ウオーキング
06. 10. 1
ウオーキング(in都会のオアシス巡り)
はじめに
スタート前<桜上水駅>
|
9月23日、
私鉄4社の小田急、東急、京王、西武が共催する沿線のウオーキングに参加した。
日時:9月23日(土)10時00分~
コース:京王線・桜上水駅→玉川上水緑道→塚山公園→柏の宮公園→荻窪八幡神社→桃井原っぱ広場→観泉寺→三宝寺池→石神井池→石神井川遊歩道→西武・練馬高野台駅(約12.5km)
今回は京王線・桜上水駅から西武池袋線・練馬高野台駅までの間に点在する公園や神社仏閣を「都会のオアシスを巡る」と称して3つのオアシス群を訪ねる約12.5kmのウオーキングである。
第1のオアシス群はスタート地点の京王線沿線付近、第2のオアシス群は中央線を越えたあたり、第3のオアシス群はゴール間近の石神井公園であり、その間の道は砂漠なのかもしれない。
この私鉄リレー・ウオーク今年度はすでに2回開催されている、今年ははじめての参加だ。
3年前にはじめて参加した時は京急も共催しており、川崎大師にも参拝することができた。なぜか昨年からこの社は退いてしまった。
スタートは京王沿線の世田谷区だが、杉並区を経てゴールは練馬区にある西武池袋線。東京の私鉄は都心から放射状に伸びているため、環状方向の移動はなかなか面倒で億劫になる。帰りのことは余り考えずに行こう。
お天気もまずまず、
はじめて訪れる公園もあり楽しみに歩くことにしよう。
玉川上水緑道・塚山公園・柏の宮公園へ
桜上水駅の改札を出て少し東の空き地にスタートの受付が設定されている。受付のために5、6列になって並んでいる。京王1社で行っているウオーキングと違って参加者の数が多いのに驚いた。私鉄沿線それぞれから集まっているのだろう。参加者は中学生同士、若い家族連れもいるが圧倒的に中高年、いや高齢者が多いようだ。高齢化社会を実感する。
塚山公園の池
|
ようやく順番が来て受付を済ませマップを貰う、このマップはコピーではなく印刷したものである、共催社のほか協賛:第一三共ヘルスケア、後援:TBSラジオとなっている。そういえば今までもゴールしたあとドリンク剤を貰って飲んでいた。
いつものように軽いストレッチを行いながらペットボトルを取り付けて出発する。時刻は10時5分前。
商店が立ち並ぶ狭い道を北に進み甲州街道に出る、首都高が街道を覆い鬱陶しい感じがする。街道を横断して西に向う、覚蔵寺という間口は狭いが奥行きの長いお寺がある。真言宗だったが慶長年間(1596~1614)に日蓮宗に改宗。慶長といえば家康の頃である。
そのお寺の西側の道を右折し北の方角に進むと玉川上水緑道が見えてきた。この緑道は玉川上水を暗渠としその上を緑地化したもので地図を見るとおよそ2kmの長さである。コンクリートに囲まれ、高速道路が天空を走る都会ではオアシスといえる。以前のウオーキングでもここの緑道を歩いた記憶がある。
西におよそ500mくらい進み右に曲がる。マップにはコンビニ、医院や食品工場の名前がランドマークとして記されている、また親切にも道の左に庚申堂と記されている。この手のランドマークは有難い、ちょっと立ち止まって覗いてみる、立派な瓦葺のお堂、二基の石灯籠、整備された庭には石碑が建てられている。庚申塔二基、馬頭観音塔一基が安置されている。石碑には元禄8年に石塔が建てられたと記されている。
当時の信心深さもさることながら、現在の殺伐とした世でもこの庚申堂を整備された人々に心を和ませてもらう、心のオアシスかもしれない。
まもなく塚山公園というそれほど広くはないが緑の茂った公園に入る。
マップによればこの公園は昭和63年に公園となったが、昭和初期から土器、石器が出土し竪穴式住居跡も見つかったそうだ縄文中期の遺跡らしい。
公園の中をぐるりと回り北に位置する神田川ほとりの遊歩道に出た。公園や遊歩道には家族ずれや小学生が遊んでいる。都会の川は大きなU字溝のようだがそれでも周りに木々があり、公園が近くにあればオアシスである。
荻窪八幡神社
|
鎌倉橋という名の神田川に架かる小さな橋を渡る。橋の名前が妙に気にかかる、近くの案内図を覗くとこの道を「鎌倉街道」と記されている。あとで地図を見ると井の頭線の浜田山駅の近くを通り五日市街道に接している。想像するに鎌倉古道のひとつだったのが伝承されているのであろうか。
鎌倉橋を渡ってその鎌倉街道を少し北に歩き信号で左折、柏の宮公園へ入る。柏の宮公園は平成16年10月に開園し、2年にもなってない新しい杉並区立公園。手持ちの地図では興銀グランド、新日鉄グランドとなっている。
公園の名前「柏の宮」は大田道灌がこの地に鎌倉鶴岡八幡宮の別殿(現在の下高井戸八幡神社:先ほど渡った鎌倉橋から神田川沿い、300mくらい東)を柏木左右衛門に建立させた。江戸時代には神社は「柏木之宮」と呼ばれこの地を柏の宮といった。この名を公園にしたそうだ。
公園の入り口にはヒガンバナが水田のまわりを明るくしていた。
ここまで3つのオアシスを通ったがこれから次のオアシスまでしばらく砂漠が続くことになる。マップにはゴールまで約10kmと記されている。
荻窪八幡神社・桃井原っぱ広場・観泉寺
桃井原っぱ広場
|
井の頭線の踏み切りを渡り、井の頭通り、さらに五日市街道を横断し神明通りを進む。住宅や時おり店舗が並ぶ道は私にとって砂漠と同じである。途中さらに細い道に入り環八と交差する「南荻窪一丁目南」という信号に出てきた。
道は北北西に進んでおり
南荻窪四丁目を黙々と歩く、まさに黙々といつかゴールに着くだろうことを信じて。
やがて中央線のガードが見えてきた。道は下り坂、善福寺川を渡り中央線のガードをくぐって左折
、西荻一丁目の交差点を右折北上。1kmも行かないところ青梅街道の手前に第2のオアシスのはじまり荻窪八幡神社の森が見える。ようやくたどり着いた、ここまで曲がりくねって流れる善福寺川を三度越えたことになる。
この神社はおよそ1080年前に建立され、上荻窪村の鎮守だったという。1051年には源頼義が奥州征伐時に戦勝祈願したという。あちこちの八幡神社に祈願していたらしい。また大田道灌は石神井城の豊島秦経を攻める時、祈願しを植えた槙の木が現在も樹齢500年を越えて生きている。
八幡神社を出て青梅街道を渡り荻窪警察署の横を北上するとまもなくだだっ広い桃井原っぱ広場というところに出くわす。
広場の向うには高層住宅が建ち、休日の広場は子供達の遊び場である。
この広場は、むかし
日産自動車の荻窪事業所があったところだ。
暫定的に広場がつくられているのかどうかわからないが空間というのはいいものだ。ちょっぴりモッタイナイような気もするが。
観泉寺本堂
|
広場の北側には荻窪病院、道の斜向かいには中央大学杉並高校があり、その北に観泉寺が静かな佇まいを見せている。
戦国時代の武将、今川義元一族の菩提寺だそうである。なぜここに今川義元一族なのだろうか。ここに眠る今川氏真は父義元を織田信長によって失い、出家して多くの歌を残したといわれている。
このあたりの町名は今川という。
第2のオアシスを離れ、
その今川二丁目と三丁目の間の道路を北へ早稲田通りを抜ける、このあたりからゴールまで約4km、単調な街並みを歩く。
上井草二丁目の交差点を左折西進、上井草運動場の角をふたたび北へ曲がる。
しばらく進むと杉並区から練馬区へはいる。上井草駅近くの西武新宿線の踏切を渡る。
三宝寺池・石神井池・石神井川緑道
2km弱ほど北へ行ったところで石神井川を越えるとまもなく道の両端にこんもりとした森が見える。東西に細長い石神井公園である。ゴールまであと2km弱。
道の左側には三宝寺池があり、石神井川の水源地のひとつ、昔は湧水も豊富だったとか。
その湧水に育まれてきた湿生植物は氷河期からの生きつづけてきたという。「三宝寺池沼沢植物群落」として国の天然記念物に指定されたこともあったという。
池の南側には室町時代の豊島氏の居城だった石神井城跡があるそうだ。
石神井池にはボート遊びの・・・
|
三宝寺池は自然に囲まれており、池には厳島神社、浮見堂もある。池の周りのそこかしこでは写生をしているグループがあった。
道路の東側は木々に囲まれた石神井池があり、こちらの池ではボート遊びに興じる子供たちの姿が見える。池の畔の遊歩道を歩き公園を抜け山下橋という石神井川の橋を渡る。
石神井川には水辺に近い遊歩道が設けられている、この川は小金井公園付近を水源としているらしい。流れの水はキレイで透き通った水を通して川底の藻の泳ぐさまがよく見える。
まもなくゴールの練馬高野台駅。13時20分、我が万歩計10.1km、13200歩。
ついでながら、この練馬高野台駅は比較的新しい駅である、駅舎、ホームもピカピカ(?)しているように感じる。1995年の地図には記載されてなく翌96年の地図には載っていた。
帰宅の経路は多少遠回りかもしれないが西東京市、東久留米市、清瀬市、所沢市、小平市、東大和市、立川市、日野市を通過して帰った。
取りあえずアワ、あわ、泡を!!