ウオーキング
06. 11. 1
ウオーキング(in東京のへそあたり)
はじめに
スタート前<練馬高野台駅>
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10月28日、私鉄4社の小田急、東急、京王、西武が共催する沿線のウオーキングに参加した。
この私鉄リレー・ウオークはスタートが小田急・経堂駅から東急・大岡山駅、京王・桜上水駅、西武・練馬高野台駅、そして最終回は経堂駅に戻るもので、私は最後の2回のみ参加した。
日時:10月28日(土)10時50分~
コース:西武・練馬高野台駅→井草森公園→妙正寺公園→妙正寺→善福寺川緑地→和田掘公園→大宮八幡宮→小田急経堂駅(約12.5km)
今回はおよそ一ヶ月前のウオーキングでゴールだった西武池袋線・練馬高野台駅から「東京のへそ」といわれている大宮八幡宮などを巡って小田急・経堂駅までを訪ねる約12.5kmのウオーキングである。
準備万端?
前夜「時刻表対応の乗り換え案内」で練馬高野台駅までの乗換駅の到着、出発時刻を調べておこうとするが、私が想定しているルートは検索結果に出てこない。経由する乗換駅をすべて入力しても「検索不能」となる。どうなってるんじゃ。
この朝は9時前に出発する予定でいた、明日は天気が下り坂という気象情報だったので洗濯をした。
家を出たのは9時10分、近くのモノレール駅から乗車、玉川上水駅で拝島線に乗り小平駅へ、西武新宿線で所沢駅へ行き池袋線に乗り換える。乗りなれない路線は運行の種類、つまり特急、急行、各駅停車などのことを知らない、さらに目的駅に急行などが停車するのかも知らないので戸惑う。
今回は石神井公園駅まで準急で行って、各駅停車に乗換え一駅間を移動する。
受付時間終了間際の10時50分にマップを貰ってスタートする。
受付を済ませた後、残念な話し声が聞こえてきた。この催しの参加者ではないらしい中年の女性が「歩行者のマナーが悪い」と受付の人にクレームを言っているようだ。今日はスタートして1時間半が経っている。道々でマナーの悪さを目にしたのであろう。
配布されているマップにはマナー(横に広がらない等)を守るように記されているが、ウオーカーの中に悪いと感じない人も大勢いるのだろう。
常々、私もマナーについては気をつけなければと思っている。せっかく良い催しが取りやめにならないようにしたいものである。
井草森公園
井草森公園
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スタート時のわが歩数計は660歩。もう受付が終わろうとしているためであろう、まわりを見渡してもウオーカーはほとんどいない。もっと早い時間帯ならマップを見なくても前方にそれらしいウオーカーがいるものだが、今日はマップの説明をじっくり見ながらまず1kmほど南下したところの井草森公園をめざす。
長光寺橋公園前の信号を環八の西側に渡る、この辺りでは笹目通りというのだろうか、道路は工事中だ、そういえば今年の夏環八が全線開通とか言っていたようだが。
大通りからひとつ入り込んだ道を歩くと昔風の屋敷が見えその反対側には里芋の大きな葉が広がっている。またちょっと寄り道すると「おくらやま憩いの森」といううっそうとした竹林がある。
民家から出てきた年配の男性がウオーキングの群れを怪訝そうな顔で見ている。たまたま私と目が合ってしまった。私は「ご迷惑をおかけします」と言った。これには道路は公共のもだから誰が通ろうとかまわないという、考えもあるかもしれないが、こういう生活道路を見知らぬ人の群れがゾロゾロ歩いているとあまりいい気持ちはしないと思う。少なくとも私はそう思う。だから私はまず謝る気持ちがもち上げてきたのである。経堂駅がゴールであることを伝えると、その方も東松山の方で水ウオークを・・・と言っていた。
環八と交差する「千川通り」が見えてきた。この通りは千川上水に沿って出来た道であろうか、しかしそれらしい流れは見当たらない。先月はもう少し上流をウオークしたがそこには流れがあった。
この千川通りを渡ると杉並区である。ウオーキングしている時は区や市を意識しないがときどき道路わきの電柱に薄緑色で表示されているのを見て確認する。
妙正寺池
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井草三丁目の交差点を渡って新青梅街道沿いに少し西に行ったところに井草森公園がある。この公園は手持ちの12、3年前の古い道路地図には載っていない。
マップには通産省の機械技術研究所の跡地だと記されている、池や木々も多く静かな公園である。
妙正寺と妙正寺公園
井荻駅近くの西武新宿線の踏み切りを渡りしばらくした所がゴールまで10kmのポイントだ。
前を歩いている中年の男性が背負っているリュックにはたくさんのバッジが付けられている。見覚えがあった。
(2年ほど前の渋谷あたりのウオーキングで見かけた。)たしか千葉の方に住んでいるとか言ってたが・・・。
さて足はさらに南下し早稲田通りの妙正寺公園北の信号
を直進してしばらくすると妙正寺公園に着く。
ここは清水という町名であるが、妙正寺池の湧水が由来になっているのだろう。その池は底ざらいというのか、水がなくなっていた。
公園の広場ではウオーカー以外に近くの住民らしい人も土曜日の昼を楽しんでいるようだ。
ベンチに座って軽く休憩を取っていると、小さい男の子の歩きに連られて若い夫婦がやってきた。
尋ねると1歳と1ヶ月だという、この頃の年齢はひと月の重みが大きいのだろう月が単位となる。
若い夫婦としばらく幼児やウオーキングの、スタートやゴールがどこであるかなど話をした。優しそうな両親に囲まれてすくすくと育つことだろう。
近くのベンチに座っていたおばあさんが立ち上がって行った。イチョウの木が多少黄色がかっている、秋を少し感じさせる。
公園の出口近くに「八成まつり」の捨て看板が立っている、八成とは地名のようだが、最近このような地名の謂れに興味を持ち始めた。
公園の南口から出て妙正寺に寄ってみる。
妙正寺の山門
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この山門はウオーキングのお蔭で一度ならず三度くらいご対面した記憶があるが、境内に入るのは初めてだった。山門脇には冬桜であろうか薄いピンク色の花びらが見られた。
妙正寺を出て真っ直ぐ300mくらい南下すると昭和61年に開園した区立の清水森公園という小さな公園が目に入り、ちょっと足を踏み入れてみる。
さらに進むと道幅が広くバスも通り、両側に商店も並ぶ天沼本通りに出る。この道をさらに東へ進み日大二高の角を再び南に折れる。(このあたり:ゴールまで8km)
およそ1km、変哲のない道を南下し、中央線のガードをくぐる。右手に文化女子大付属校が見え、やがて文大杉高前の信号を渡ることになる。
この青梅街道は交通量が多くなかなか信号が変わらないので、歩道橋を利用する。
青梅街道を新宿方面にしばらく歩いていると右折の指示が見えてきた。目標物が見当たらないときは
少々不安になる。道を折れ前方にリュックを背負ったウオーカーの姿が見えるとホッとする。
右手の須賀神社へ狭いの参道を入ってみる。狭い参道だったためかマップに説明がなかったためかわからないが、ウオーカーの姿は少ない。説明板によれば旧成宗村本村の鎮守、祭神はスサノオノミコト、出雲の須賀社にちなんだ社名となったそうだ。昭和33年に新築されたという社殿も年月が感じられるが、狛犬も明治期の造りものだろう。境内は南北に長く思った以上に立派な社である。
善福寺川緑地を歩く親子
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このあたりでゴールまで6km、ようやく半分に達したようだ。杉並高校の東側を通って200mくらい歩くと善福寺川が見えてきた。
善福寺川緑地と和田掘公園
善福寺川緑地と和田堀公園は善福寺川の流域に作られた都立公園である。掲げられている案内図によれば白山神社近くのヒコーキ広場より上流が善福寺川緑地、下流が和田堀公園である。歩いている人はそういう区分はしないだろう。ただ公園の方が幅があるように思う。
ウオーキングは最北端の天王寺橋の手前から北岸の遊歩道に入る。とにかく細長い緑地帯である。
手元に大東京寫真案内という昭和8年に発行された写真集の復刻版がある。それによると
水田と釣堀と、そして電車のない町、杉並区和田掘町、震災後やや開けたが悠長な水景がいたるところに見られる。
と記されている。もう少し続けよう
甲州街道も代田橋から南へさかのぼると、通りこそ新装ながら両側の軒並みの藁の屋根、おわいの車に田臭を帯びてくる・・・。
写真には街道を歩く牛車、自転車が1台、ケヤキがそびえる手前にわらぶき屋根らしい商店が1、2軒見られる。70年以上前の姿だ。ついでにこの頃練馬区は存在せず、板橋区練馬だったそうだ。
さて「おくまいはし」という名の橋を渡って少し高台に上っていくと大宮八幡宮の北神門があった。
ゴールまであと4kmである。
北門から入ったすぐのところに大賀ハスが金網の中に見られる。
大宮八幡宮
大宮八幡宮の本殿
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マップの説明によれば
東京のへそ、子育て厄除けの八幡だそうだ。さらに説明には、源頼義が前九年の役に赴く途中、この地で八条の白雲の瑞祥ををみた。奥州平定後の凱旋のおり、京都の石清水八幡宮のご分霊を勧請し創建した
と記されている。祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后だそうだ。
武蔵国三大宮のひとつで「多摩の大宮」と称されたそうだが、武蔵国八幡一宮とも記されている。八幡にも一宮があるとすれば、八幡六宮まであるのだろうか。
また大宮八幡宮の社叢について境内に次のように記されている。
「大宮」という地名は神域が広大であったことによる。
現在の境内は14,000坪樹齢を重ねた大樹が点在し周囲も緑が多く武蔵野の面影を残している。ことに社叢につつじが多いのは三代将軍家光の初願により1000本の山つつじが植えられたからだ。満開時の華やかさからいつしか「山照らしつつじ」と呼ばれるようになった。
現在も境内には16種6000本のつつじが植えられている。老木の中でも社殿左にある菩提樹は結城秀康(家康の次男、越前松平家)の側室で、篤く崇敬した清涼院のお手植えと伝えられ樹齢は350年以上である。神門の両袖には梢高く茂りあうご神木の夫婦銀杏があり男銀杏は杉並区で一番の巨木である。
もう時季であろうか菊花展も開催されている。
社殿左には大宮桜という名の冬桜が開花して、数組の七五三の参拝を祝っているようだった。
境内の冬サクラ、二度咲くそうだ
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表参道を出て八幡通りから、荒玉水道道路に右折する。ここに「祭馬塔」と刻まれた石塔があった、はじめてみる石塔である。
さらに大宮八幡前の信号を左折して南下し、井の頭通り、井の頭線の踏み切りを渡る。
永福通りを南へしばらく歩くと神田川に架かる橋に達する。さらに進む、首都高が見えてきた。
玉川
上水緑地を越えると甲州街道だ。甲州街道を渡れば世田谷区、ゴールまで2kmとなる。
下高井戸の商店街は下町のような雰囲気がある。魚屋さんの威勢がいい声を後に聞いて京王線の踏切を越える。
私はここのにぎやかな通りではトップを歩き、先を行くウオーカーもウオーキング案内の表示を見つけられず、左折する目安の赤松交番も探し出せなかった。実はもう少し先立ったのだが、道を間違えたかと思った。
戻りかけるとウオーカーらしい女性が歩いてきたので尋ねる。その女性ともどもさらに少し戻ってみたり、しかしようやく交番を見つけた。
経堂駅へ
途中一か所クランク状に道は折れ曲がるが、赤堤五丁目の交差点を左折すると真っ直ぐのようだ。交差点を曲がったところで西福寺というお寺に寄ってみる。
2時20分経堂駅にようやくたどり着いた。歩数計は12900歩、10kmとなっていた。公称12.5kmだからちょっと計測ミスかな。
製薬会社のドリンク剤を配っている人に尋ねると3000本用意していると言う。写真参照
私は今回のウオーキングではヒジョーニ疲れた。歳かな、それとも都市の中を歩いたからかな。
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