オーキング
06. 9. 21
ウオーキング(in武蔵野の水と
はじめに
江戸庶民の水源だった井の頭池
京王電鉄の沿線ウオーキング2006年度後半の第1弾は、「水と樹木と緑道の散策」と題して9月16日、井の頭公園駅から成蹊大学、千川上水、善福寺公園などを通り久我山駅までを歩くものだった。

日時:9月16日(土)10時00分~
コース:井の頭公園駅→井の頭池→成蹊大ケヤキ並木→立野公園→千川上水→善福寺→善福寺公園→善福寺川→神田川→久我山駅(約10km)

井の頭公園は三鷹市にある、ここをスタート地点とし武蔵野市、練馬区、杉並区を経て三鷹市の久我山駅まで4自治体を歩いたことになる。

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井の頭池から成蹊大ケヤキ並木
成蹊大のケヤキ
井の頭公園駅へ向うため井の頭線に乗り換えようと明大前駅の下りホームに向う。ホームにはリュックを背負った中高年のおじ(い)さんおば(い)さんがぞろぞろ、いつもの見慣れた風景である。
時刻は9時40分少し前、ウオーキングの受付時間は9時半から1時間、10時にスタートできるように家を出た。
めったに乗らない井の頭線だ、八つめの駅井の頭公園駅で降りる。そんなにも駅があったかと思う。電車の中では隣に座った、この人たちもウオーキングに参加するらしいオバサンふたりが、ウオーキングには関係のない話を続けていた。静かな自然の中に早く入りたいと思ったから到着駅までを長く感じたのかもしれない、私は駅に着くまえに席を立った。

受付を済ませマップを頂きクリヤ・ケースに挿むと首からぶら下げ、ルートを確認しながらスタート前の軽いストレッチを行う。 歩きながらでも水分を補給できるようにリュックからペットボトルを出しリュックの外側に取り付けて準備完了。
井の頭池の北側を岸に沿って北西方向に歩く、池にはボートに乗った人や白鳥などに模した乗り物が浮かんでいる、向うからジョギングする人やペット犬を連れた人、散歩中の高齢の方、車イスを押している人、様々な人とすれ違う。やはりここは都会の中のオアシスである。
池の北西端に木々に囲まれ少し窪地のところに水が湧き出ている井戸が見える、「お茶ノ水」というそうだ。立て札には「徳川家康が狩に来たときこの湧水の良質なのを愛してよく茶をたてた。以来この水をお茶の水と呼ばれた」と書かれている。
ある本に「井の頭」という名前は、二代秀忠あるいは三代家光がここに遊んだとき、「江戸の井の頭」と言ったことから名づけられたと記されていた。
中国式の庭園桃花源<立野公園>
すると家康が湧水をお茶の水として使ったときは「井の頭」の名前ではなかった(?)ことになる。

さてウオーキングは公園を出て「吉祥寺通り」を北に向かい中央線をくぐり、東急百貨店の角を北西の方角に進む。瀟洒なお店が並ぶ大正通りも、しばらく行くと住宅ばかりになる。およそ1kmくらいで右に曲がりまた真っ直ぐ進む。車がようやくすれ違う程度のそれほど広くないこういう道は非常に苦手である。退屈なことと、並んで歩いている人を追い抜くのに神経を使うからである。
やがて道幅がやや広い五日市街道にでた。目の前に成蹊大学のケヤキ並木が見えた。


千川上水から善福寺池へ
成蹊大キャンパスの西側の遊歩道を歩くころ、10時半過ぎになるとかなり暑くなってきた。ここの100mにわたるケヤキ並木が涼しさを与えてくれる。大学が移転してくる大正13年(1924)より前に植えられたそうで樹齢100年くらいとか。
山桜通りというグランドとの間の道を東に約500mくらい歩いてふたたび北に転ずる。練馬区の立野町という町名が記された公園に入る。そこには中国式の庭園「桃花源」がつくられていた。1994年、練馬区と友好関係を持つ北京市から碧桃樹という木の苗が贈られ中国式庭園を「桃花源」 としたそうだ。中国では桃の花が咲く郷は理想郷とされ、桃花仙郷は桃花源の奥にあり仙人が住む場所とされているそうだ。
中国式庭園を通り抜け現実のウオーキングに戻ると、千川上水が流れている道に出た。
今の千川上水は幅1mくらいだろうか、両岸に石垣が積まれところどころケヤキなどの木々に覆われている。

案内によれば千川上水は、元禄9年(1696)将軍の立ち寄り先である小石川御殿、湯島聖堂、東叡山、浅草寺御殿などに給水することを目的として玉川上水から分水してつくられた。江戸市中の飲料水、上水沿いの灌漑用水としての役割も果たした。昭和46年大蔵省印刷局王子工場が取水をやめて使命を終えたそうである。

江戸庶民にも千川上水が・・・
平成元年(1989)、野火止用水、玉川上水につづいて清流が甦ったという。
以前、玉川上水に沿って三鷹駅まで歩いたことがあった。五日市街道の境橋という交差点あたりで 北東方向に分岐しているらしいが、その時は疲れきって確認する気も失せていた。

千川上水は西東京市と武蔵野市との境を弧を描くように途中で五日市街道と別れここ練馬区の立野町を流れている。やがて青梅街道に出てきた、ウオーキングはその青梅街道を300mくらい歩いて稲荷神社のところで善福寺の方へ道を変えた。
この神社のあたりは江戸時代中頃に開発され竹下新田と呼ばれたそうだ。 ところでお稲荷さんといえばキツネだが、この神社にはそれらしい姿は見えなかったが何故だろう。
千川上水のほうは青梅街道を越え、いまの千川通りに沿って遠く、目白、小石川、上野の方へ流れていたらしい。
青梅街道から300mほど入ったところに善福寺という曹洞宗のお寺がある。そこの由緒は、・・・むかし池の畔に善福寺というお寺があった、また新編武蔵風土記稿には善福寺、万福寺のニ寺があったがいつの間にか廃寺となった、その善福寺は地震で池の水が溢れて壊れてしまったと書かれているそうだ。その善福寺とこの善福寺を結びつける資料は見当たらないらしい。

この善福寺から西の方へ200Mほど離れたところに善福寺池をかかえる公園の北端がある。 池の向うに見える木々の葉は少し秋の装いをしていた。
江戸庶民の水源・善福寺池
公園の中に湧水の湧き出し口があるが、次のような伝説がるとか。
源頼朝が奥州征伐からの帰途ここに寄ったが、渇きで水に飢えていた。7ヶ所地面を弓で掘ったが水の出るのが遅かったので「遅野井」といったそうだ。しばらくして水が湧き出した。その後江ノ島弁財天を勧請して池の中にある善福寺弁財天をつくったそうだ。メデタシメデタシ


神田川を経て久我山駅へ
善福寺公園は道路を挟んで南北に細長い。池は武蔵野三名池のひとつで、あとのふたつは「石神井公園の三宝寺池」と「井の頭池」だそうだ。
公園内にはやや古びたベンチが数多く置いてある。時刻は11時30分、ウオーカーらしい人たちがそれぞれベンチに座り食事中である。池の中には水鳥が泳ぎ岸辺にはハトが餌を探して歩いている。
私も腰を下ろす場所を見つけ水分とエネルギーを補給する。我が万歩計は9100歩、6.9kmと表示していた。頂いたマップには”ゴールまで約4km”と記されている。
公園の南にある池をまわり美濃山橋の脇を南に向う。何の変哲もない通りをひたすら歩く、私はこのような通りも写真に撮っておく。そうすることでこれからのおよそ2kmの街並みを多少なりとも思い出すことができる。そうしなければこのような街のイメージが浮かんでこないのである。脳力の低下は恐ろしい。

もうヒガンバナが・・<神田川>
主催者が配ってくれるマップには道々の曲がり角に「XX豆腐店」とか「XXモータース」、「時間貸駐車場」など書き込まれている。
毎度のことであるが、コースの下見をして目印を記録しているのであろう。謝々。
やがて女子大通りを越え南下を続ける。二度ほど角を曲がりやがて中央線のガードをくぐった。
私は帰宅後手持ちの地図(一万分の一)に歩いたコースをマーカーで記しているが、いつかのウオーキングではこのルートの少し西よりの東京女子大の側を歩いている。
五日市街道を渡り松庵小学校の側を通る。ここは立教通りというのだそうだ、道の突き当りがり立教女学院である。このキャンパスの東側の道を歩く、やがて道は下り坂となり神田川に出た。すぐ近くに三鷹台駅がある、スタート地点の隣駅である。神田川沿いの遊歩道をゴールの久我山駅に向う。途中川べりの花壇に彼岸花が咲き始めていた。
電車を乗り継ぎようやく自宅に戻る。 14時15分、万歩計11.6km、15032歩。

最近は急いで歩くよりも景色を楽しむようになった、歳をとったのかな、いや進歩したのだ。
取りあえず泡般若を!!


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