オーキング
06. 12. 21
ウオーキング(山梨/桂川道祖神めぐり) <東年協/健歩クラブ・イベント>
行程
日時:12月  18日(月)11時~13時30分
コース(予定):中央本線・四方津駅→川合→新倉→中野→塩瀬→立野→梁川駅(約8km)

はじめに
スタートを待つ<四方津駅>
私がよく参加していた私鉄主催のウオーキングは冬季はやらない、参加者の万一のことを考えてのことだろう。 この健歩クラブは元気そのもの、寒風ものともせずと言ったところ。
今回は相模湖の上流「桂川」あたりの道祖神めぐりだそうである。集合場所はJR吉祥寺駅9時25分。そのあと高尾駅10時17分、四方津駅10時38分。

この日は天気は良いが気温が低く風向きも北からだという予報だった。
寒さ対策に一枚余分に入れ、私は高尾駅に10時前に着くべく9時に家を出て、近くのコンビニで昼食を仕入れた。
中央線に乗るのは何年ぶりだろう、家内が亡くなった年の冬、最後の旅行に野辺山に行ったとき以来だろうか。高尾駅の2番ホームに立っていると中央線電車、中央本線の電車の発着、特急電車の通過とめまぐるしい。
やはり気象予報のとおり日影にいると寒い、陽を求めてホーム中央のベンチに移動する。
予定の電車が到着、乗り込むときクラブのメンバーが塊になって乗り込む。おばさんが「今朝7時前に家を出た」と話している。ご苦労様。

四方津スタート
最初に見た道祖神
四方津駅、初めて降りる駅である。駅の近くの丘にはニュータウンがあり、下から動く歩道(日本一長いエスカレータと地図に記されていた)でいけるらしい。
駅前の北にある広場にはタクシーが待機している、電車に乗る家族を送ってきたマイカーがUターンして返って行く。
そんな広場の一角にすでに十数人の参加者が集まっている。人数確認が行われる、 本日の参加者は34名。やはり都心から遠い所のウオーキングは少ないのだろうか。

ウオーキングのスケジュールを記した資料には、本日の高低差150m、徒歩行程8km、2時間半。
全行程舗装道路のため登山靴不可、ウオーキングシューズが最適とわざわざ付け加えてある。
本日のリーダーの方が「道祖神はだいぶ傷んでいきている、ある所は30分歩いて一つしかありません、それもだいぶ傷んでいるので省略します」と告げる。不平の声は聞かれない。
このクラブでは、冗談らしいがいろいろとブーイングが出る。それだけ親密なのだろう。

歩き始め、中央線のガードをくぐって住宅の間を曲がりくねりながら下って行く。途中の空き地に丸い石塔が置かれている。
私は道祖神は名前を聞いたことがあるくらいでよく分らない、確かめながら遅れないように付いて行く。
懐かしい火の見ヤグラ
桂川に架かる橋を渡る、谷底が深いから川面がかなり下の方に見える。
川を渡ったところは川合地区といわれ、北斜面の日影に入ると急に寒く、いや冷たく感じる。幅3mくらい舗装された道を歩いていると左手の高台に小さな稲荷神社が道と並行に鎮座している。日影の景色に真っ赤な社が人目を引く。その背後のやはり高台に立っている石塔が今日最初の道祖神らしい。

頭が丸まっている石柱の表面は真っ白で何か文字が刻まれているようだがよく見えない。
広辞苑には道祖神について概ね次のように記されている、道祖神は道行く人を悪霊から防ぎ守護する神で、日本では「さえのかみ」と習合されて来た。「くなとのかみ」、「たむけのかみ」のことらしい。「くなのかみ」は「ふなとのかみ」とも呼ばれていたそうだ。
素人の私にはよく分らない。
さて歩きがふたたび始まる、木製の道標は大地峠と記されている。 この道を歩いて気がついたが火の見ヤグラが4箇所も立っていた、懐かしい風景である。現在では他の伝達手段が使われているのではないだろうか。

次々に道祖神が・・
やや上り坂が続く道はリーダーによれば戦国時代の「甲州街道」があったところだそうだ。
散在していた道祖神は道の改修などでまとめて置かれる様になったのだという。
道の右側(北)は崖になってかなりの高さがある、左側は高台に畑があるようだが、その道端に石塔がならんで立っている、道祖神らしい。
やがて道が、左(南)に分岐するところへ来た。左に折れて南へ進めば、道標にあった大地峠に達するらしいことがあとで調べて分った。

ウオーキングのコースは西進し清水という地区に入った。
門前に一本の杉の木が高くそびえ立つ社が見えてきた。神社の名前は分らない。
使われなくなったつり橋
リーダーが突然立ち止まった。道が二手に別れ、左はすぐ曲がって登りとなるらしい、右は坂を下った道が真っ直ぐ進んでいるが森の中へ消えている。 幸いにも市の軽トラックがやってきて、進むべき方向が分ったようで下りはじめた。右手の谷といっても段丘の上らしいが、大きな民家が数軒東西に並び、家の南側には畑がこれまた東西に広がっている。 家の近くの道脇にある石塔は道祖神だろうか。
しばらく下り坂を進んだとき、対岸への橋が見えてきた。その西側に古びたつり橋が架かっていた。
どちらの橋も幅は同じくらい、つり橋は古くなったから隣に新しい橋を造ったらしいが、通行できないわけではなさそう。
私だけつり橋の袂へ行ってみると、そばに石塔があるこれは庚申塔だろうか。
道はふたたび登り坂となる、誰かが「今日は平坦な道じゃなかったのかね」。そろそろへばって来たのかな。

”耕友の館”で昼休み
昼食の場、耕友の館
ふれあい農園というレンタルの農園がある、聞くところによれ鍬などの農具も貸し出してくれるそうだ。身ひとつでやってくれば農作業が出来る。(付記:年間賃貸料8000円)
かなり広い敷地を市が借り上げているようだ。地元の人がわざわざ土地を借りて菜園を営むわけがない。
そう、東京から農作業を楽しむためにやってくるらしい。
その人たちの溜まり場を「耕友の館」という。なるほど「耕しを楽しむ友のやかた」という意味だろうか。
今日はここでお昼ごはんとなった。建物自身は150平方mくらいだろう。
広い敷地内の小屋にはブルーのシートが掛けられた農具がある。その周りには竿に輪切りにされた大根が干してある、なつかしい景色である。
天気がよかったので私は外で、遠く対岸の中央線の電車、甲州街道を走る車を眺めながら、コンビニで仕入れたものをほおばった。
早々と食事を済ませ、あたりを見物する。西の方にある質素な八幡神社は何ともいえず素朴である。中をのぞいてみる、暗くてよく見えないが広い小屋のようである。失礼!
南の方には貸し農園が広がっている、遊具も設置してあり幼い子供連れが遊んでいる姿が想像できる。遊具のそばに行ってふと下を見ると霜が降りていた。やはり寒そうだ。
東側の広場の脇に小さな石塔が立っていた。昔からのお墓なのだろうか。
塩瀬大橋


巡りながら梁川駅へ
12時40分、広場に集合。私の思っていた方角とは違って今来た道を引きす。途中から北へ向い坂を下っていく。林の中に石塔が見える、あとで写真を拡大してみると馬頭□□という文字が見られた。
家に帰って調べてみると道祖神と同じところに庚申塔、二十三夜塔、馬頭観音などが祀られているそうだ。 すると道祖神と思っていたのは庚申塔だったり、馬頭観音だったのかもしれない。

ウオーキングマナーを気にせずとも歩けるほど道幅はかなり広く、やがて桂川に架かる塩瀬大橋というアーチ橋を渡る。今の時間帯はほとんど車や人の往来がなく橋の上で、上流側、下流側と子供のように行き来し景色を眺める。橋の高さは二十メートルくらいあるだろうか。岸の山側のすっかり落葉した木々を見ると寒そうな冬の景色がつながっている。
橋を渡り、再び坂を上ったところに「小松大明神宮」という社がある。中は幼稚園となっているようで入れなかった。全面格子の引き戸が見える社の前に新しい狛犬が何故か似つかわしくない。
真っ直ぐ進めば甲州街道に出るが、足は左に折れ田の間から坂道を下る。坂道の入り口に石塔が立っている、これは庚申塔のようだが・・・。

梁川駅には13時半前に着いた。上りの電車を待っている間、長いホームを歩いていると火の見ヤグラが見えた。



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