車と遠くの森には蓮生寺があるという。この現代の道路のあたりにも昔の古道が走っていたらしい。
木々に囲まれたよこやまの道
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六部塚
いま登ってきたよこやまの道の途中に六部塚という塚があり民話が伝えられているという。
江戸時代、旅の尼僧が抱いた赤子に地元に人が乳を与えたが、礼を言って立ち去った尼僧は力尽きて倒れ峠に葬られた。後日訪れた身内の信州伊那郡の片桐勘四郎、この人は六十六部だそうだがやはりこの地で力尽き葬られた。二つの塚を築いた村人は農作業の合間に通って手を合わせたという。
この六部(六十六部)塚が見つかったという、また小山田の田中谷戸集会場で石塔が発見されたそうだ。
よこやまの道西端にある配水塔
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昔の村人の優しい心持ちにジーンと来た。
右手に尾根幹線道を見ながら、ふたたびよこやまの道を西に進む。
あるウオーキングの集まりでこの尾根幹線道のこのあたりに常盤御前の庵があり、伝説があると聞いたことがある。
また別所の蓮生寺は鎌倉時代の円浄坊というお坊さんが開基したとか、このお坊さんは源義朝の護持僧だそうだ。常盤御前の伝説が生まれるのもうなずける。
よこやまの道は木々や、草花の間を曲がりくねって進む、左には時おり畑も耕されている。
まもなく配水塔が見えてきた、東京都水道局唐木田配水所という施設らしい。どうやら西端のゴールに近づいたらしい。
ゴールの広場にはよこやまの道を概観することができる大きな地図が掲げられている。
ここは多摩市の西端でもあり唐木田という、境界あたりに山王塚があったそうだが、蓮生寺の円浄坊にも関連があったとか。
少し離れると八王子市である。
時刻はもう夕時の6時に近い、家を出て2時間弱のウオーキングだが、復路をどうしょうかと考える。近くに交通機関はない取りあえず同じ道を戻ることにした。
往復3.5kmのよこやまの道、出会った人は犬の散歩連れ一人と黒い子猫一匹だった。